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WarHead  作者: のりお
7/8

 僕は激しい雨音を聴きながらベッドのうえで何度も寝返りをうち、ほとんど一睡もできずに朝を迎えた。

 午前七時のニュースによると、蓬莱島のほぼ全域が暴風域に入ったとのことだった。この調子だと、高校は休校になるに違いない。僕は部屋着のまま、ラウンジへ降りていった。

 寮のドアが開きっぱなしになっていて、すぐ外に、ワゴン車がとまっていた。そこから、レイン・コートを着た社員のひとたちが戦闘服や銃器、機材のようなものをおろし、寮のなかへ運び込んでいる。

 タービュランスとローゼンタールの話し合いは、決裂したらしい。

「おはよう」と、声をかけられて振り返ると、寝ぐせで銀メッシュの髪をぼさぼさにしたヒカルが、眼をこすりながら立っていた。きっと、抗争に突入することを念頭に、遅くまで情報収集や仕込みをしていたのだろう。

「妖怪アンテナ」と、僕は言った。

 ヒカルは手ぐしで髪をとかしながら、栄養補給用のゼリーを含んだ。そうしてカウンターに腕をのばし、小さな金属のケースをとって開き、僕に向けた。

 なかには、記念メダルのような、銀色のオブジェが納まっていた。

「会社に取り寄せてもらった」と、ヒカルは言った。「レイ、ディフェンダー・システムはこれを使ってくれ。きみの大好きなジャック・ポットだ。こいつは出荷されたままの状態ではリソースの再編成のスピードにすこしばかり難があるが、その点はすでに調整済みだ」

 僕はそのオブジェをとって、

「いいの?」

「ああ」

 僕は七六式にアンインストールを指示しようとした。

「ちょっと待て」と、ヒカルは言った。「七六式とジャック・ポットを両方、インストールしておいてくれ。レイほどの耐性があれば、問題なくできるはずだ」

「どうして、そんなことを」

「敵はきみに突出した才能が、つまり大きなリソースがあることを把握している。そのうえジャック・ポットのようなハイ・スペックで操作のむずかしいディフェンダーを入れていれば、きっと警戒するだろう。だいたい、あれはトリッキーな戦いかたをする勝負師的なディフェンダー使いが好むものだからな。他方、七六式は、とても扱いやすいし、堅実にいくならもってこいのディフェンダーだが、お世辞にも強力なシステムとは言えない。そっちをメインにしておけば、敵はきっと、コイツまだディフェンダーの扱いになれてないし、とくべつなにも企んでいないだろうな、と考える。つまり、カモフラージュさ」

 ヒカルにはすでに、なにか大きなプランがあるみたいだった。僕は言われたとおり、ふたつのディフェンダー・システムを脳と脊髄に常駐させて、切り替えの練習をはじめた。ジャック・ポットを起動させると、左の上腕に浮かんでいた馬の頭の模様が消えて、カジノのチップを重ねたような図柄が浮かぶ。ジャック・ポットをオフにして七六式をオンにすると、そのチップが消えて馬の頭が現れた。

「いい感じだ」と、ヒカルは言った。「普段は七六式を起動させておき、ジャック・ポットは切り札として使って欲しい」

「わかった」

「もう気付いただろうけれど、レイには難敵に当たってもらうよ。同期してくれ」

 ヒカルは空間にウィンドウを呼び出して、三十代から四十代くらいの、軍服を着た東洋人を映し出した。

「こいつはヤン・パオロンと言って、もとは汎アジア機構の陸軍大尉で、特殊部隊のエースだったが、三年前に軍を辞めて経営コンサルタントになった。こいつがローゼンタールの上層部にとりいって、タービュランスに買収を仕掛けるよう、けしかけている。ローゼンタールがタービュランスを吸収合併すれば、資本の規模において、最大手のグレイハウンドと並ぶ。そこへ持っていくための前段階として、タービュランスに抗争を仕掛け、弱らせようとしている、という訳だ」

