掃き溜めみたいな世界の中で
「まぁ、という事なんだ」
事のあらましを語り終わった江崎はコーヒーカップに注がれた玉露で一息入れる。
そして、話を聞き終わった雅宗院の反応は――
「……おいおい、与太話ってレベルじゃねぇぞ? なんか変なヤクやってんのか?」
と、旧友に対し不信を通り越して不安げな口調でそう言った。
「残念ながらこれがまた本当なんだよね」
そう言って肩をすくめた江崎は給湯室の方のドアへと声をかける。
「ってなわけで、出番だよ。なつめちゃん」
「はぁ……まぁ、状況は理解できますが~。正直ボクには不向きな案件なんですよね~」
お呼びが掛かったなつめは、けだるげに返事をしながら、ポリポリと頭をかきつつ姿を見せる。
「ん? なんだこの小汚い娘は」
そう、ストレートな罵倒を発する雅宗院に対し、なつめはヘラヘラと笑ったまま彼の前まで歩をすすめる。
「あ~どうも~。まぁボクが証拠って奴っす」
「はぁ?」
雅宗院の目の前でけだるげに立つのは、ぼさぼさの茶髪を腰まで伸ばしやぼったい丸眼鏡を掛けた十把一絡げの田舎娘。
そのやる気のなさそうな少女は、ヘラヘラ笑いながらこう言った。
「まぁ言ってもボクは半分って所ですし、火も吐けなきゃ変化もできないんですけどね~。ボクしかいないんでしょうがないですが、不適材不適所もいいとこっすよ~」
なつめは「蟹さんたちも海じゃなきゃ呼べないし」とぶつくさ言いつつ、何か思案に更けるように小首をかしげる。
そのあからさまに不審な様子に、雅宗院が眉根を寄せていると。ようやく結論が出たらしいなつめは雅宗院に手を差し出した。
「あの~ちょっとご協力をお願いしたいんっすけど~」
「……んだよ」
「まぁちょっとした~ですね。芸を見せますから~それで判断していただければな~と。
ってなわけで、ちょっと小銭貸してくれません? あ~もったいないから10円でいいっすよ?」
いまいち要領を得ないそのお願いに、雅宗院はいぶかし気な顔を浮かべたまま、言われた通りに10円をなつめへと渡す。
「あ~どもです~」
それを受け取ったなつめは、10円をテーブルの上に直立させると――
「んじゃ~、種も仕掛けもありませんってことで~」
なつめはそう言いながら、手を横へ伸ばす。
「ん? あ?」
と、雅宗院は間抜けな声を漏らす。
先ほどまで、目の前のけだるげな少女は何も持っていなかったはずだ。
だが、横へ伸ばされた彼女の右手には、いつの間にか鈍く輝く薙刀が握られていた。
「おっ、おいガキ、それは、いつ――」
「んじゃ~行きますよ~」
雅宗院の呟きなど聞こえないとばかりに、なつめは――
キンと甲高い音がした。
雅宗院に認識できたのはそれだけだった。
真横に延ばされていた筈のなつめの手はいつの間にか正面に、もちろん正面にあるのは手だけではない、鈍い輝きを発する薙刀もテーブルの上でピタリと置かれていた。
「な……に……を?」
何かが起こった。いやこの小娘が何かをやった。
雅宗院は今まで築き上げてきた常識を総動員して分析を行おうとする。
しかし、その常識は目の前に置かれたそれの前にあっけなく崩れ去ることとなった。
テーブルの左右に分かれた江崎といちご、それぞれが拾ってきた物は――
「な……んだ……と?」
それは表裏でキレイに断ち切られた10円玉だった。
「いや~りんごさんだったら、三枚おろし位やってのけそうですけどね~。ボクじゃ背開きが精々です~」
けだるげにそう語る目の前のナニカ。
そして目の前にある、半分の薄さになった元10円。
10円を半分に折り曲げる。という事ならまだ理解できる、力自慢にありがちなパフォーマンスだ。
だが、10円を表裏で断ち切る。
それに必要とされる力と速度と精密性。
そんなものが人力で出来ると言う常識は彼の中には存在していなかった。
