第參(3)章:有馬の変 02
「お前、今なんと申した?」
有馬郡に行ったことがある。それは山名家の今の立場を考えた場合、自殺行為と言えた。だが、それは事実であった。ではなぜ孫四郎は敵地偵察の死間を成功させたのか。
「……有馬温泉の近くならば、行ったことが御座います。……もう、それがしの正体をお忘れでございますか」
……当たり前だが、孫四郎、を現状操縦している子孫の時代に至るまで日本は内戦を経験していたわけではない。彼は平成の人間である。平成の頃に有馬温泉に行ったとしても、特段観光自慢程度にすらなるかどうかあやしい話であり、彼が行った有馬温泉も特段記述することのない平凡な温泉旅行であった。
「……いや、しかし……。……それは、まあ確かにそうかもしれんが……」
宗続は、如何に孫四郎を人質としている子孫が有馬温泉に行ったことがあるといえど、今と未来では地勢も異なるであろうことを指摘しようとした。だが、その予想は大きく裏切られることとなる。
「第一、それがしの時代にもあの地はそこまで栄えておりませなんだがゆえ」
「……なんだと?」
それは、神戸市の中でも北区や西区が史実こと読者世界の平成においてまだまだ都会とは言い難く、令和になってもそれが変わりそうにない地区だからなしうる裏技であった。これが東京などの関東地域や同じ神戸だとしても表六甲などであれば今と昔では開発や埋め立てなどにより全く違う土地に変貌しているため不可能だからだ。……そしてそれは今、孫四郎にとって非常なる奇貨となった。
「……有馬郡だぞ?繁栄しておらんはずがあるまい」
宗続の予想は、いわば「温泉街である以上未来にはさぞかし今以上の繁栄をしているだろう」という、中世人の限界と未来への期待が入り交じったものであった。だが。
「いえ、神戸港近辺……この時代だと兵庫津ですか、の繁栄ぶりに比べれば、有馬郡は寒村も良い処にて」
それは、孫四郎の中にいる子孫の素直な感想であった。東京市はもちろんのこと、大坂市と比べても神戸市は決して都会とは言い難い。無論、表六甲こと東灘区から垂水区に至るまでの区域は五五年震災の前は勿論、震災より暫くした後も時の大臣が国防軍を早期に救難命令によって展開したこともあり、都会と言えるだけの規模は保っている。……だが、有馬温泉は北区に存在し、北区や西区といった、「表六甲」に対比して通称「裏六甲」と呼ばれる地域はこの当時とあまり違いは無かった。無論、文明に浴している以上本当にこの当時と何ら違わぬ寒村が広がっているわけではないが、彼の目からすれば、建造物や政治形態が近現代化しただけの田舎に過ぎなかった。
「……莫迦な」
双方の脳裏に広がる寒村の風景は異なるものの、逆に宗続にとっては兵庫津がそこまでの繁栄をしていることが、そして有馬郡ともあろう所がそれに比して成長していないことが信じられなかったのだ。
「……まあ、その話は今は置いておきましょう。先程申し上げましたとおり、有馬の地は比較的地勢を知っております。赤松政則を討ち取るならば、今が絶好の機です」
孫四郎はここに、信長を待たずして信長以上の世を作ることを宣言した。彼は後に宗教戦争を巻き起こす対一向宗用の諸兵器を使う時と違い、赤松政則に対しては何の怨みも無い。否、敵勢の情報を聞いた際に赤松という苗字を知った際に若干討つことを迷った程度には、何かしらの情も存在した。だが、赤松政則が復帰して蔭木城を襲い、垣屋一族を覆滅することを知っていても尚、それを傍観するような態度は行わなかった。
「……良いだろう、父上にはそう話しておこう。して、孫四郎、いや、背後にいる自称子孫よ。具体的な算段は立っておるのか?」
「自称子孫」、即ち孫四郎に宿った「軍神」こと富良東大権現に対して、なおも存在を狐狗狸の類いではないかと疑う宗続。それに対して、本当に気づかぬのか、あるいは気づかぬ振りでもしているのか、孫四郎は「作戦ならば先程言ったんだが」という態度を見せ、二度も言うのが面倒なのかこう言った。
「……先程述べた通り、有馬温泉より近隣の温泉宿に宿泊している赤松政則を討ち取るのならば、伏兵作戦が最も効率的かと存じますが」
「……それ以上は、さすがに考えておらぬか。いいか孫四郎、作戦には成否がある。……失敗した場合、どうなると思う」
それを聞いた宗続は、なんともやれやれ、といった態度で、孫四郎の浅慮を指摘した。だが、孫四郎もさすがにそこまでの考慮はしていなかったのか、あるいは宗続らが討ち取られたらそれも計算の内だったのか、こう返した。
「はて、赤松家には既に浦上則宗による別人が立っておりましょう。それと食い合わせれば宜しいのでは?」
この当時、浦上則宗は政則を廃して赤松氏一門である有馬則秀の子、慶寿丸に家督を継がせるように幕閣と交渉しており、それ自体は2月に却下されていたもののそのような騒動が起こること自体、播磨の国衆が割れている証拠だと判断して傀儡政権を樹立して赤松家を乗っ取る算段であった。だが、それはさすがに浅慮に過ぎ、宗続もまた「机上の空論だな」と思い直し、次のように告げた。
「……よかろう、そこまでしか考えておらぬのであれば、後程失敗した場合については此方で考慮しておく。……恨むなよ?」
何を以て「恨むな」と言ったのか。実はこの時、宗続は孫四郎を政治的ないけにえにして事態の突破を図ることを考えていた。結果的に赤松政則は討ち取られたため沙汰やみとなったのだが、後にこの事実を知った続成は一族というものが如何に脆いかを思い知ったという。
「何を、でございましょうや」
「質問に質問で返すな! ……まあ、そういうことだ。引き続き御屋形様の小姓任務、怠るでないぞ」
「ははっ」
……そして、山名家は本格的に播磨の地へ根を下ろすことになる。後に垣屋続成が天下人となる際にその地盤は、確りと踏み台となるのだが、それを知る者はまだ誰も居ない。