 ようするに、と言ってヒカルはゼリーを飲み干し、ゴミ籠にほうって、

「このヤン・パオロンという胡散臭い東洋人を殺せば、お花畑で夢を見ているローゼンタールの重役どもの目も覚めるに違いない。でな、この男はデッドマン・ウォーキングというかなり強力なディフェンダーをインストールしている。周囲のプロセッサをじわじわと乗っ取って自身のリソースに組み込み、加速度的にリソースを膨張させるという、チート並のスキルを持っているんだ。しかし、それだけに、自分の腕とディフェンダーの性能を過信しているところがある。レイがうまく素人ぶって接近戦に誘い込めば、充分に仕留められるはずだ」

 ただ、とヒカルは険しい目つきになって、

「こいつが周囲のプロセッサを完全に支配したらもう終わりだ。圧倒的なリソースをもって押し切られ、防御フィールドや情報障壁を破られてしまうことになる。その点はくれぐれも注意しなきゃいけない」

「わかった……」

「戦闘服に着替えてくれ。俺はみんなを起こしてくる」

 ヒカルはあくびと伸びをしながら、階段を上がっていった。


 会社の軍用ヘリがホバリングを始めて、三十分が経とうとしていた。

 空間に浮かんだブラウザには、天気図と、降雨量を示すグラフが示されていた。戦闘服のヒカルはそれらの画像とアナログの腕時計を交互に見ている。

「たった十分間でいいんだ、風がもうすこし落ち着いてくれれば……」

 横殴りの雨がフロントガラスにあたって、色あいを失った大都市の景色を歪ませている。突風が水煙をまきあげながらびゅうびゅうと鳴っていた。こんな状況でヘリを出せば、どんなに優秀な自動操縦システムに任せても、まともに飛ばないのは間違いなかったが、だからこそ奇襲になる。

「たったいま、ローゼンタールの支社ビルで、重役会議が始まったわよ」と、別のブラウザをモニタリングしていた蘭が言う。彼女は副支社長の端末への侵入に成功していた。

「かー、連中は休みじゃねえのか。この嵐のなか出社しなきゃならねえ社員どもが哀れだな」と、エイジが呆れたように言う。「典型的なブラック企業だわ、けしからん」

「台風が来たらお休みしてくれるような会社が相手だったら、わたしたちも楽なんだけどね」と、めぐみがため息をついた。

「そのまえに、そういう会社とは間違ってもこんなことにはならねえと思うが」

 僕はそっと、めぐみの隣にすわっているカオリを見やった。彼女は青ざめ、自分の腕を抱くようにして、うつむいていた。

「あんた、気分が悪いならここに残りな」と、蘭がカオリの背中にふれる。

「大丈夫……ありがと……」

「パラシュートは人数分、あるよな」と、ヒカルが言った。「これ以上は待てない、出すぞ」

「仕方ないわね……」と、蘭はうらめしげに窓から空をにらむ。

『悪天候下でのフライトは推奨できません』とヘリの自動音声が言う。

「承知のうえだ」と、ヒカル。「ベストを尽くしてみてくれ」

 ヘリが地面を離れるなり、機体がおおきくあおられて、そりがコンクリートをこすった。

「やばいって、これマジやばいって」エイジが大声をあげる。

 ヒカルは舌打ちをした。カオリが座席から落ちて後部のドアにぶつかる。それを、めぐみが腕を伸ばして引き上げた。

 機体はあいかわらず揺れているけれど、すこし安定してきたようだ。となりの高層ビルがゆっくりと下がっていく。そのむこうに、豪雨の灰色に染まった大都市の風景が、地平線まで拡がっていた。

「……すでに吐き気がしてきたわ」蘭の目元が凍り付いている。

「おい、だれかビニール」と、エイジが声をうわずらせる。

 僕はパラシュートの包装を破って、その袋をさしだした。

「お見苦しいところをお目に入れちゃったらごめんなさいね」と、蘭は言いながら袋をひらいた。「朝ごはんを抜いてきたから平気だろうと思って油断したわ。ちゃんと酔い止めを飲んでくるんだった……うう……」

