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輝鑑 後世編纂版  作者: 担尾清司
第一部第一話:高品位書生、戦国時代にて先祖に復り垣屋孫四郎として身を立てるのこと

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第漆(7)章:有馬の変 06

「ふう、良い湯であった」

 湯から上がり、体を拭い始める政則。急いで世話係の小姓が駆け寄るもそれを制した則治は政則に近づき、声を掛けた。

「殿、これから如何なさいましょうや」

 「これから」、その「これから」が宿に入っての食事などといった内容ではないことは明白であった。これから播磨奪還のためにどのような作戦を練るか。そしてその作戦を実行するためにどのような指示を出すか。その会議であった。……だが。

「うむ、そうじゃのう……」

 思案し始める政則。だが、彼に残された思考の持ち時間は残りわずかだった……。

「殿!敵襲でございます!」

 突如として、全身に矢を生やし血をだくだくと流した甲冑姿の武者――それはどう見ても小姓とは言い難かった――が政則の眼前に転がり込んできた。少なくとも、彼が持ってきた一報が吉報ではないことは確かであった。

「は?」

 隠密裏に行動していたはずの赤松政則に襲い掛かった敵襲とは、もう言う必要も薄いが……無く垣屋宗続が率いる山名家忍者衆による奇襲であった。先ほど政則の眼前に転がり込んできた甲冑姿の武者に続いて駆け込んできた歩哨にも矢が多数刺さっており、もう一刻――この場合は、唐でいうところの1/100日を表す一刻であり、後代の2時間とは異なる――の猶予もないといえた。

「どこの手勢だ!」

 赤松政則の代わりに歩哨に問うは別所則治。最悪の事態まで考え、彼は政則の甲冑を着込み始めた。

「山名家は垣屋が手の者と考えられます!」

 答えるは先程矢が刺さったままここまで駆け寄ってきた歩哨。発言する度に口元から血が流れていることから、最早幾ばくも無い余命を全て使い、ここまで駆け寄ってきたらしい。彼の死を無駄にしてはならない。そう思い則治は崩れ落ちるその歩哨の眼前で政則の甲冑を着込み終えた後、こう告げた。

「殿、それがしが影となり申す、急ぎお逃げ下され!」

「頼んだぞ!」

 ……斯くて、別所則治は死地へと飛び込んだ。


「赤松政則これにあり! 手柄を欲するものは急ぎ参れ!」

 別所則治はわざと主君、赤松政則の名を名乗って赤松政則の甲冑を着込み、赤松政則の馬に乗って垣屋宗続が率いる奇襲部隊に乗り込み――現代風に言えば、機動部隊(この場合は騎兵)により機先を取り相手の部隊がどれほどのものかの偵察を行う戦術――を試みた。……とはいえ、ここまでは垣屋孫四郎の手のひらの上に過ぎず、少なくとも孫四郎はここで敵が迎撃を行い多少の動揺を誘ってその隙に逃げ出すことまではきちんと演算に入れていた。そのために、彼はわざわざ奇襲作戦で本来してはならない派手なちからいくさ(・・・・・・)、すなわち強硬行動をとったのである。そう、彼が今から行う戦術、それは……。


「さて、ここまでは予想通り」

 かすかに敵の行く末を嗤い、鉢金を締め直す孫四郎。多数の汗をにじませているにも関わらず、その表情は朗らかであった。

「孫四郎よ、本当に逃がすのか?」

 問いかけるは、一応は奇襲部隊の隊長であるはずの宗続。彼にしてみれば、今討ち取ったほうが楽なのではないか、そういった塩梅であった。しかし、孫四郎は答える。

「あれが赤松政則であるはずがありませぬ。どうせ何某かが影として名乗っておるにすぎませぬし……」

「し?」

「あれが仮に本当の赤松政則であったとしても、ここで討ち取るのは得策ではありませぬ」

 ……孫四郎は、眼前の赤松政則を名乗る人物が家来の何某(名前までは知らなかった)が殿しんがりとして影を務めているだけであることをすでに見抜いていた。そして、仮にそれが赤松政則であったとしてもここで逃がすことに問題はなかった。その、苛烈なる戦法とは……。

「どういうことだ」

「当初の作戦通り、敵の旗本を一人ずつ削っていき格好の地まで誘い込み、赤松政則が丸裸になった頃合いを見計らって討ち取ります」

 ……そう、孫四郎はなんとあえて相手を散り散りに逃散させることによって赤松政則が単独で逃げているところを数に任せて一気に討ち取るつもりでいたのだ。

 ゆえに、赤松政則の身代わりになっているであろう影を務めている旗本や城代などといった、赤松家を継げそうにない人物はあえて逃がしてしまい、赤松惣領家の断絶による播備作の確実な奪還を目論んだのである!

「……いいだろう、とはいえ、あの影らしき武者も討ち取るぞ」

 眼前の赤松政則の影(・・・・・・)が名のある城代であることを見抜いたのか――まあ、そもそもこの場において赤松政則の身を守る人物は旗本や城代、小姓などの本陣勢力であり読者世界でいうところの桶狭間の戦いに等しい状況であったのだが――あるいは単に手柄首を討ち取っておいて損はないと考えたのか、それは定かではないが、勝ち戦で少しでも勝ち点を拾っておくのは戦術の基本であった。

「それは、ご随意に」


「どうしたぁ!山名家の山猿共は単騎駆け一人組み討てぬ腰抜け揃いか!」

 なおも、眼前の兵が潜んでいるであろう森林に対して挑発を続けて赤松政則が逃げる時間を稼ごうとする別所則治。

「おのれぇ、言わせておけば!」

 そしてそれに対して、さすがに奇襲隊も手練れとはいえ木石ではないのか、いきり立った人物がちらほら出てきたようだ。


「……前の方では戦闘が始まりましたな。それではこの場は任せまする、急ぎ追いついて下され!」

 そして、孫四郎はこの場を父宗続に依頼するや手練れの中でもとびきりの精鋭を引き連れ、有馬街道を脇に臨む間道を駆け抜けた。奇しくもそれは、読者世界の神戸電鉄の走る線路にほぼ等しかった……。

「おう」

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