「マジ……かよ」
雅宗院はそう言って二つに分かれた元10円に手を伸ばす。
切断面は鏡面処理されたようにまっさらで、まるで新品の銅鏡の如く自分の顔を映し出していた。
「これを……テメェが?」
「まぁそっすね~。今ボクに出来る人外アピールで分かりやすいのはこれぐらいかな~と」
そう言ってなつめはヘラヘラとした笑みを浮かべる。
雅宗院は二つに分かれた元10円をギリと握りしめ、少し震えた声で江崎へ向かってこう言った。
「なるほど……なかなか大層な与太話じゃねぇか」
★
「くくく。妖怪、それも九尾の狐と来たか」
この国の人間ならだれでも知ってるビッグネーム。
だがそれは所詮はフィクションの中での存在だと思っていた。
「そう、ソレがこの国の中枢に巣くう諸悪の根源。厚生労働事務次官、玉汐前の正体だ。
奴の狙いは日本各地へと張り巡らせた封印を解き、本来の力を取り戻すこと。
もし、奴がソレを成しえたら、この国はどうなるのか。想像することさえできない」
重々しい口調でそう言う江崎に、なつめはヘラヘラ笑いながらこう言った。
「まっ、ろくなことにならないのは確かっすよね~」
少し前までは、その九尾の狐が操る駒の一つとして活動していたなつめである。
九尾の狐の力とやり方についてはこの中の誰よりもよく知っていた。
絶大な力を持ちつつも、回りくどい手段を好む倒錯性。
人間の妬み嫉み怒り悲しみなどの負の感情を誰より好み、堕落に落ちる人間の背を押すことを何よりも得意とする破局製造者。
(あのまま元ボスの手駒のままじゃ、ボクに待っていたのも破局だけ。だからあそこでフェードアウト出来たら最高だったんですけどね~)
覆水盆に返らず。己の詰めの甘さを心の中で嘆きつつ、なつめは傍観者として3人のやり取りを眺める。
「なるほどな。それで嬢ちゃんのさっきのセリフか」
「はい、私は命を狙われています。だったらむしろ衆人環視と言う防壁があった方が生存確率は高いんです」
闇から闇に葬り去られるのを避けるため、あえて表立って行動を行う必要がある。その計算もあってこその製作者アピールだといちごは言った。
「それは確かだ……だがよ」
そう言いよどむ雅宗院へ、いちごは少し疲れた笑みでこう言った。
「大丈夫です。人と違う事をやって注目を浴びるのはよくある事でしたから」
その達観した笑みに、雅宗院は苛立ちを隠そうともせずにこう言った。
「ああそうだ。九尾の狐なんて訳わかんねぇ存在が居ようが居まいがこの世界がクソったれなことは変わりねぇ。
人間なんてどいつもこいつも下らねぇ。自分の力不足を他人に押し付け、やることと言ったら陰口叩くか、足引っ張るかだ。
いっそこの掃き溜めみてぇな世界をぶっ壊せたら、そう思ったことは一度や二度じゃ全くもって足りやしねぇ」
そんな呪いの言葉へ、いちごは柔らかな笑みを浮かべてこう言った。
「確かにこの世界は奇麗なものじゃないのかもしれません。
だけど……それでも」
悪意にまみれた人生だった。
絶望と諦めに染まった人生だった。
だけど、そう、けど、だけど。
「泥の中でも咲く花はある。
偽りの光でも、暗闇を照らすしるべとなる。
私は――前に進みたいんです」
いちごは雅宗院の目をしっかりと見据えてそう言った。
「はッ! ほざくじゃねぇかガキ」
「はい。私は戦うと決めたんです」
挑発的に口をゆがめる雅宗院に、いちごは迷うことなくそう返す。
「……良いだろう、どうせ墓場まではもっていけねぇあぶく銭だ」
「じゃあ!」
「俺様に任せんだな、とりあえず1億。アホどもがどれだけ群がっても絶対に落ちやしねぇサーバーを用意してやる」
雅宗院は不敵な笑みを浮かべそう言ったのであった。
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