第貳貳(34)章:文明法難 03
垣屋続成が率いる、もはや近代軍と張り合えるほどの軍勢が進軍した先は……山科では、なかった。続成が向かった先は。
「殿、さすがに軍勢を率いたまま山城国に向かうのは拙いのでは?」
「誰が山城国に向かうと言った。今から向かう先は、山科ではない」
「は? ……し、しかし、一向一揆の本拠地は山科でございますぞ?」
「今から向かう先、それはな……」
そして、山城国は山科墓地にて最期の決戦を覚悟していた一向一揆は肩透かしを食うことになる。垣屋続成が向かった先は、なんと北であった。……だいたい、北へ向かう時点で察した方も多いだろう、続成が軍勢を向けた理由、それは。
「殿、丹波路を進むということは、一度但馬へ帰るのでござるか?」
「なわけあるか。……今から向かう先は、舞鶴だ」
「……舞鶴?」
「舞鶴とは一体……」
「丹後の軍港だ、そんなことも知らんのか、お前ら」
……実は、この当時「舞鶴」なる地名は存在しなかった。この辺りは、続成の「灯台」という旦は非常にわかりやすく当てはまる例ともいえたが、丹後国に軍を向けると聞き、彼らはさらに戦々恐々とし始めた。理由としては、次の通りだ。
「……丹後ということは……一色をお攻めになるので?」
「阿呆、なんで同盟国を攻めにゃならん。……一色氏には惣領閣下を通して許可を取ってある。我等が向かうは……」
「向かうは?」
「能登半島だ」
「……はい?」
垣屋続成は未来人である。否、正確には未来人の知識と経験、そして記憶が何らかの理由で脳裏に焼き付いている、読者世界にも存在する武将であるのだが、ゆえに、彼は。
「富樫氏を救い出す、目指すは加賀、菊理神社だ!」
……加賀一向一揆を未然に封殺すべく、丹後は舞鶴港より能登半島めがけて強襲上陸作戦を発動した! とはいえこれはさすがに逆浦的行動の最たるものであり、家臣団の多くは「また殿が狂した」程度にしか思っていなかったという。
そして、軍監として派遣された太田垣光景はと言えば……。
「殿、どうやら両鎌十字の馬印と三畳石紋の旗標が見えます。垣屋の若様、どうやら但馬に帰還するのでは?」
太田垣家の家臣何某が光景へ伝令の報告を行っていた。両鎌十字の馬印は垣屋続成のかなり特徴的な馬印であり、また三畳石紋の旗標は垣屋家の軍勢の内、垣屋続成の直卒部隊であることを示していた。そして、そんな彼がたいした負傷兵も抱えずに但馬へ帰還すると聞いた光景は、案の定推理を開始した。
「……妙だな」
「と、仰いますと?」
「いかに彼が「無欲律儀」といえど、大坂平野をあそこまでにした後、無傷で帰るためにわざと退いたと仮定しよう。
……果たして、無傷で帰るためだけにあそこまでにした大坂平野を領有すらせずに帰るだろうか?」
「故の、「無欲律儀」では?」
「さすがに、そんなわけがなかろう。彼は戦には矢銭が掛かることを知っている。ゆえに、その程度の戦で収めて撤収するとは思えんのだ」
光景の耳にも、大坂平野での惨状は届いていたが、詳細はまだ知らず、せいぜい彼が聞いたのは本願寺蓮如の隠居部隊を殲滅した、程度に過ぎなかった。無論、蓮如を獄門に処したことや、一向一揆を世にも無残な血煙と肉片に変えたことなど、想像の範疇にはあるはずも、なかった。
「伝令、一色家より軍使でございます」
「……一色?」
「ははっ、通しますか?」
「おう」
「一色家軍使、稲富でございます」
「山名家軍監、太田垣でござる。……其方へうちの莫迦が向かっておりますが、その件で御座いましょうか」
「はい。一色惣領家に置かれましては、「富良東宿禰殿の雄姿、とくと拝見した。領内は同盟国のよしみで割安の関銭にしておくがゆえに、存分に加賀へ援兵されたし」との由に御座います」
「……加賀?」