八
台風が過ぎ去ったばかりの夕暮れの空は、カーネリアンみたいな色をしていた。
その空にむかって、銀色の、おおきくて優雅なホテルがそびえている。
六車線の通りをひとつ挟めば、広東風の書体の、猥雑な看板やネオンがあふれていて、好対照というより、もはや人間社会の不平等を思わせるレベルに達していた。高校生に相応の服装をした僕たちは、パリッとした身なりの大人たちに混じって、その不平等を誇示するような高級ホテルの、回転扉をくぐった。
アジア風の黒を基調にしたロビーを過ぎて、スケルトンのエレベーターに乗り込み、暮れなずむなか、蛍みたいにひかりを灯しはじめた大都市を見下ろしながら、地上二十五階のホールへあがる。籠をおりておおきな扉を抜けるなり、僕たちは社員さんやほかのチームのディフェンダー使い、その他の関係者たちから、万雷の拍手で迎えられた。
「これくらい当然よね」と、蘭はあごをあげて悠々と歩いている。
「損失額を必死に試算していたところが、賠償金をぶん捕って即日決着したんだからな」と、エイジは言った。「本社の重役たちがご機嫌なのもあたりまえだ」
「ボーナス出るかな」とカオリ。
「マスコミっぽいひともいるね」と、めぐみが一角を指さす。そのあたりからしきりにフラッシュがあがっていた。
ヒカルはおじさんやお姉さんたちに囲まれ、声をかけられて、照れくさそうにしている。たぶん、ディフェンダー使い、それも、僕たちのチームが編成される以前に所属していたチームのひとたちだろう。そんな雰囲気を感じる。
「どうも蓬莱日々新聞の陳宣潔と言います」いきなりボイスレコーダーを持った眼鏡の男に声をかけられた。「ローゼンタール支社ビルを襲撃されたということですが、本当ですか。あの台風では、ヘリなんか飛びませんよね。ビルのなかでなにが起こっていたのですか」
僕は返事に戸惑った。すると、エイジが割り込んできて、
「ノーコメントだ、取材は会社を通してくれ!」
と、悪いことをしてマスコミに追いかけられている人みたいなことを言った。
「そちらのかわいいお嬢さん、なにかご存知では」と、記者はカオリにレコーダーを向ける。
「やだもう、かわいいだって。もってるんだから」と、カオリは自分の腕にふれる。
「ほら、行った行った」と、エイジは記者を追い払った。
僕とエイジはさっそく、バイキングに群がって小皿に山ほど北京ダックだの上海蟹の蒸したやつだのの高級料理を盛り、ガツガツと食べ始めた。すぐに、ヒカルが合流してきた。
「その蟹はどこにあったんだ」と、僕たちのコマンダーが気色ばんで言う。
「あっち」と、僕が指さすと、ヒカルはまっすぐに駆けていった。
「うめえ、マジうめえ」と、エイジは口のまわりをソースだらけにして言った。
料理にひととおり箸をつけて、ふと気づくと、僕は仲間からはぐれて一人きりになっていた。知っている人がどこにもいない。すこし心細くなりながら、バルコニーへ出ると、蘭が錬鉄のおしゃれなベンチにすわって文庫本を開いていた。
読書の邪魔をするのは悪いかなと思ってためらっていると、蘭のほうが僕に気付いて声をかけてくれた。僕は彼女のとなりに腰をおろした。
「この小説、ほんと、趣味わるい」と、蘭は顔をしかめた。「面白いからって勧められて買ってみたんだけど、最悪。空間に裂け目を見つけた男が、現実世界のリアリティを疑い出して、あちこち『剥ぎ』だす話なんだけどさ、あんたもう読んだ?」
「読んだ」と、僕は言った。「その頃、空間バグに巻き込まれていたりしたから、他人事とは思えなかった」
「この小説、じつはAIが書いたんだって。でも編集部はそれを伏せて、人間が書いたみたいに装って販売したの。知ってた?」
「ほんとに」
「最近のAIって、ほんと、バカになんないわね。そのうちプロットと設定を入力すれば勝手に小説を執筆してくれるアプリとか出てくるんじゃないの。なんだか恐ろしいわ」
「そうだね……」
「ねえ石上、あんたさっき、この小説のこと、他人事とは思えないって言ったじゃない」
「うん」
「わたしもなのよ。この世界はじつは仮想現実で、どこかのAIが構築したシミュレーション空間だったりするんじゃないか、って妄想することがあるの」
