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輝鑑 後世編纂版  作者: 担尾清司
第一部第一話:高品位書生、戦国時代にて先祖に復り垣屋孫四郎として身を立てるのこと

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第貳(2)章:有馬の変 01

 時は文明十六年、太陽暦に直して2144年の暮れのことである。去年から始まった松田元成の手引きによる山名家総力を挙げての播備作奪還戦が軌道に乗り始めた。その軍勢はおよそ三万と伝わり、大軍に兵法無しの言葉通り相手の何倍もの兵力を以て攻めた結果は誰の目にも明らかなほどで、お家騒動の真っ最中だった赤松家を緒戦において粉砕、赤松家惣領である政則は大怪我を負い行方不明となる大勝利であった。

 だが、ここで赤松政則を討ち取れなかったことが仇となった。浦上則宗などはこの大敗北を目の当たりにした結果政則を見捨て別の赤松家惣領を担ぎ上げたりはしたものの、赤松政則は死んだわけではない。そう、政則は堺へ逃げ延びて京洛にて細川政元にかくまわれ、今や有馬郡に身を潜め越年後に復讐せんと息巻いていた。そのことを知る者は、この世において赤松政則およびその近臣以外では、たった一人しかいなかった……。


「孫四郎、孫四郎はおるか」

 孫四郎を呼ぶは父である宗続であった。彼は垣屋家当主であり、即ち山名家において第一家臣とでもいうべき存在であったが、それに甘えることなく更に勲功を積んでその地位を盤石なものにすべく励んでいた。もし目の前の嫡子が神懸かりではなく狐憑きの類いであったとしても、それを骨の髄まで利用し、いざとなれば切り捨てることまで考えていた。その一方で。

「なんでござりしょうか、父上」

 孫四郎と呼ばれた少年はこの数え三つの齢にしてもう並の子にはできないほど整った話し方をしていた。まあ、前回話したとおり彼は若くして死した代わりに逆浦転生をし、偶然同じく五黄の寅に生まれた先祖に呼ばれて早くから操縦を任されていた。とはいえ、実は続成やこの逆浦転生者だけではなく、本来この周回を務める孫四郎も中にはおり、三人が集まった状態であるのだが、それはまあ、おいおい説明していきたい。

「おお、相変わらず奇妙なことばかりしておるのう。

 ……いよいよ、仕事の時間だ。本当に赤松ずれは有馬の湯におるのだろうな?」

「ええ、前に申した通りでございます」

 前回述べたとおり、この時期に赤松政則は有馬郡にて息を潜めており、着々と播磨へ侵入し山名家からかつてのようにまたぞろ播備作を奪うべく策を練っていた。まあ、元々播備作は赤松家が累代に亘って治めていたという経緯があり、故に赤松家が嘉吉の乱で改易されてからの「新参者」である山名家から播備作を奪うのはたやすいことと思われた。……少なくとも、この時までは。

「まあ、それならば間違いは無い、か……。惣領閣下に忍者衆を借りた。どう使うかはお前に任せる。……できないなどといまさら言うなよ?」

 口調は疑問形であったが、その裏には明らかに「できないなどとは言わせんぞ」といった脅しが入っていた。だが、それに対して孫四郎はすっとんきょうな方向の質問を返す。

「……こんな子供の命令、聞きますかね?」

 それは、宗続も一瞬「こいつ、本気か?」という虚を衝かれたほどの返答であった。それは、「命令の内容」ではなく「命令する人間の立場」の心配であった。

「……いやまあ、指示は儂か父上から出す形にするから心配するな。お前は策を出せばそれで良い。しかし……その返答ということは自身の策に自信を持ってないと言えんな」

「ええ、それでは話しまする。……まず、赤松の惣領が有馬温泉にたむろしているというのは先ほど申し上げたとおりですが、これを暗殺するに当たって威風堂々と有馬街道近辺を通るのは得策ではありません。早晩バレましょう。むしろ間道を使い抜け道を駆使して少人数の精鋭部隊を隅々まで巡らせましょう」

「なるほどな、……その口調だと、間道の場所もわかっておるのだな?」

「はい、有馬近域の地形は覚えております。まず、有馬街道がこう敷かれており有馬温泉をこことするならば伏兵を置くべき地点は以下のようになります。まず、大池は古々山峠、次に、花山坂、あるいは谷上に軍勢をおびき出して、小部峠と古々山峠から挟み撃ちにするという手もあります。そもそもが相国入道が作った福原京から有馬温泉までの道なのですから軍勢を貯めておく場はいくらでもあります。そこに集合させておき有馬街道以外の場所を通って伏兵を間道抜け道に置いて街道周囲に敷き詰め、敵を有馬街道を通るように誘い出し一斉に襲いかかるのです」

 碁盤の上に指を這わせ、不規則に白い碁石を置き、そして黒い碁石を白い碁石の周りにいくつか置く。どうやら、白い碁石が軍勢を伏せ置く地点で、黒い碁石がその伏せ置く部隊の数のようだ。……孫四郎の策、それは一言で言うならば多数の伏兵による殲滅戦であった。ちなみに専門用語で、それを十面埋伏の術という。

「ふぅむ、有馬の湯の周辺はそうなっておるのか。……よう知っておるのう。それも書か?」

「いえ、実際に行ったことがありますので」

「……なんだと?」

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