 カオリが両手の指を茶髪にさしこんで、

「あたしもうやだ……」と、小さな声でつぶやいた。

 それからヘリのなかは、静まり返った。


「この嵐のなかにヘリを出すのはさすがに無理があったか」と、ヒカルは苦々しげに言った。「みんな、パラシュートを装着して、防御フィールドを耐衝撃モードに切り替えてくれ」

 機体は大きく揺れて、ぐるぐると回転し始めた。窓のすぐそこまで、高層ビルの外壁が迫っている。

「おい望月、もっとマシな自動操縦AIはねえのか」エイジが怒鳴るように言った。

「ダメ、見つからない」蘭がすごい顔つきでブラウザをスクロールさせながら言った。「それに、かりに見つかったとしても、切り替えている余裕はないと思うわ。……こうなったらもう、落ちるか、持ち直すかの、ふたつにひとつよ」

「そんな……」めぐみが泣きそうな顔をしている。

 僕はパラシュートを背負いながら、扉のロックに手をかけた。フロントガラスのむこうの世界が、ものすごい勢いで左から右に流れていく。一瞬、高層ビルのガラス張りのむこうに、マガジン・ラックや観葉植物が見えた。

 自動操縦システムが、警報を鳴らしている。

「止むを得ない、レイ、ドアを開いてくれ」とヒカルが叫ぶように言ったとき、

「待って」と、頭のなかで女のひとの声がした。「あたしがなんとかする」

 僕はディフェンダー・システムが外部から操作されたのかと思って、ステータスを呼び出したけれど、ジャック・ポットにも七六式にも、その様子はなかった。

 操縦席に、だれか座っている。

 幽霊だろうか。

 いや、ちがう。ピンクの髪の女性だ。フロントガラスに、うっすらと顔が映っている。二十四、五歳くらいのきれいな人だった。彼女は操縦桿を握り、レバーやスイッチの類を次々と操作していく。

 機体は高層ビルからすうっと離れ、嘘のように持ち出した。

「あ、あの人……誰……」

「どうした、レイ」と、ヒカルが僕を不審そうに見た。

 仲間たちには、ピンクの髪の女性が見えていないらしい。

「そりゃそうよ」と、また頭のなかで声がした。「あたしを視覚化できるだけのリソースを持ってるのはあんただけだもの」

「あなたは……」と、思考で呼びかけてみた。

 ピンクの髪のひとは操縦席から僕をふりかえった。思わず息を飲んだ。お母さんそっくりだった。

「言っとくけど、あたしはあんたのママじゃないわ。あんたのディフェンダーがそういう風に情報を解釈しただけ。あたしはチェルシー・ロジャース。人工知能よ」

 僕はしばらく考えて、その名前を思い出した。たしか、半世紀ちかくも稼働し、だれもその全容を知らず、人類にオーバーテクノロジーをもたらしているという、あれだ。

「どうして、助けてくれるの」

「あんたたちが気に入ったからよ」と、彼女は言った。「それに、あたし、ローゼンタールのやっていることが大嫌いなの。生体メモリとか狂気の沙汰だわ」

 僕はまえからの疑問をぶつけてみた。

「あの、ディフェンダーの技術を僕たちに提供してくれたのは、どうしてなんですか」

「知りたい?」

「はい」

「ヤバい兵器をもたせると、あんたたち世界を滅ぼしちゃうから。でもディフェンダーなら、いくら頭のおかしいヤツの手に渡ってもその心配はないし、そのうえ、人類をオーバーキルしかねないほかの兵器を牽制できる。知らないけど、あたしのシミュレーションでは何度やってもそういう結果が出たの。だからよ」

「そ、そうなんだ……」

「さて、と。ここから先はあんたたちがやんなさい。この世界の主人公はあんたたちなんだから」

 チェルシー・ロジャースは僕にむかって親指を立て、ウィンクをし、グッドラック、と言い、忽然と消えた。


 激しい雨のなか、ヘリが大きく揺れながら、ローゼンタール蓬莱支社ビルの屋上の、Hマークのうえに着陸すると、蘭はドアをおしひらいて我先にと降りていって、袋のなかに顔をつっこんだ。めぐみが追いかけていって、背中をさする。エイジとカオリが、それに続いた。