「分かる」
ディフェンダーというオーバーテクノロジーの兵器、チェルシー・ロジャースという人工知能、そして空間バグ。それらは、もしこの世界が仮想現実で、すべてはデータで、僕たちはAIに管理されているAIだとすれば、うまく説明がつく。その可能性を考えてみたことはあった。
「あんた、もしそれが事実だとしたら……この小説の主人公みたいに、それを暴きたいと思う?」
僕はそう言われて、考え込んでしまった。
いま体験していることが、じつはすべて虚構だったとしたら、切なすぎる。生きる意味を見失ってしまうかもしれない。
「でしょ。この小説の主人公にはリアリティがないのよ。リア充なんだとしたら、どうして虚構を暴く必要があるの。わたしだったら、そんなことは絶対にしない。この世界を信じて生きていく」
蘭はため息をついて、宝石を散りばめたみたいな夜景に目をむける。
「じつはわたし……見ちゃったの、空間の裂け目を。仮想現実のゲームの処理落ちみたいなやつ。部屋のクローゼットを開いて、それに気付いたのよ。むこうからこっちを覗く眼はなかったけれど、その裂け目を覗き込んでみたら、どこまでも闇が拡がっていたわ。中に入ってみようかと思ったけれど、戻ってこれなくなると困るから、やめておいた。翌朝になったら、裂け目はなくなってた。駅の女子トイレでも、おなじものを見たわ……」
「う、うそでしょ」
「ほんとうよ。それで、もしかしたらこの世界にはとんでもない秘密があるのかもしれない、すべては虚構なのかもしれないって、気になりだして、いてもたってもいられなくなって、あれこれ調べてみたの。たとえば、遠洋漁業の船は、ちゃんと日付変更線をまたいでいるのか、とか。わたし、船に設置されたカメラの映像に、細工がされていることに気付いたの。解像度と比較して、色調の変化が微妙に荒いのよ。その細工を取り払って、実際の映像を再現してみたわ。それがこれ」
蘭のワイルドキャットから動画ファイルが送られてきた。
僕は唖然とした。海が途中で断絶して、そのさきは黒塗りの闇で覆われていた。
「蓬莱島から半径百キロを過ぎると、全部こうなってる。たぶん漁船はこの『世界の果て』までくるとAIによる簡易処理を受けるんだと思う。乗っている人ごと、強制的に停止させられて、数日後か、数か月後かは知らないけれど、乗組員つまりAIはにせの記憶を植え付けられ、船倉にはどっさりと魚が詰め込まれて、漁船は意気揚々と港に帰ってくるの。海外旅行や貿易なんかも、たぶんおなじ」
「これ、ほんとうなの……」
「嘘ついたって、仕方ないでしょ」
「………」
「それから、この島の地下には大規模な素粒子だか重力波だかの実験施設があるって、聞いたことあるでしょ。それが空間バグの原因になっているって」
「うん」
「じつはそんなもの、ありゃしないのよ。わたし、徹底的に調べて、それがデータだけの存在だと確認したの。あんた、掘り出された膨大な量の土砂はどこにいったと思う。どこにもない。それに、国会図書館の蔵書なんかもね、古いものはすべて白紙の状態で保存されているの。誰も興味をもたないようにAIが設定しているから、文字を埋めておく必要がないわけ。そんなメモリの無駄遣いなんかする意味がないってこと」
蘭はため息をつき、泣きそうな顔つきで夜空を見上げた。
「この世界が仮想現実だったとして、じゃあ、実際の現実世界はどうなっているか。あんた、知りたくない?」
「うん……」
「これがたぶん、それ……」
蘭はブラウザに、画像を表示させた。
砂色のどんよりとした空。赤黒い荒涼とした大地。そのずっと彼方に、墓石を連想させる高い建物が、歯の欠けた櫛みたいに並んでいた。
どこにも、生命の気配がない。
「現実の地球は、環境破壊と核戦争で、ほとんど人が住めなくなっているみたい。作物は育たず、資源もほとんど枯渇しちゃった。そのせいで、この仮想世界を維持するのも、難しくなってきているらしいわ」
「どうしてそれが分かったの」
