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輝鑑 後世編纂版  作者: 担尾清司
序前枠:将星集いて、英雄発射の装薬整うのこと
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序ノ四:将星集いて 04

「……概ね、意見は出そろったか。諸将、他にないか。なければ、そろそろ裁定に移るが……」

 決定打とも言える滑良の折衷案が出たこともあって、重臣の証といえる守護代を多数輩出している幹部級の近臣や国衆の多くが発言し終わったことを確認した政豊は、ある武将に対して目線をやりながら意見をしまい込み始めた。そして、目線を向けられたその武将は政豊に対して発言を求められていることを察知し、目線で再確認をしたが、変わらずに意見を求められていることを察知し、妙な感情と共に挙手をした。

「しばらく、しばらく。諸将の意見は確かなれど、一つ忘れていることがあるのではないか」

 ――後に天下人となる垣屋続成こと、今はまだ孫四郎という幼名のままである「主人公」の父宗続である。先陣大将を務める老いて尚益々盛んな続成(孫四郎)の祖父豊遠とは別個に、宗続は本陣に身を置いていた。その彼自身、後に語るに曰くその意見に対して半信半疑であったとおり、今から発言する内容は彼が所持しているとはいえ、出所は彼の脳裏ではなかった。

「なんだ、忘れていることとは」

 政豊も、水を向けたこともあって宗続に意見があるところまでは想定していたが、山名家中随一の臣――今なお諸説あるものの概ね「百姓同然の暮らしをしていた」と山名家が自嘲する関東御家人(しかも鎌倉幕府では数少なき御門葉であった)時代よりの家臣(が、いる時点で「百姓同然の暮らし」が謙遜でしかないことがご理解いただけるだろう)である土屋党が出身とされており、それは明徳の乱によって過半を失うまで山名家の決戦兵器とも言えた――である垣屋一族が、速攻案にせよ遅攻案にせよ、あるいは折衷案にせよ、何らかの意見に加担すれば皆その意見に際して納得するだろう、程度にしか考えておらずに第三第四の選択肢が出るのは想定外であった。しかし、宗続が放った意見とは、宗続自身にも想定外であることからも判る通り、政豊にとって予想外のものであった。

「赤松政則の居所にござる」

「つかんで居るのか」

 間髪入れずに尋ねる政豊。宗続がそれを発言したと言うことは、彼の者の居所をつかんでいるという証拠といえた。間髪入れずにそれを尋ねる政豊。そして、宗続は恭しげに頷くや、諸将には博奕とすら言える意見を言い出した。

「赤松政則の首級、我が手勢にて仕留めて宜しゅうございますか」

 一瞬、場は沈黙した。そして、政豊がその意味を飲み込んだ直後出た言葉は次の通りであった。

「し損じるなよ」

 暗殺とは、非常に難度の高い任務であり、また同時に決まれば非常に戦局を動かす手段である。ましてや相手は行方不明の人物とされている現状を考えれば、それは十中八九、否、百分率で九十九まで失敗すると思われた。

「ははっ、万一のことを考えて腕のいい忍びをいくつかお貸し戴けますか」

 宗続は、どうやら赤松政則、つまりは行方不明であるはずの敵の総大将が何処にいるかを本当につかんでいるようだった。それは、――たとえまだ浦上家などの障害は存在したとしても――山名家にとって播備作の、つまりは旧赤松領の掌握を意味していた。首級を挙げるにせよ生け捕るにせよ、現状敵軍の総大将である赤松家現惣領――この場合は守護請の権利を持った現在の家督在位者を指す――を捕捉するとはすなわちそういうことであった。

「……いいだろう。おい!」

「ははっ」

 地下に対して声を掛ける政豊。すると床板が開き、如何にも忍者でござい、といった隠忍が登場した。天井や床、そして武者たまりなどに刺客が潜むのは常套手段であるが故に、彼らは敵の忍者を狩る仕事の関係上軍議といえども、否軍議といった上級将校が多数存在する場にこそそういった場所で待機していることが多かった。

「お前と、お前が選んだ者を宗続に貸し出す。任務の詳細や褒賞などは宗続に聞いてくれ」

「ははっ」

 山名家の忍者部隊は、我々のよく知る伊賀や甲賀、あるいは現在山名家が存在する中国で言えば西部に位置する山陽の世鬼や山陰の鉢屋に比べ決して著名とは言い難い。そして世鬼・鉢屋と違い、主家である山名家が読者世界(史実)に於いて著名とは言い難かった結果を迎えたこともあって著述世界(此方)とは違い、読者世界においてその無名さに拍車が掛かった結果となったが、彼らは現代風に言えば諜報部員である、むしろ著名でないことが彼らの練度が高いことの証明とも言えた。故に、彼らは軍事改革による表軍抜擢までは陰として生き続けた……。

「それでは、美作(太田垣)を主軍として兵庫(滑良)並びに衛門尉(田公)を備前に差し向ける。蔭木(小野市に存在)に本陣を張る先手大将である豊遠をよく助けよ。備前表に張り出された者以外は越前(宗続)が赤松政則を捕捉したことを合図として播磨へ総掛かりを行え。進攻の次第によっては本陣も播磨へ移す、それでは諸将は居城へ帰還の後遠征支度を行え、軍議は以上とする!」

 声高からかに軍議の終了と行軍計画、そして遠征支度の指示を行う政豊。それは同時に、未だ孫四郎という幼名に過ぎない垣屋続成の初陣を意味していた……。

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