 ヒカルはバッグを背負い、降りようとする僕の肩にそっと手をかけて、

「更科はあの調子だ。きみの足手まといになるかもしれない。俺たちが連れていこうか?」

「いや、大丈夫。いてくれたほうがいい」

「そうか……」

 エイジが、塔屋のドアのシステムに侵入して、ロックを外す。そうして僕たちは中に入った。みんな、すでにずぶ濡れだった。

「さっき説明したとおり、俺と蘭のふたりで制御室を制圧する」と、ヒカルがみんなの顔を見つめながら言った。「そのあいだ、皆は陽動に動いてくれ。連中の情報セキュリティ部門のトップであるヴァインカウフはすでに蘭の仕組んだアバターに置き換わっている。そのアバターから巧みに情報操作を仕掛けながら派手に動けば、敵を混乱させるのはそう難しくない」

「でもよ、望月まで来ることはなかったんじゃないか」と、エイジが言った。「おまえ、外からでもクラッキングできるんだろ」

「それが可能なら苦労しないわよ」と、蘭は口元をぬぐいながら言った。「軍事会社に喧嘩を仕掛けておいて、ネットワークをスタンドアロン状態に切り替えないバカがどこにいるの」

「あ、なるほど……」

「いちおう確認するけれど」と、蘭はヒカルにむかって、「ヤン・パオロンの所在が分かったら屋上に誘導するってことで、本当にいいのね」

「ああ。プロセッサが山ほど稼働しているビルのなかで、ヤツと戦うのはまずいからな。それに、俺たちはなにより、制御室を制圧しなきゃならない。……ヤツには、屋上でレイとやりあってもらう」

「カオリ、あんた大丈夫?」と、蘭は心配そうに言った。「石上のこと、ちゃんとサポートしてあげるのよ。……なんなら、あたしと交代する?」

「大丈夫だってば」

「さあ、仕事にかかろうぜ」と、エイジが言った。「俺と遠野はワイヤーをつかって窓から侵入し、あちこちで暴れて敵を引きつけりゃいいんだろ」

「ああ、頼む」

 めぐみは、ほんの短いあいだ、僕とカオリを心配そうに見た。僕は彼女に微笑みかけて、

「気を付けてね」

「レイくんも……」

 激しい雨音を破って、ホバリングの騒音が遠のいていく。ドアの窓から、飛び去ってゆく黒塗りの大きな軍用ヘリが見えた。

 それからヒカルと蘭はエレベーターに乗り込み、エイジとめぐみは電波塔にワイヤーを引っかけて、ビルの外壁ぞいに降下していった。

 塔屋のスペースには、僕とカオリだけが残った。彼女は壁に背をあてて、気まずそうにうつむいている。

「頑張ろうね」と、僕は声をかけた。茶髪を雨で濡らした少女は返事をしなかった。

 しばらくして、

「ヤン・パオロンていうディフェンダー使い、かなりヤバいヤツなんでしょ」と、カオリが言った。「あたしたち、捨て石にされたのかもね」

 たしかに、作戦の全体像を見れば、僕たちがいちばん厄介な敵に当たることになりそうなのは、確かだった。

「でも、それを言ったらみんな捨て石だよ」

「そうかな」と、カオリはすくいあげるように僕を見る。「だって、淡河たちはあたしたちが敵をひきつけているうちに重役たちをヤッちゃえばいいんだよ」

「でも、ヤン・パオロンが僕たちの意図を見抜いて淡河たちに向かっていったら、どうなると思う。ヤツには周辺のプロセッサを乗っ取って自身のリソースに組み込むスキルがある。ヒカルたちは、そんな状況で戦えば、たぶん死ぬ」