「この仮想現実空間を管理しているのは、チェルシー・ロジャースっていう人工知能なんだけれど、そのチェルシーに敵対している反政府系の人工知能があるのよ。ズィグールっていうの。それが教えてくれた。もっとも、かれが本当のことを言っているのか、それともわたしをだまそうとしているのかは、分からないけれど、でも、少なくとも、ズィグールには、わたしにそんな手の込んだ嘘をつく動機なんか、ひとつもないのよね……」
僕はヘリのなかで、チェルシー・ロジャースと話をした。彼女は墜落しそうだった状況を持ち直したのだから、少なくともAIとしてとても優秀には違いない。たしか、ローゼンタールのやっていることが大嫌いだと言っていたが、それなら自らの手で止めればいいのだ。なぜそうしなかったのか。そのときは、おそらく彼女は聡明な人工知能で、人類に必要以上の介入をするのは適切でないと考えているのだろうと思っていたけれど、じつはそうではなく、そもそもこの世界が、シミュレーションのために存在しているからではないのか。気に入らないからといって、いちいち介入していたら、実験にならない。
僕は呆然として、ホールのパーティーの模様をふりかえった。
すべては、つくりごとだったのだ。
めぐみやお母さんも、それどころか、この僕も、ただのデータの集まりに過ぎない。目のまえの蘭でさえ、この美しい景色でさえ。
僕はまぼろしを相手に、踊らされていたのだ。
この世界で経験したすべての感情には、裏付けがなかったのだ。
いままでのことは、いったい、なんだったのだろう。
「ばかね!」とつぜん、蘭が言った。「あんた、だまされやすすぎでしょ」
「え」
「いまのはぜんぶ、わたしが作った出任せだから。このネタで小説を書いて、出版社に送ろうかと思ったのよ。それで、どこまで迫真性があるのか、試してみたの。でもあんたじゃテストにならないわ。なんですぐに信じちゃうの。ばかなの」
「ええー……」
「やっぱりあんたにアナライザーやコマンダーは無理ね。未来永劫、バトル担当をしていなさい。それから、あやしい宗教とかセールスに声をかけられたら、すぐにわたしに相談するのよ。わかったわね」
「う、うん……」
僕はぼうぜんとして、蘭を見つめた。このひとには一生かかっても勝てない気がする。
「望月さん、根はすごくいい子なのよ」と、夕海は言った。「たぶん、頭の回転が速すぎるのね。それでつい、へんなことを思いついちゃうのかも」
「あいかわらず、加減を知らんやつだ」と、ヒカルは呆れたように言う。
けれども、僕はふたりに説得力を感じなかった。これだけ人が集まっているなかで、ヒカルは夕海を膝のうえに乗せて、腕をまわしていた。そうしてときどき見つめ合い、キスをする。
おおきな懸案が片付いたことからくる解放感があるのはわかる。けれど、それにしても、の感がいなめない。
クラウディエッジやタービュランスの関係者たちが、ふたりの傍を素通りしていく。眼を背けるのではなく、無視するみたいに、だ。僕なら、それを恐ろしく感じるだろう。ふたりがいま、していることは、尋常のことではないのだから。
「ねえ、ヒカル」と、夕海は若い彼氏の首に腕をまわす。「わたし、あなたの膝に乗っていたら、身体が熱くなってきちゃったわ。……じつはね、もう、部屋をとってあるの」
僕がいるということを、忘れているんじゃないか。
「おいおい、ここをどこだと思っているんだ。しかも、俺の大切な仲間の目のまえだそ。おまえのような品性下劣の女にはお仕置きをしてやらないといけないな」
「あら、今日はどんなことをしてくれるの」
「知りたいか」
付き合っていられない。僕は椅子を返した。後ろから、唇を重ねるいやらしい音がたちはじめ、やがて夕海が吐息を漏らしはじめた。
「……じゃあ、部屋にいこうか」
「……うん」
振り返ると、夕海は泥酔したみたいにヒカルにもたれかかっていた。
ホールの歓談のざわめきが、僕に孤独を感じさせた。
なにか僕のまわりに薄い膜があって、人々と僕を絶対的に隔てているような、そんな感じがした。膜の外側で起こっていることには、僕にはなんの関係もない。そうして椅子のうえでうなだれ、じっと床の凝った模様を見つめた。
そのラインを、ぼんやりと、あみだくじみたいにたどっていて、ふと、妙なものに当たった。
裂け目……?
