第雪(11)章:魚住城 01
文明十六年十一月中旬、斎藤は伝馬制度もまだ構築されていないにも拘わらず異例の早馬を駆使し魚住の前備、即ち山名俊豊が在所している城内へ駆け込んだ。俊豊はまだ惣領ではないものの、惣領である政豊は遙か彼方である但馬より進軍中である。更に言えば、俊豊は政豊の嫡子であり嫡男である常豊が床に伏している現状、万一のことを考え決めておかねばならぬ予備案の相続候補でもあった。充分な代官と言えよう。そして門番も垣屋家の手の者である斎藤又三郎の顔は知っており、更に首桶を馬の両側にたらしていることから急使であることを察知し急ぎ城門を開けた。まだ夜も明けきらぬ寅から卯の刻にかけてのことである。
「なんじゃ、騒々しい。用件によっては儂はまだ寝ているとでも言っておけ」
あくびをかみ殺しながら寝床より這い出す俊豊。無論起きてはいるのだが、布団とは冬の間非常に強い兵器となりうる存在である、この当時まだ充分な防寒具や防寒機能のある家というものが存在しない以上、冬に朝遅くまで布団にくるまるというのは後世ほど贅沢な時間の使い方とも言い難かった。だが、その用件とは彼の眠気を追い出すのに非常に有効な情報であった。
「それが、殿。……垣屋が手の者、斎藤又三郎が赤松惣領政則並びに三木城主別所則治を討ち取ったと申しておりまして」
「何っ」
たちまち、寝ぼけ眼から覚醒する俊豊。その情報の価値は、まさに値千金といえた。
魚住城評定の間にて、斎藤又三郎は陪臣の身にも拘わらず山名俊豊に拝謁していた。その横には豪勢な首桶が少なくとも五、六は存在し、更に腰に結びつけた書状は分厚かった。
「その方、面を上げい」
あまり機嫌の良さそうな顔ではなかったが、用件が用件である、敵惣領の首級献上というものはそれだけ重要なものであった。
「ははっ」
一方で、板床に平伏したまま返事をする斎藤。陪臣とはいえ大身の陪臣である、さすがに地下に平伏させるのは拙いと思ったのか御殿の中には入れたとはいえ、陪臣である以上畳や、まして平伏せずに返事をするのは憚られた。
「……さて、赤松ずれを討ち取ったそうじゃな」
「はい」
「首実検は済んだのか?」
首実検が済んだかどうか聞くのは、二重確認の手間もさることながら、首級とは生肉であるからいずれ腐敗することもあって、様々な手続きを省略するためでもあった。
「はい、間違いなく赤松政則の首級に御座います。隣にあるは別所則治の首級、さらに隣には……」
斎藤が持参した高級首桶は少なく見積もっても十指に余る数であり、有馬の変によって名のある武者を数多く仕留めたことを意味していた。
「一々読み上げんでも良い。……良かろう、首級は此方で使わせて貰う。豊遠らには後程褒美を渡すが故、おぬしは暫し魚住に逗留せよ」
途中で斎藤の言上を遮り、なぜか不機嫌そうにする俊豊。とはいえ、大戦果には違いなく、これだけの首級を晒せばさぞかし播磨の国衆は震え上がるだろう、ということは明らかであった。それに対して斎藤は反駁した。それは……。
「恐れながら」
「なんだ」
「三木城が首級と交換の開城要請に応じませなんだ。急ぎ、とって返して城攻めの軍に加わる必要が御座います」
……それは、出発の際の現状であり、また斎藤もただの軍使ではなく垣屋家の一翼を担う部将であったことから、三木城が未だ降伏しないとあっては播磨制圧のためにも攻め落とす必要が存在するので、加勢に戻る必要が存在したからだ。……だが。
「……律儀よの。しかし、それはならん。……豊遠には伝えておくが故、逗留せよ」
……だが、俊豊は斎藤に対して逗留命令を下した。思わず更に反駁しようとする斎藤に対して、俊豊は重ねて逗留命令を下した。
「しかしっ……」
「逗留せよ。赤松政則の最期なども詳しゅう聞く必要があるし、相手に見せる必要が存在する。……陪臣のおぬしに逗留を告げる時点でこの程度は察せ」
「……ははっ」
山名俊豊がなぜ斎藤又三郎に逗留を命令したか解りづらい方のために解説すると、彼はつまり斎藤に対して一旦報告の役目を全うせよ、ということと同時に、赤松政則や別所則治などの名のある武将をどこに晒し、誰に見せるかということを計算し始めたのだ。無論、それを成し遂げた垣屋家に渡す褒美を数える準備も兼ねて。孫四郎は軽い気持ち、というよりは必要だから熾した軍事行動に過ぎなかったが、この当時敵の惣領を暗殺するという手柄は非常に希なものであり、困難な任務の代表例であった。そして、それを成し遂げた孫四郎は厭が応にも渦中に巻き込まれていく……。




