逃走
江崎との密会を終えた種村はひとり新宿の夜を歩いていた。
心配性な後輩は送っていくと言ってきたが、あの生っちょろい後輩よりも自分ははるかに多くの修羅場をくぐっている。銃弾飛び交う戦地では命の危険など日常茶飯事、その自負が彼女にはあった。
そうした彼女が江崎から得た情報を頭の中で整理しつつ歩いていると、声をかけてくるものがいた。
「おっ! どうしたのお姉さん! 暇してるならウチの店に寄ってかない?」
それはいかにもホストと言った感じの軽薄そうな若い男だった。
種村がそれを無視して歩いていると、その男はしつこく食いすがる。
「ねぇねぇいいじゃんお姉さん!」
種村の背後からしつこく声をかけてくる男に、種村はため息交じりにこう言った。
「こんなおばさん相手にしても楽しいこと何もないでしょうに」
「えー! そんな事ないない! 超美人だよお姉さん!」
男はそう言ってなれなれしく種村の肩へ手をまわそうとして――
「それとも、何か別の目的があるのかしら?」
鋭い視線と共にかけられた冷たい言葉に、男のその手がピタリと止まる。
「目的ー? さて? 一体何――」
バチリと、薄暗い通りに、火花が散る。
「がッ⁉」
男の脇腹にいつの間にか押し付けられていたスタンガンから放たれた電撃は、スーツ表面に焦げを作り、男は脇腹を押さえつけるように手を当てた。
「てっ……めぇ」
そう怨嗟の声をあげる男をよそに、種村は一目散に駆け出していた。
(常人なら確実に気絶する程度に出力を上げた一撃だが)
種村はスタンガンの感触を確かめつつ、チラリと背後を振り返る。
そこで彼女が見たものとは。
「ひゅう♪」
それを目にした種村は思わず口笛を吹いた。
バリバリとスーツを引き裂き膨れ上がる男の体。
その身長は目算で2m、全身は体毛でおおわれており、その両手には尖った鎌が存在していた。
(半信半疑ではあったけど、こんな証拠を見せられちゃね)
自分一人を脅すのに、あんな手の込んだ仕掛けは必要ない。銃でもナイフでも持ち出した方がよっぽど手軽だ。
(となれば、アレがアイツにとっての銃替わりなのね)
異形の体を暴として使う存在。
(なるほど、アレが妖怪って奴ね)
種村は冷静にそう判断しつつ、全速力で夜道を駆ける。彼女が着込んだ容量過剰なミリタリージャケットには様々な仕事道具が入っている。先ほど使用したのもその一つ、機械が持ちこたえる限界まで出力を上げたスタンガンだ。
(とは言え、アレに耐えられたんじゃ余り打つ手は残ってない。ここは逃げの一択ね)
海外を渡り歩いて培った抜群の方向感覚で、慣れない道をすいすいと進む。だが、ここは人通りが少ない入り組んだ路地裏だ。アラームを鳴らして呼び寄せられるのはやじ馬より先に敵の方。
と、種村が何度目かの曲がり角を曲がると――
「あッ⁉」
足がもつれて、種村はアスファルトをゴロゴロと転がった。
「くそっ、この程度……で……」
体力維持には気を使っている、この程度走ったところで転ぶなんてありえない。
そう思った彼女だったが、遅れてやって来た未体験の痛みにサッと全身から血の気が引いた。
否、それは単なる比喩表現ではなかった。
「くッ!」
種村は痛みを押し殺し、ギリと歯を食いしばる。
彼女は足をもつらせたのではなかった。正確に言えば、もつらせるための足が片方、アスファルトに転がっていたのだ。
必至に歯を食いしばり、止血のためベルトを使って太ももを縛り上げる種村。そんな彼女の元へ、妖が近寄ってきた。
「けけけ。おめえらが何かコソコソやってるのはとっくの昔に把握済みなんだよ」
抵抗のできない種村へ向かい、一体、また一体と異形のモノが集まってくる。
「ひひひ。おめぇは人間の中じゃ新聞屋とかいう影響力のある部類なんだろ?」
下卑た笑みを浮かべる妖に向かい、種村は不敵な笑みを浮かべてこう答える。
「はっ? ブン屋? そんなものは当の昔に止めちまったよ、私はひとりのジャーナリストだ」
「そうか、まぁどうでもいい」
妖の一体はそう言って手をかざす。
バリと火花が路地を照らした、先ほどの種村のスタンガンとは比較にならない規模電撃が失血多量で真っ白になった種村を黄金に染める。
「けけけ。おめぇらはコソコソとカメラとやらで覗き見する奴らなんだろ? だが、その機械が雷に弱いごとぐらい、俺たちだってよく知ってる」
ニヤニヤとそう笑う妖、その視線の先には、あちこちにあるポケットからブスブスと煙を上げる女の姿があった。
「ひっひっひ。人間ではあるが、名ありの人間だ。これの首を持って行けば、少しは上の覚えがよくなるってもんだ」
妖の一体は、そう言って地面に横たわる種村へ向かい歩を進め――
「やれやれ、小娘一人に寄ってたかって」
差し込まれた少女の声に、妖の足はピタリと止まる。
「あ? なんだテメェは?」
妖は声の主をギロリと睨みつける。そこに立っていたのは、さらりとした金髪を腰まで伸ばし、黄色の服を着た隻腕の少女だった。
少女は多数の異形から向けられる殺意に対して、自信満々にこう言った。
「かかか。誰かと問われれば答えて進ぜよう。我こそはかつて京の都を震わせた大妖怪、茨木童子その鬼なるぞ!」
そう言って大きく胸を張る少女。
「茨木……童子……だと?」
「うむ! 貴様らザコでは話にならん! 我が名を畏怖せよ! そして尻尾を丸めて逃げ出すがよい!」
カラカラと大威張りでそう笑う茨木童子。それに対して妖達は――
「構う事はねぇ! 人間如きに片腕奪われ逃げ帰ったザコ鬼だ! これだけの数が居れば屁でもねぇ!」
そう叫ぶなり雪崩を打つように襲い掛かってきた。
「なっ⁉ なぬ⁉ 我は茨木童子ぞ⁉ 大江山の総大将ぞ⁉」
「いったい何時の話をしてやがる!」
不可視の刃が飛んできて、雷の雨が降り注ぐ。
「うにゃ⁉」
怒涛の攻撃に、茨木童子は頭を抱えながらちょろちょろと逃げ回る。
「くそっ! 妙に素早いぞ! 囲め囲め!」
ポンポンと狭い路地裏をピンボールのように逃げ回っていた茨木童子だったが――
「ここだ! 死ね!」
妖の一体はそう叫ぶと、鋭くとがった爪を振り下ろし――
「邪魔」
冷たくかけられた声とともに、その頭がポロリと転げ落ちた。
「なっ! 何をしておるかりんご! 我、絶体絶命だったぞ⁉」
「アンタこそ何してんのよこんなところで? アンタ弱っちいんだから大人しく引っ込んでなさいよ」
「何を⁉ 我は大江山の――」
茨木童子の抗議を無視して、りんごは背後を振り返る。
「薄汚いゴミども、抵抗も逃走も好きにすればいいわ。まぁ……出来るならね」
赤いスカジャンが路地裏へ翻る、一瞬ののち、そこに立っていたのは日本刀を携えた少女ただ一人だった。
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