まさか。僕は椅子を引いた。床の幾何学的なラインに沿って、黒い切れ目ができている。そこから、灰色の瞳がこっちを覗いていた。
いくら瞬きをしても、目をこすっても、裂け目は消えない。
僕はホールを走って出た。そうしてトイレの個室に飛び込み、便器を抱え込むようにして、胃のなかのものを逆流させた。喉が焼けるようだ。洗面台で口をゆすぐと、鏡には、むかしの僕が映っていた。あの団子みたいな鼻に、パンパンの顔。額は汗まみれで、パーカーの胸のあたりは血を吸って赤く染まっていた。
僕がイケメンなわけがない。これがありのままの姿なのだ。
顔を洗い、頭から水をかぶると、いきなり地震が起こった。立っていられないほどの、強烈なやつだ。しかし、妙だ。僕の傍を、スーツの男が平然と歩いてゆく。床といっしょに揺れているせいで、かえって揺れを感じないのだろうか。
トイレの照明が激しく点滅している。
僕は洗面台につかまって、なんとか立ち上がったところで、悲鳴を聞いた。若い女性のもの、それも……たぶん、カオリだ。
ほとんど這うようにしてトイレを出て、そこで恐ろしいものを見た。女子トイレの出口あたりで、めぐみがカオリに馬乗りになって、めった刺しにしている。長い黒髪をふりみだし、顔は幽鬼みたいに青白かった。鮮血が散って、めぐみの頬にかかる。
床に、おおきな血だまりができていた。
カオリは、すでにぐったりしている。
「レイくんのことを好きでいていいかって? いいわけないだろうが! このメス豚!」
めぐみが絶叫している。
「や、やめなよ……めぐみん……」
呼びかけると、めぐみは真っ赤にそまった手をとめて、おもむろに首をまげ、僕を見た。
「ねえ、きみは、このメス豚とわたしと、どっちが大事なの……」
たちあがり、僕に迫ってくる。
「なにをする気……」
全身血だらけのめぐみは僕のすぐそばに膝をついて、悲しげに顔をゆがめ、
「レイくん、お願いだから、わたし以外の女にさわらないで。わたし以外の女としゃべらないで。……わたし以外の女を見ないで!」
ナイフを振り下ろす。僕は右目に激痛を感じて、悲鳴をあげた。
気が付くと、僕はベッドのうえにいた。
ホテルの医務室のようだ。
「あんた犬じゃないんだから、拾ったディフェンダーをほいほいインストールするんじゃないわよ」
目のまえで、蘭が、銀色の四角いオブジェを指でつまんでぶらぶらさせている。なめらかな表面に、十字が刻まれていた。……デッドマン・ウォーキングだ。
身を起こすと、ドアの傍の壁に、エイジがよりかかっていた。観葉植物を挟んで、ヒカルが簡易椅子に腰かけている。隣のベッドには、めぐみとカオリが並んで座っていた。
「ああそうか……僕では耐性不足だったんだね」
ディフェンダー・システムは、高度なものほど高い耐性が要求される。つまり、デッドマン・ウォーキングは僕が扱える代物ではなかったということだ。それで脳が不調を起こしたのだろう。
「いや、そうじゃない」と、ヒカルが言った。「ヤン・パオロンが対精神のウィルスを仕掛けていたんだよ。自分以外の人間がインストールしたら発狂するように、ってね」
「危なかったんだよ」と、めぐみは怯えたように言った。「レイくん、スプーンで自分の目をえぐりだそうとしていたんだから。わたしが見つけたの。もう、どうしていいか分からなくて……」
