第貳玖(41)章:北へ
文明十七年も花が散り始め、氷河期にしてはそれなりに暑い夏が訪れた頃の話である。垣屋続成は、なんと本朝にいなかった。垣屋続成がいた場所、それは……。
「流石に、北海道は夏でも涼しいな」
続成は勘違いしているが、北海道が涼しいわけでは無い。単にこの時期は氷河期(物理)であり、夏と言えども雪や雹が降る程度には気温が低いからこそ「涼しい」と感じるだけであり、さらに言えば氷河期だからこそ戦乱が起きたのだが、そこまで彼の巨人肩視は万能とは言い難かった。
「殿、なにゆえに蝦夷地になど参ったのでございますか……」
一方で、わざわざ石高が無いに等しい最果ての地へなぜ連れてきたのかと愚痴る家臣団。それも無理からぬことで、この当時蝦夷地は開拓どころかまだ原風景が残っている未開の地であった。無論、未開の地という概念自体、文明を差違ではなく優劣で見る悪しき観点であったが、何せ蝦夷地のウタリ達はこの当時未だ文字という概念すら見いだせなかったのである。否、それも正確では無いが、本来なら御法度なれど文明を尺度で見た場合、彼達ウタリは明らかに遅い部類の文明であった。
そして、後にウタリ相手に何らかの協定を結ぶ続成であったが、ひとまず彼が蝦夷地に来た理由は、たった一つであった。
「ん? ああ、そういや言ってなかったな。……俺達は、今から樺太島に楔を打ち込みに行く」
「か、樺太?」
「なんですか、それは」
垣屋続成がこの時期の蝦夷地に足を運んだ理由はただ一つ、樺太と千島列島最東端、占守島に石碑という形での楔を打ち込んでおき、本朝固有の領土であるという証明を行うためであった。無論、樺太に石碑を建てるのはまだ用意であるが、占守島に石碑を建てる行為は、容易ではない。ゆえに、まずは樺太に石碑を建て、読者世界でいうところの間宮海峡で白人種を食い止めるためであった。
「北海道……つまりは蝦夷地の北にある島だ。そこからは、日本、すなわち本朝で一番重要な物資が湧き出る場所だからな。早い内に領有化して日本古来の領土であると証明すると同時に、早い内から露助を閉め出す!」
「……は、はあ……」
殿は何をお考えなのだ? いや、わからん。そんなボヤキが聞こえる中、垣屋続成はサホロの沖合を突き進んだ。サホロの沖合は非常に難破しやすい海域であったが、それはあくまでも帆船の場合。帆船をすっ飛ばして蒸気船を開発した垣屋続成を阻む海は広大な海域を持つ本朝海くらいしか存在しなかった。そして、その本朝海すらも垣屋続成は後に踏破する。まあ、だからこそ「本朝海」などという仰々しい名前が通用するに至ったのだが。