第壹捌(24)章:三木の陣 04
「今、なんと?」
続成は耳を疑った。古来より弟が分家を立てるのは誉れなことであったが、彼にとってはそれはあまり宜しからざる一報であったようだ。たびたび引用しているが、続成の日記帳である「度江須呉」には「垣屋家の家名を背負って立ち、聖忠公を支えて宗家を守り立てようとしたというのに、これでは本末転倒であはないか」とあり、続成は続成なりに弟が兄を越えることの弊害を理解しており、いずれ分家に養子に行くことによって間接的に宗家である宗続や政忠を支えようとしていた形跡が見受けられる。とはいえ、なぜ分家の中でも豊遠の父を長男とした場合に次男分家である越中守ではなく三男分家である駿河守家の、しかも代数だけで言えば自身と同じ代である聖忠を公付けで呼び慕ったのかは定かでは無い。……続きを見ていこう。
「総領閣下より先程伝令が来てな、おぬしよほど気に入られたのう。……分家として別の家を建てて、ゆくゆくは垣屋宗家同様に守護として身を立てよ、そのことだ。
……ようやってくれた、我等とて山名家の傘を手放すのは惜しいが、守護に上がるということはそれ以上に誉れ高いことじゃ。よって、今よりおぬしは別の苗字を名乗っても構わんということになった。何だったら惣領家へ入り苗字をしてもよいらしいぞ、なんにせよ、ここまでの誉れを受けた以上、励まねばならんぞ」
とうとうと語る豊遠。その顔には余裕と自信が満ちあふれていた。それも無理からぬことで、山名家と垣屋家は明徳の乱から、そして垣屋家の出身である土屋党は鎌倉時代からの固い絆で結ばれていた。
ここで一つ読者に問うてみたい。垣屋、太田垣、八木、田結庄。読者世界で「山名四天王」と呼ばれる中でひとりだけ仲間はずれがいる。誰だろうか。少し考えてみて欲しい。
……答えを言ってしまうと、垣屋である。と、いっても別に仲間はずれだからといって位が低いわけでもなければ不名誉なわけでもない。むしろ逆で、垣屋のみが鎌倉時代から山名家を支えてきた国衆であり、他の三家は但馬の豪族に過ぎず、すなわち山名家がたまたま但馬を治めていたから従っているだけの仲なのである。といっても、山名家が但馬・因幡・伯耆を治めているのは南北朝時代辺りにまで遡れ、最早但馬・因幡・伯耆において山名家はほぼ絶対の存在であった。
これで国運を賭けた播磨征伐に失敗していればまた違ったことにもなったのだろうが、彼達は順調に播磨の征討に成功した。故に、本国である但馬の国衆の子孫が今なお播磨地方に名士・地主として残っているのである。
……話を戻そう。垣屋家は土屋党の出であり、土屋党は鎌倉時代の頃から山名家に仕える陪臣の御家人であった。ここで少し詳しい方は「いや、山名家は鎌倉時代の頃は民百姓同然の生活をしていたはずだ、家来を持っているわけがない」と仰る方もいらっしゃるかも知れない。しかしそれは根本的にある一点を以て間違っていると言わざるを得ない。なぜならば、山名家は御門葉という鎌倉の御家人の中でも選ばれたエリートであり、この「御門葉」という立場はなんと足利氏と同じである。ゆえに、山名時氏が民百姓同然の生活をしていたというのは難太平記を記述した人間が不当に貶めたものに過ぎず、更に言えば山名家の祖とも言える義範の最初に叙任された官位はなんと伊豆守である。これが何を意味するのか。伊豆国とはご存じの通り源頼朝が配流されていた地であり、そこの国司ということはある種親衛隊的な立場を山名氏は期待されていたということである。
ここで勘の良い読者の方ならば私が山名家を贔屓しているから牽強付会をしたと思われるかも知れない。確かに、思考の傾向としてそれがあるのは否定しないが、上述したことは概ね事実である。故に、山名家は鎌倉時代の頃から既に家臣を率いることが可能で、その家臣を持って行った結果、但馬国の守護代に但馬の土着国衆ではなく鎌倉時代の頃からの家臣の生き残りである垣屋氏に務めさせたということがどうやら真相のようだ。
……ここまで、前提を説明したが、上に書かれた豊遠の発言は、その山名家との仲を維持したまま、垣屋家が山名家の家臣ではなく同僚となるという事実であり、それは一々説明されるまでもなく栄誉なことであった。だが、続成はそれに対してあまり良い表情をしなかった。それは、なぜなのか。
「……それがし、垣屋の苗字に愛着があるのですが……」
……彼は、垣屋の家名に対してかなりの愛着を持っていた。無論それは前近代では当たり前の感情ではあったのだが、続成の垣屋という家名に対する愛情は、多少度を超していた。故に、その家名を自分の代で変更することに抵抗があったようだ。
とはいえ……。
「……まあ、そう言うでない。これが栄誉なことであるのは、おぬしとて理解は出来るだろう」
孝知が更に続成を諭す。続成もまた、それ自体はきちんと理解できており、更に言えば垣屋家が山名家より円満的に独立できるとあっては、千載一遇の好機であり、更に言えば家臣団の補充さえ宛てがあれば十二分に楽観視して良い状況であった。
……だというのに。
「……それは、わかっております、ですが!」
続成は、なおも反駁した。なぜ、彼が山名家からの独立を喜ばず、却って返上しようとしたのか。それは……。
「……なんじゃ、案があるのか。それとも、情か?」
なんともやれやれ、といった様相で続成の意見を引き出す豊遠。とはいえ、続成を頭ごなしにやり込めては家中の不和が囁かれることもあり、更に言えば続成は理を以て説けばきちんと理解し、言うことを聞く子供であったことから、彼は意見を聞き、それを説き伏せることで説得しようとしたようだ。
「……情もあります、ありますが……、我等だけ独立しては、妬みを買いましょうし、そもそも我等の家臣団、そこまで充実しておりましょうや? ……更に言えば……」
そして、続成は懸念事項を並べ始めた。その、内容とは……。




