第華(13)章:魚住城 03
「……今、なんと申した?」
耳慣れぬ地名を聞き、思わず聞き返す俊豊。それに対して斎藤は、それが秘匿情報であることも知らずにつらつらと返答した。
「若は石山の地を渇望しております。とはいえ、現状は空手形でございますが故、他に無いか聞いてみたところ、生野に銀山があると申しまして」
……後に、それを話したことを聞いて怒るよりも先に呆れた孫四郎であったが、彼は石山の地を、より正確に言えば旧難波宮や古墳の存在した遺構を活用した本願寺の城塞を欲していた。無論、それ自体は領土欲の一環であろうと思われるが、彼は何故か本願寺に対しての敵対意識が高く、ひょっとしたら石山を欲しがったのも本願寺を畿内より追い出すための行為、だったのかもしれない。
「……確かに、摂河泉は非常に肥沃ゆえ、ほしがるのは無理も無いが……」
この当時、まだ石山本願寺の城塞都市は本格的に建築されてはいないが、「抜き難し南無六字の城」と称される石山本願寺は既に存在しており、それを奪うという行為は本願寺だけではなく、近隣の大名家も敵に回す行為であった。
「……さすがに、この状態のまま細川とまで敵対するのは拙うございます、それに……」
「……皆まで申すな。……それでは尚更に、多田の銀山を与えた方が良いな」
ひとまずは、多田銀山を与えることによって前線基地を築かせ、東への防人となって貰おうと算段する俊豊。そして、孫四郎は東への防備としてだけではなく、積極攻勢に出ることからも判る通り、この当時山名家という存在は垣屋孫四郎、後の続成にとって非常に盤石の踏み台であった。
……だが、実は多田銀山を与えるという行為も、野放図に何の問題も無い訳ではなかった……。
「恐れながら」
「……なんじゃ」
「川辺郡を始め下郡は……」
実は川辺郡を始めとした豊島、川辺南部、武庫、莵原、八部などの分郡は赤松家ではなく細川家にも属していた。よくある両属体制であり、細川と赤松ならば同じ鞍であるから両属でも問題は無かったのだが、これが山名と細川であれば話は違ってくる。とはいえ、応仁の乱が終わったばかりであり山名と細川がかねてよりの和睦交渉をしていることもあって表面上は敵対勢力ではなかった。……少なくとも、この当時に於いては、だが。
「……ああ、わかっておる。とはいえ、境目には誰かを入れねば拙い」
境目とは、要するに紛争地帯の国境線であるが、そこに代官などを入れない場合、容易に他国からの侵掠の憂き目にあった。何せ、読者世界の今川義元はその境目の手入れの最中に死んだのである、逆に言えば当主が出向かなければならないほど、境目の所領というものは重要なのであった。
「……しからば……」
そして、悩む俊豊に対して斎藤又三郎はある興味深い提案を行った。その、内容とは……。
「……斎藤とやら」
「ははっ」
「それは、おぬしの案か」
思わず、斎藤に問い直す俊豊。無論、それが孫四郎の案であるのならば相当な驚異であり、逆に斎藤であればよく練られた案であるとその場で褒めるつもりだった、が。
「……若君の予備案で御座います」
……孫四郎はまれに見る「驚異の人」であった。まあ無論、逆浦陰霊であり、年齢適性とは言い難い知性を発揮できるのは当たり前ではあったのだが、そんなことは彼らにとって知る由も無い事であり、故に後に残る史料には外側からのみの証言を纏めた結果「驚異の人」「古今未曾有の傑物」などと書かれるわけだが、それは今は置いておこう。
「……孫四郎とやら、底知れぬのう。……然らば、孫四郎には元服式を待つように伝えて参れ。所領も、元服式の際に下令する」
斯くて、数え三歳に過ぎぬ孫四郎は、早くも元服式が確定した。本人は後にその事実を知るや「……筒井順慶?」という謎の人物を告げたという。
「ははっ!!」
「ところで斎藤よ」
そして、孫四郎の話題が一段落したことを確認した後に俊豊は斎藤に次の仕事を依頼することにした。無論、斎藤も主である豊遠へそれを連絡する必要があったのだが、主の主か主のどちらを優先するべきかと言えば、無論前者であった。
「ははっ」
「逗留中、もう一仕事してもらうぞ。豊遠には宜しく伝えておくでな」
「……ははっ」
文明十六年十一月下旬、山名家は事実上播磨を支配した。だが、その支配はあくまで赤松家が衰退したから成立しているだけの消極的なものであった。そうこうしているうちに備前に浦上則宗が戻ってくるとの一報によって、備前の国衆は露骨に山名家に反抗し始めた……。
「一同、面を上げい」




