第貳肆(36)章:文明法難 04
「菊理姫神社と富樫殿に文は届いたな?」
「ははっ、怠りなく返事を頂きました」
「ならばよし! 全軍進め、一向宗共に裁きを下すのだ!」
加賀国に上陸した垣屋軍は、迅速に行軍を開始した。呆気にとられたのは現地の国衆である。見たことも無い紋所がはためくのをただ呆然として見守る他は無く、当初菊理姫神社に詣でに行ったのを見届けて新しく興った国衆が何かの祈願でもしているのかと思い直して仕事に戻ったが、それが彼らの最期の別れとなった。何せ、彼らは翌朝の日を拝むこと無く死出の旅に向かったのだから。
「突然かがり火を焚けとは、何が起きましょうや」
「吾等此より、このかがり火を目印として行軍を開始する。死にたくなければかがり火を焚いておいて下され」
「はあ……」
「それでは、征くぞ諸君」
月明かりも僅かな中、特別な訓練を受けた彼らは密かに行軍を再開、彼らの任務は一向一揆の撲滅であったが、その戦術は簡潔に言えば夜討ちであった。垣屋続成曰く、「夜間行軍は誰しも不可能と思っておる。故に夜は安全だと寝る。なれば、その隙を突くまでよ」。……まあつまり夜間行軍を、しかも散兵戦術で行うことによって垣屋続成は夜無防備な一向一揆を撲滅することにした。何せ、夜寝静まっている現状、誰がどう考えても月明かりも乏しいこの時期に人間が活動すると思っているだろうか?
だが、垣屋続成はこの時代に夜間行軍を可能とした。まあ無論、電探や赤外線探知機があるわけではない。彼が散兵戦術によって可能とした「夜間行軍」とは次の通りである。
・帝国海軍式の夜間見張員育成術による夜間案内人の育成
・その夜間案内人を一班に二人つけた班を数百ないし千は作り一向宗を拝んでいる寺の門前町を一軒一軒殺して回る
・その際に火器などの目立つものは本陣に置いておき、刀剣の類いのみを帯びた剣客が班長となって夜討ちの指揮を執る
・班の内訳は班長である剣客一名、万一の焼き討ち係一名、毒物取扱員一名、夜間見張員二名、伝令兵一名の計六名が構成員
・班の義務は討伐する町の地域によって前後するが、概ね十五軒を目標とし、刃こぼれがするまでは本陣には帰ってこないこと
……以上である。即ち、千以上の班を作ったのは一時に十五軒の一揆ばら構成員、即ち三名から七名くらいの一向宗を拝む人間を片端から夜が明けるまで密かに殺して回るという戦いであった。なにせ、加賀や能登には菊理姫神社が存在する。さらには、加賀の高尾城にはまだ富樫氏が居を構えているのである、むやみやたらに爆薬によって炎上させるのは拙いという判断であった。
そして、密かに垣屋軍が殺して回った結果……。
「……今日の講、参加者が少なくねえか」
「何、そのうち来るだろう。それまで念仏でも唱えておくか」
「おいおい、念仏は一回で良いのではなかったのか?」
「さてな、とはいえ唱えれば唱えただけ功徳は貯まるだろう」
「それは、そうかもわからんが……」
「おーい! 大変だぁ!」
「おお、どうした」
「皆が、番衆が夜討ちを受けた!」
「……なんだと?」
そこにあったものは、一見すればただの民家にすぎなかったが、妙にその民家は静かだった。いや、静かなんてものじゃない。人の気配がしない。否、一軒だけではない。町の中からそもそも生気を感じない。
血のにおいがする。がさごそと物音がして覗くと野犬や山猫の類いが何かの肉片を貪っていた。思い切って門戸を開けてみる。
……死体だ。一家丸ごと総て死んでいる。否、一家どころの騒ぎでは無い。町中総てが、死体しか存在しない。
一夜にしてこんなことがあるものか。だが、どの死体も嬲られてはおらず、反抗した形跡も存在しない。心中か。否、それも違う。物取りでもなければ怨恨による辱めでもない、それはまるで殺すことが義務のような殺し方であった。
……そして、発見者がそれを講に報告しに行った頃には、町全体は大騒ぎになった。
まだ桜が散り始める前のことである。