 カオリは顔をあげた。

「大丈夫、勝算はある」と、僕はなるべく声を落ち着かせて言った。「更科の協力が必要だけどね。きみのロビン・フットには、チャージ機能がある。プラズマを溜めて、スペック以上の攻撃力を生むことができる。きみはステルス機能をつかってこの豪雨のなかに身を隠し、狙撃に専念して欲しい。僕はあいつに侵入を試みて、情報障壁を意識させ、なるべく防御フィールドを薄くするように持っていくから」

「うまくいくのかな」

「ヤン・パオロンには勝てる。僕にはなんとなく分かるんだ」

「どうして」

「僕は格闘ゲームをよくやるんだけど、たいていのゲームには、強いキャラクターと、弱いキャラクターがいる。でね、強いキャラばっかり選んでいるヤツって、大抵、へたなんだ。いつまでたっても、上手くならない。もともと強いから、工夫の必要に迫られない。ヤン・パオロンはたぶんそれ。もっているスキルがチートすぎればすぎるほど、基本的な技術は伸びなくなる。それどころか、退化してしまう」

 カオリは皮肉っぽい笑みを浮かべて、

「ゲームと現実の殺しあいはちがうよ」

「まあ、見てて」

「………」

 窓から雨にけぶる屋上を眺めていると、蘭から通信が入った。

「ヤン・パオロンを見つけたわ。むこうはこっちに気付いてない。いま、餌をちらつかせてそっちに誘導する。……石上、くれぐれも気を付けなさいよ。スペックをすこし見てみたけれど、コイツ、とんでもないわ」

「ありがとう。でも、たぶん大丈夫」

 カオリさえ、手伝ってくれれば。

 僕はチームのガンナーをふりかえって、

「悪いけど、屋上に出て、ステルスしておいてくれるかな。僕、あいつを引きつけてくるから」

「わかった……」

 カオリの表情が、いっそう暗くなった。


 すぐしたの階の通路で、僕はその男と遭遇した。

 画像で見たより、ずっと神経質そうな顔つきをしている。黒い長袍を身につけていた。肩から胸にかけて、銀糸の、鳳凰の刺繍が入っている。

 かれは僕に気付くなり、「やはり、ネズミが入り込んでいたか……」と、言った。「その戦闘服……クラウディエッジだな」

「そっちはヤン・パオロンで間違いないな」

「ほう、俺を知っているのか」と、男はにやりと笑って、「しかし、だとしたら、おまえ、年齢相応に世の中を舐めているな。七六式ごときを入れて、俺のまえにのこのこと出てくるとは……」

 やはり、こいつは天狗になっている。どんなディフェンダーをインストールしているかなんて、本質的なことじゃない。長いあいだ、ギリギリの勝負をしていない証拠だ。僕は、絶対に勝てる、と確信した。

 ヤンに背をむけて走りながら、拡張現実の領域に、負荷をかけて無駄な処理をくりかえすプログラムをばら撒いた。かれは追ってきて、気付かずにそのプログラムを踏み、リソースを消耗させる。そうして階段を駆け上がり、屋上に誘導する頃には、かれはその莫大なリソースをほぼ半減させていた。

 僕は豪雨に打たれながら、七六式をジャック・ポットに切り替えた。すると、男の顔色が変わった。

「そうか……貴様が石上レイだな」

「デッドマン・ウォーキングをアンインストールして足許に置けば、命までは取らない。でも戦うのなら、手加減はしないよ」

「図に乗るな、ガキが!」

 僕はヤンの情報障壁に負荷をかけた。思いの他もろい。ひとつにはヤンが罠にはまったことに気付いて動揺しているためだ。精神的なコンディションを乱すと、リソースに悪影響が生じる。もうひとつはさっき仕掛けた巻き菱がじわじわと効いているためだろう。

 ヤンはようやく情報障壁にリソースを回し始めた。そうして、透明なゼリーみたいな質感の防御フィールドが、みるみる厚みを失っていく。

 僕はカオリに通信を送った。『いまだよ、狙撃して』

 ところが、返事がない。レーダーによると、カオリは電波塔の陰に隠れて、しゃがみこんでいるようだった。

『どうしたの、すぐにチャージに入って』

『だめ……』と、彼女が応えた。

『なぜ』

『プラズマ反応から、ここに隠れていることがバレちゃう……』と、カオリは声を震わせる。『あいつのリソースの量と、ディフェンダーのスペックを見てみなよ。ヤバいって。あたしたち、ぜったいに殺される……』