「呼ばれてかけつけて、すぐに原因が分かったわ」と、蘭は言った。「こいつ、デッドマン・ウォーキングをスキャンもかけずにインストールしたんだわって。すぐにあんたのディフェンダーに侵入してアンインストールを指示したから、無事に済んだけれど、あと一分遅かったら、あんたのただでさえややこしいキャラ属性に、隻眼の項目が加わっていたわよ」
「あ、ありがとう……」
「ウィルスはわたしが除去しておいたけれど、念のためインストールするまえに、システムを初期化したほうがいいわ。それから、メーカーの仕様書くらいは、ちゃんと確認しておきなさい」
「う、うん……」
「俺たちは先に帰るよ」と、ヒカルは言った。「遠野が残ってくれるそうだから、落ち着いたらふたりで帰ってくればいい。なんだったら、泊っていってもいいし。会社のひとに頼めば、部屋を取ってくれると思う」
「からかわないでよー」と、めぐみ。
「だれもひとつの部屋に泊まれなんて言ってないぞ」
「あっ……」
「ほら、更科もいくぞ」と、エイジ。
「あたし行くね」と、カオリはすこし淋しそうに言った。
「うん、気をつけて」
僕たちを残して、仲間たちが出ていくと、めぐみは僕のそばに座り直して、
「わたし、カオリがなにを考えているのか分からない……」
「どうしたの」
「とぼけないでよ」めぐみは長い黒髪を躍らせて、僕をにらんだ。「カオリから、レイくんに気持ちを伝えた、レイくんのこと諦めないから、って言われた……」
「めぐみんは、それになんてこたえたの」
「せいいっぱい微笑んで、わたし負けないからね、って。でも、ほんとうは……」
「更科は、僕がめぐみんのこと好きだって、ちゃんと知ってる」
めぐみは悲しげにうつむいて、
「未来のことは、だれにもわからないよ。レイくんの気持ちが、いつか、カオリに移っちゃうかもしれないでしょ。だってカオリ、かわいいし」
「………」
「わたし、レイくんが寮に来た日から、カオリに殺意を感じているの。いつか、我慢できなくなるかもしれない」
「もうやめよう。めぐみんらしくないよ」
僕はさっきの生々しい幻覚を思い出して、背筋が寒くなった。
「らしいとか、らしくないとかって、なに」めぐみの声には強い苛立ちが滲んでいた。「わたし、けっこう病んでるんだよ。更科カオリって名札をつけたちいさなお人形さんを作って、毎晩、針でちくちく刺してるんだよ。レイくんが知っているのは、わたしのほんの一部なんだから。……いつかレイくんは、ほんとうのわたしを知って、嫌いになるの」
僕は、いまにも泣きだしそうなめぐみを、後ろから抱きしめた。
めぐみは身体を固くしていたけれど、すこしずつ緩ませ、僕の腕に手をそえる。
僕たちは、しばらく、そうしていた。
そのあいだ、僕はずっと、扉のうしろに浮かびあがった、空間の裂け目を見つめていた。
その裂け目が、僕に真実を知りたくないかと問いかける。
「どうでもいい……」と、僕はめぐみの耳元にささやいた。「きみはきみ、この世界はこの世界だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「レイくん……」
「僕はきみが好きだ。この世界が好きだ。それだけはっきりしていればいい」
めぐみは僕の腕に頬をおしつけた。
(了)
お読み頂きありがとうございました。
本作品は、電撃二次落選「死んで花実が咲くものか」、GA文庫二次落選「南風のアティス」、を一部改稿したものです。
誤字の指摘を下さった方に感謝申し上げます。