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輝鑑 後世編纂版  作者: 担尾清司
第一部第三話:垣屋孫四郎、所領を得て元服をするのこと

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第壹雪(27)章:誕生、富良東宿禰! 02

 文明十七年二月、幕府を介さずに大内家が直接朝廷と交渉していることを聞きつけた幕閣は、ただでさえ山名家が播備作を無許可で侵掠していることに対して咎めようとしている最中にそれが行われたことに対して、非常にしかめた顔をしていた。中でも足利義政の怒りようは激しかったが、意外なことに意外な人物がなだめに掛かった。……細川家当主、政元である。

 政元の言い分は以下の通りであった。

「ここで山名家・大内家の朝廷交渉を握りつぶすのは却って旧西軍がまた団結して応仁の乱の二の舞になる危険性があり、危険な采配と言えましょう。それよりも連中に貸しを作ることによって今後の交渉を優位に運ぶことの方が上策ではないかと」

 策士であった。無論、政元も本来ならば山名家の伸長を苦々しく思う立場であったが、彼には彼で思うところがあったのか山名家の伸長を彼はあまり心苦しからざる態度で見つめていた。

 実は、この時期細川家は畠山政長と政争を繰り返しており、将軍の居館も存在した山城国で良からぬ動きをしている一揆衆のことも考慮し事実上大内家の朝廷への使者を黙って通すこととなる。そして……。


「若、お喜びください! 新姓下賜の一件、無事許諾されましたぞ!」

 孫四郎続成の下に駆け寄るのは、最近山名家譜代の中から垣屋家へ軍監として派遣されたばかりの大葦であった。元々大葦氏は垣屋氏と同様に山名家にとって主力部隊である土屋党の一員であったのだが、明徳の乱の時に反乱軍であった満幸方に与した土屋党五十三名の中心人物であったこともあって没落し、今は山名家からの出向とはいえ垣屋家の軒先を借りる身となっていた。

「ほう、そいつぁ重畳。じゃあ苗字も考えた方がいいか?」

 実のところ、続成の申請が通ったということは事実上この時点で続成は「富良東ふらとう」という新姓と同時に殿上人となったのだが、この時点で彼は幼いながらも「氏長者うじのちょうじゃ」となったわけで、後々まで続く「富良東ふらとうの宿禰すくね」家の基礎固めをする役割も同時に担うことになったのだが……、なぜ彼が後に治める大陸名にもなる「富良東」という姓を選んだのかは、謎とされている。

「は、確かにそうでしょうな。今のところ富良東姓は若だけで御座いますがゆえ、その必要も御座いませぬが……いずれは必要になるもので御座いますからな」

 実は、この時点で富良東姓は彼だけであるため苗字などは後回しでも良いのだが、一応彼は武家であり、ゆえの苗字は必要とした。ちなみに、富良東姓が「宿禰すくね」なのはいろいろな政治的力学がからまった結果なのだが、それは彼には知る由もなく、さらに言えばそのつもりもなかったようだ。

「おう。で、なんだが……」

「はっ」

「他に何を貰った」

 元々、「殿上人になって貰う」と言われており、さらに言えばこれが「富良東宿禰」家の「前例」となることをほぼ完全に理解していたこともあってかこういうときの続成は素早い反応を見せていた。とはいえ、彼が受け取った官位は、後の「富良東宿禰」の見本というにはいささか肩透かしを食う結果となった。

「……こういうときは、察しが良うございますな」

「やかましいわ。……で、何を貰った」

「は、正五位下左近衛権少将を受け取っておりまする」

 近衛このえごんの少将しょうしょう。この時期の続成にとっては、侍従や兵衛ひょうえのすけをすっ飛ばした上に、一応は公卿の昇進も狙える程度には偉く、家格によっては近衛中将になった後に参議にもなり得るという意味においてはそれなりに良い振り出し(・・・・)であったし、続成の年齢を考えればそれは大いに有り得ることではあったのだが、なぜか彼はそれを聞いて、あまり良い顔をしなかった。

「……近衛少将か」

 左右については、彼は特に気にしなかったのだが、彼は「権官ごんかん」であることについては、多少気にすることもあったようだ。

「ははっ。勅使によりますれば、そこが妥協の線だそうで……」

 実際のところ、朝廷内部の政治的力学や幕閣の睨みつけ(京洛に陣所を置いていることもあって、いかに朝廷と言えども幕閣の意見を無視して武家へ好き勝手に官位を与えるのは憚られた)などもあって、朝廷にとっては垣屋続成を「殿上人」とするにあたっていくつかの条件があり、その中で一番「良い物件」が「宿禰」姓と「権少将」であったのだ。そもそも、「宿禰」自体が武官に対する尊称に近い働きであることもあって、「朝臣」分家であることも手伝って概ね後の源平藤橘を名乗る者に対して、氏長者うじのちょうじゃが頷かなかった場合、好きな漢字熟語と「宿禰」姓を与えるということも続成という前例があって行われることもあった(さすがに、忌寸いみき道師みちのしなどはあまりにも響きが薄いこともあって使われることはなかったようだ)。

「権官なのもそれが理由か」

「は」

 そもそも、「権官」とは言ってしまえば定員からあぶれた者への「仮の官位」であるのだが、何せ権官は大納言、即ち事実上の行政官の頂点(一応記述するが、大納言の上には大臣しかおらず、しかもその大臣というのは「内大臣、右大臣、左大臣(+太政大臣)」しか存在しない、いわゆる事実上の「内閣総理大臣」に相当するので、ある意味大納言というものは国務大臣に相当する)にまで及んでいるわけであり、事実上「仮の官位」とはいえ同格扱いではあったのだが、彼はなぜかその「権官」という状態に対して、居心地が悪そうにしていた(まあそもそも、武家に支給される官位はほぼ単に朝廷と交渉するためだけのただの椅子だったのだが、それを幼将の彼に求めるのは酷だろう)。

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