閑話一「田須万潔」
「く、黒船とやら、非常識なまでに早う御座いますな」
家臣が震える声で続成に感想を述べる。無理もあるまい、日が天辺にある内に但馬を出て、日も霞まぬ内に能登半島にまでたどり着くなど、この時代においては「非常識」を通り越し、「奇術妖術」と言われた方がまだ理解できるほどの摩訶なる「縮地法」であった。だが、震える家臣を前に続成だけは震えどころか小心ぶる様子すら見せずに、こう断言した。
「当たり前だ、鉄道をまだ敷けん以上、海上輸送路を構築するほか有るまい」
「……鉄道?」
「ああ、言ってしまえば陸の上を動く黒船だ。将来的には空を飛ぶ黒船も作りたいが、さすがにレシプロ機を作るにはまだ馬力が足らんな」
……当たり前だが、この時代に鉄道など存在しない。するわけがない。そもそも、蒸気機関を「発明」したのが眼前の幼将、垣屋続成なのである、それを前提にした発明品など、その当の本人である続成以外には出来るわけがなく、この時点で垣屋続成はもはや技術革新による歴史改変に対しては何のためらいも、とまどいも無く敢然と歩き出した格好になる。……案の定、家臣等はそれに対して生返事で答えるしか、なかった。
「はあ……」
文明十七年三月、正午前より但馬に停泊していた「黒船」に乗船し、なんと日も霞まぬ内に加賀にほど近い能登半島沖に到着した続成は、菊理姫神社ならびに富樫氏に対して文を飛ばすと共に北陸の一向宗を「殲滅」しにやってきた。……そして、垣屋続成は遂に改名の名をそこで発表した。原文はさすがに重文なのでそのまま複写はできないが、彼が残したその署名は、当時の公文書としてはこう書かれている。
―― 田須左近衛権少将正五位下国持衆富良東宿禰万潔
……どうやら、「田須万潔」が彼の新しい名であるようだった。当初、続成は「田須骰とかでいいだろ、もう」とかほざいていたらしいが、さすがに家臣から「……殿、その名が一生ついて回るわけですが、本当に宜しいのですな?」と諫言を食らい、必死になって考え、姓名判断や東坊城家の力まで借りた結果、こうなった、らしい。なお、姓名判断優先でつけたため「殿、我等が諱を呼ぶことは御座いませぬが、山名(政豊)様などからどう呼ばれるお積もりで?」と聞かれた際に、非常に悩んでいた姿が記録されている。
ちなみに、地名に存在しないという意味では非常に特殊な事例となった、この「田須」という苗字は、続成こと万潔(よろずきよし、か?)が「縁起担ぎの一環」と称していたとおり、彼とて全くの近現代人ではない証拠である、と主張する学者も存在する。
余談とはなるが……なぜ垣屋続成こと田須万潔が振り出しで「外様衆」ではなく「国持衆」に位置づけられているかだが、それは山名家の庶家という立ち位置としての振り出しであるという説が濃厚である。
そして、正式な文書には一応上述の長い名か略称の苗字+諱である「田須万潔」と書かれては居たのだが、私文書および公文書でも略式である場合は殆どが「垣屋続成」ないしは「富良東少将(無論、少将より上がったらここも違う略称となる)」と書かれていたので彼自身、「田須万潔」はあまり気に入っていなかったのか、あるいはそれすらも「忌名」対象だったかのどちらかで議論が分かれている。……まあ、「田須万潔」では架空人名になってしまい塩分過多になるので、以後も本作品では「垣屋続成」で通させて頂く。




