第貳拾(42)章:天才の証明 01
文明十七年夏、垣屋続成が樺太に「天皇朝日本諸島最北之地」なる石碑を打ち立て、そこに日章旗を同じく据え付けて現地の石油を検分している最中のことである。内地では早くも公方親征の動きが働き始めていた……。
参ったな……。
「若はまだ帰られぬのか」
若狭湾にて遠眼鏡を以て周囲を見渡し苛立っている老人が存在していた。……言う必要もあるまい、北山である。かねてより主君が嫡子、孫四郎続成の安否を一刻も早く確認せんがために日がな若狭湾に腰掛け遠眼鏡で周囲を見渡していたが、目的の人物は一向に見えなかった。そこへ、おずおずと手紙と共に伝令が寄ってきた。伝令兵は、孫四郎続成の直筆書を携えていた。
「それが……」
「どうした!」
「……それがし、若より斯様な事態にあらかじめ、と伝言を預かって参りました」
……続成は、なんと公方親征の事態を予測していた!更には、その親征場所も言い当てており、事実上は軍勢を率いる責任者さえいればいつでも行動は可能らしかった。
「……ふむ、構わんな?」
「ははっ、どうぞ」
そこに書かれていた文言とは、以下の通りであった。
前略 翁衆へ
爺、元気か。この手紙を開けたと言うことは今頃六角殿が横領を繰り返した結果公方様が激高しているのだろう。
とはいえ、この手紙を開けたと言うことは同時に私はその場所に居ないことも、恐らく確定であろうと思われる。
参戦要請があれば正規軍を持って行って翁衆の誰かが垣屋軍大将を務めてもいいが、もし要請が無い場合、無理して参戦する必要は無い。山名様にもそれを伝えておいて欲しい。
何案ずるな、今回の公方親征には参加しなくても問題は無いし、この親征は十中八九、現公方家当主の死去で瓦解するだろう。あの人は深酒をしているから肝臓を痛めるのも早いだろうしな。
むしろ、六角様に助言をして、第二次公方親征を未然に防ぐことこそが肝要かもしれん、さすれば、六角には恩を売れ、公方には無用な出兵を諫めることも可能だ。
一向一揆の討伐後、どの方角へ向かうかはその時になってみないと解らないが、今まで発明した技術を全て使いこなせれば、最低限須磨関辺りで敵を食い止めれば播磨への侵入は防げようし、播磨への侵入を防いでいれば播磨灘を渡り摂津の敵を挟撃することも可能だ、黒船は一応播磨灘にも一隻置いてあるはずだから、存分にそれを活用せよ。最悪、壊しても構わん。代艦の予算は計上してある。
それはそうと、山名様や大内様との同盟が健在である間に、なるべく多くの鐚銭を仕入れていてくれ。近いうちに、本朝独自の通貨を復活させようと思っている。
宋銭や永楽銭も悪いものではないが、やはり他国の銭をそのまま使っている状況は宜しくない。悪貨は良貨を駆逐するというが、果たして本朝独自の通貨と震旦の銭、どちらの方が悪貨かのう?
草々 孫四郎
ふーむ。
「北山様、何かございましたか」
北山が、とても奇妙な顔をしつつ孫四郎の手紙を読んでいる沈黙に耐えられなかったのか、伝令が音を上げはじめた。それに対して北山は、次のように答えた。
「……いや、子細ない。若は封じ手をよく作っておくことがあるが、今回もか」
封じ手とは、後に将棋などへ伝わる文化であるが、今回の場合はいわばあらかじめ予測できる事態に対して「封じ手」を作っておくことで自身が不在であっても事態を操るための手であった。無論、それは号令ではなく命令、あるいは訓令であるため自身の、つまりは孫四郎の思った通りの結果になら無い可能性も会ったが、孫四郎は自身の千里眼をある程度確信を以て運用していた。……まあ無論、それは逆浦転生者であるから当たり前であったのだが、逆浦転生者の最大の切り札である改変点の設定は既に彼は使っている。つまりは、既に歴史の流れは変わり始めていたのだが、彼はそれを論理力によってある程度柔軟な想定を可能としていた。ただの書生が、なぜそこまでの論理力を操り得たのか、それを紐解くのはまた今度にしておこう。
「ははっ、一向一揆を討伐する際にあらかじめそれがしへ預けられましてございます」
そして、「若」は一向一揆を討伐した後に続けて遠征、しかもある程度遠方への、を行うためにさらなる封じ手を構築していた。流石に、薄気味悪くなってきた北山は軍議を開くことによってその薄気味悪さから逃げ出した。
「……そうか。然らば、軍議を開くぞ。諸将には若の代理として行う旨を伝えよ、この書を証拠として提出する」
「は……ははっ!!」