 どうしてそんなに数字を気にするのか、僕には理解できなかった。いま、この状況でカオリが全力で狙撃をすれば、ヤンを確実に仕留められる。

『大丈夫だよ、あいつはいま情報障壁を厚くするのに手一杯で、光学的にも電波的にも、きみのステルスを暴く余力はない。万一、プラズマ反応に気付いても、手は打てないんだ』

『でも……』

『はやくして』と、僕は祈るような気持ちでメッセージを送った。『あいつが僕の踏ませた巻き菱をとりはらって、リソースを回復させてしまったら、ふりだしだよ』

 カオリはなにも言わなかった。

 僕は憮然として、電波塔のほうを見やった。彼女はもう頼りにならない。自力でなんとかするしかなさそうだった。

 リソースをハッキング中心からプラズマ攻撃メインに大きく再構成して、腰のホルスターからレーザー・ソードのグリップを抜いた。これはディフェンダーと連携して使用者のプラズマ攻撃能力を借り、レーザーの剣を出現させるものだ。僕は水色に輝くそのエッジを、銀の鳳凰めがけて叩きつける。

「小僧め……」と、ヤンは防御フィールドを厚くして鳳凰を守りながら、「歳に似合わん狡猾な真似をする。だが、これまでだ。いま、貴様の脳漿をこの嵐のなかにブチ撒けてやる」

 レーザーに雨があたって、濛々と煙がたつ。その熱気が頬を焼くようだった。僕は耐えかねて、飛びのいた。するとヤンもグリップを抜き、オレンジに輝く剣をふるい、するどく斬り込んできた。

 僕はエッジを激しく交えながら、視界の隅にステータスを呼び出した。ヤンは付近のプロセッサに浸透を開始していた。そうしてリソースをすこしずつ積み上げる。リソースが膨らめば、浸透の有効範囲が拡大する。その循環で加速度的にリソースを増大させていくのだ。

 ヒカルに警告された展開になりつつあった。

 僕は光学ステルスとジャミングを同時に仕掛けて、激しい雨のなかに姿を消し、もういちど情報障壁にアタックを試みた。ヤンは黒い長袍が水浸しになるに任せて、首を左右に巡らせる。しかし、リソースを均等に分配することは怠らない。

 僕はやむを得ず、ふたたび、無駄な処理を繰り返して負荷をかけるプログラムを、バリエーションを増やして、拡張現実空間にばら撒いた。しかし、さすがに相手も、おなじ手にひっかかるほどのバカではなかった。かれは拡張現実へのアクセスを遮断し、プログラムの巻き菱を無効化する。

 やっぱりだめか、と思ったとき、予想外のことが起きた。

 デッドマン・ウォーキングが、そのプログラムに勝手に浸透を始め、リソースを浪費し始めた。たぶん、プログラムの動きを感知して、そこにプロセッサがあると仮定して、侵入する、みたいな処理を踏んでいるのだろう。

 膨張を続けていたものが、収縮に転じた。

 怪我の功名であろうと、形勢が良くなる兆しが見えれば、付け入るに限る。

 僕はウェブ上から次々と巻き菱のプログラムをダウンロードし、それを黒い長袍のまわりに散らした。そうしてヤンはどんどんリソースを浪費していく。勝機はこの瞬間にあると見た僕は、ジャック・ポットにすべてのリソースを情報障壁の突破につぎ込むよう指示した。

 攻撃と防御のソースが情報空間で激しく競り合い、ぶつかり合う。

 うおお、とヤンがうめき声をあげる。網目を突破したプログラムがかれの脳や脊髄に痛みを走らせているのだろう。

 もうすこし、あとほんのすこしで、ヤンの脳が焼ける。

 けれども、情報空間の激闘の模様にばかり気をとられてはいられなかった。ほかが手薄になっている。以前、仮想現実のなかでヒカルにおなじことをやって負けてしまった。いつまでもこんなことをしていれば、敵のかるいプラズマ攻撃ひとつで感電死しかねない。やむなくリソースの偏りをわずかに是正したが、瞬間、ヤンも余力をすぐさまプラズマ攻撃に向けてきた。

