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輝鑑 後世編纂版  作者: 担尾清司
いざ、城闕崇華の世界へ!
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前口上  =いざ、城闕崇華の世界へ!=

戦国時代。それは勇猛果敢な猛将とそれを手駒として操る権謀術策巧みな知将、そしてそれをも飲み込む天運の持ち主が駆け抜けた日本史上でも類を見ないほどの荒れ狂う大海原。

だが、ほとんどの人は桶狭間から本能寺、良くて関ヶ原までしか知らないという方が大多数ではないだろうか?無理もない。戦国時代はある男によって終わったといっても過言ではないからだ。


織田信長、それがその男の名前である。


ここに一冊の書物がある。信長公記である。信長の家臣、太田牛一が書いた日記帳の一部であり、今日の信長像の建設の土台といっても差し支えない書物である。

だが、たとえ戦国を終わらせた君主、信長の一家臣といえど見える風景には限界がある。現に首巻とはいえ信長公記原本には桶狭間は天文年間とすらかかれている。


では、歴史は何も語らないのか?いやそうではあるまい。


もし、たら、れば。一見意味のない繰り言に聞こえるだろうが、これは思考実験や文学には欠かせない調味料である。いわば塩のようなものだ。IFのない作品など、この世にはありはしない。当たり前だ。IFのない文章はただの記録なのだから。


そこで当方では、このようなもしもを考えてみた。


「もしも、織田信長以前に天下取りや合理的思考、世界を相手取れるだけの大戦略を考えるだけの人物が存在したのなら?」


もちろん、そのような人物は歴史上にはいないと言ってもいい。しかし新武将を作るというのでは少々塩分過多だ。ではどうするか。未来から魂魄だけでも引っ張ってくればよい。ちょうど日本には著名な武将の子孫だと語る人物は結構な割合で存在し、その中でも結構な割合で本物は存在するからだ。


あとはそこから数十年ほど早い天下取りを仕掛けてしまえば信長がどう動くか、見物ではないだろうか。

斯くして、応仁の乱よりせいぜい数年しか経っていない「ある時期」にその起点を設置してみた。

皆々様のお口に合えば幸いである。

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