第貳參(35)章:13日の金曜日 00
「加賀、と申されましたか、稲富殿」
加賀へ征く、そう告げて垣屋続成が丹後を出たのは事実であるが、その道順は「非常識」の一言であった。敵地であるはずの丹波を無人の荒野の如く驀進し、丹後に着いた後も関銭を文字通り倍以上支払ったとはいえ、但馬に戻るのであれば来た道を戻れば良いだけであり、わざわざ敵地を突破したり丹後で関銭を払ってまで但馬を丹波路で帰る意味はないはずである。だが……。
「ははっ、富良東宿禰殿は何でも、「加賀で大規模な一向一揆が発生するので、それを殲滅しに行く。味方の領土に於いては関銭など交通費は倍払うので何も言わずに通されたし」との一点張りでござりましてな。その証拠に、本当に関銭などを、宋銭や銀で払っていき申した」
「……なんと」
「一向一揆など、よくあるものでございましょうにな。なにをそこまで警戒しているのやら……」
……垣屋続成は、同盟国領であることを理由にある程度の軍事機密の漏洩を承知で舞鶴――この当時は、田辺とか志楽谷という地名であった――での進水式を強行しており、後の丹後から但馬あたり一帯の軍港門前町とでも言うべき水兵町を建設、若狭の小浜などと合わせて山陰一の大都会の基礎を築くことになるのだが、果たして彼はそれすらも見通していたのだろうか?
「本当に、倍も払っていたのでござるか」
「ええ、関所によっては倍どころか、三倍も四倍も支払って頂き、非常に助かっていると惣領閣下(この場合、一色義春)も大層お喜びで御座り申した」
……思わず、呆れる太田垣。無理からぬことだ、確かに敵領突破戦と違い、味方の領地を通る際に友好な仲であれば関銭を弾む程度でも構わない、というほどの固い仲であることの証明にもなる外交的配慮とでも言うべき行動かもしれないが、それにしたってかの「天衣無縫」が斯様な政治的寝業などするだろうか?
……そこから導き出される結論は、ただ一つ。
「はあ……。……して、あの莫迦はどこに征きましたか」
「は、何でも舞鶴はどこだと仰りましてな、舞鶴などという地は知らぬと申しましたが、丹後の良港の名がそれであると聞かず……」
「聞かず?」
「……但馬へ抜けるや、何でも蒸気で動くと称している巨大な鉄船を動かして宣言通り加賀目指して出港致しました」
「ふぅむ……」
……垣屋続成は、何らかの理由で本当に加賀征伐――後にいうところの加賀能登越中殲滅戦――を行うためだけに丹波路経由での但馬帰還という、丹波の国衆はもちろんのことその背景にいる細川家の柳眉をも険しくしかねない行軍を選んだことになる。
無論、丹波路の方が播磨経由で但馬に戻るよりも楽である(何せ、丹波路は山陰道の幹線道路である)からその道を選んだわけだが、それは如何にも神童麒麟児の名には相応しからざる「非常識」と言えた。
「一体、かの若様になにがあったのでしょうな」
稲富としては、惣領たる人物、すなわち一色義春が若くして死にかけていたところに颯爽と薬品(≒抗生物質)を持って治療した垣屋続成という幼武者に若干の恐怖を覚えており、更にはなんと無償で「鉄砲術」とやらを教育されており、ある種の疑心暗鬼に陥っていたこともあって彼達が速やかに去ったことにようやくの安堵を得ていた……矢先に太田垣等が検分に来たこともあって空気感の緩急に若干の気をおかしくし始めていた。
「……それがし、その「若様」の軍監を惣領閣下(この場合、山名政豊)より承りましてな。加賀で、間違い御座いませぬな?」
それには気づかぬか太田垣、加賀に航路を取ったことは方々の体で聞き出して、追いつけぬことを承知の上でせめて現場の再確認だけでもせねばと決意した。
「ええ、但馬から東へ向かっておりましたが故、間違いは御座らぬかと。……何せ、ここ丹後の港よりも見えるほどの巨大な船でございましたが故」
……尚、この「巨大な船」、どれほど巨大だったのかというと……読者世界の鉄甲船をさらに二回り以上大きくした出来、と言えばどれだけか把握できると思うが、重心をなるべく低くした上に如何にして浮力と推進力を両立させるかに気を揉んだ上に、そこに武装として元込め大砲――仏狼機と発想や構造は似ていたが、続成式大砲の方が遙かに精巧であった――を竜骨もない時代に船に等間隔に、そして軸が通ったように一本の線を描くが如く……一番わかりやすく言えば、近現代の戦艦のように配備していた。
近現代、と記したのは弩級と前弩級で根本的に艦艇の戦力は異なるからなのだが、この時代に、さすがに戦艦ほど大きくないにしても巡洋艦を試作している時点でもう続成は自重を諦めた模様である。
「……なるほど。報せは有り難く受け取らせて頂きまする。おい、我等もこれより船を見つけて志楽谷より追うぞ」
「ははっ!!」