 目のまえで閃光が散り、僕は弾き飛ばされた。

「ガキが! もう許さねえ!」

 ヤン・パオロンは絶叫して、右手にひかりを集め、まばゆく輝かせはじめた。僕はただちに防御にリソースを傾けようとしたが、再編成のスピードが異様なほど遅くなっている。部分的に負荷をかけすぎたせいで、処理が滞っているらしい。

 今日、ジャック・ポットを入れたばかりで、脳幹とよく馴染んでいなかったせいかもしれないし、あるいは、七六式と同時にインストールしたことで、ナノマシンどうしが衝突や不和を起こしたせいかもしれない。

 いずれにしろ、深刻な不具合が起こったことに違いはなかった。ただちにジャック・ポットをオフにして七六式を起動させようとしたが、これも遅延がひどい。

 どうやら、これまでのようだ。

 心臓がどきどきと高鳴っている。

 僕は、どうかカオリがヤン・パオロンに見つかりませんようにと祈りながら、灰色の空を見上げ、顔にびたびたと激しい雨を浴びた。

 そのとき、すさまじい光量の輝きが、視界の隅を走った。

 首をまげると、ヤン・パオロンが、豪雨のなか、激しく炎上している。膨大な量のプラズマに包まれたに違いなかった。

 電波塔の傍で、戦闘服を着た茶髪の少女が、てのひらを重ねてヤンのほうに向けながら、肩で息をしていた。

「更科!」

 僕は立ち上がって、彼女に駆け寄った。

 カオリは僕を見るなり、顔をゆがませて、ごめん、とつぶやいた。

「よく頑張ったね」と、僕は言った。「おかげで、死なずに済んだ」

 カオリは水浸しのコンクリートのうえにしゃがみこんで、

「あたし……最低なの……石上が死んだら……めぐみんはどんな顔をするんだろうって……電波塔の陰にかくれながら……そんなことばかり考えてた……どうせ、あたしのものにならないのなら、きえちゃえばいいのにって……でも、やっぱり、石上が殺されちゃうのは嫌……」

 わたしを殴って、とカオリは僕を見上げ、切ない声をあげた。

「そういう教育は受けてません」

「おねがい、あたしを叱って、あたしにお仕置きして」

「じゃあ、これで我慢して」と、カオリの頬をかるく摘まんだ。「次やったらゆるさないぞ、と」

「いひがみ……」

 カオリは声をあげて泣きだした。

 僕は途方に暮れて、カオリの隣にしゃがみこんで、顔をぬぐったり、濡れた髪をかきあげたりした。

 ふと、ヤン・パオロンの焼死体を見やると、傍に銀色のオブジェが落ちていた。十字の刻まれた小さなインゴットみたいなやつだ。もらっても構わないだろう。僕は豪雨に打たれながら歩いていって、それを拾いあげた。

 ゲーマーとしては、強すぎるスキルはいずれ自分を弱くするものと分かっているから、敬遠したいところだったが、ディフェンダー使いとしては興味を抑えられなかった。僕を苦しめたシステムがどんなものか試してみたくて、破損したジャック・ポットをアンインストールし、かわりにデッドマン・ウォーキングをインストールした。いまは戦闘服に覆われて見えないが、左の上腕には十字の模様が浮かんでいるはずだ。

 試運転以前に、ステータスに表示されるスペックを見ているだけで楽しくなってしまう。

 風はごうごうとうなっていた。

 僕はカオリをなぐさめながら、デッドマン・ウォーキングのブラウザをとおして、嵐にけぶる灰色の大都市を眺めた。そのうち、蘭から通信が入った。七六式に切り替えると、雨のなかにウィンドウが切り出される。

「女の子を泣かせてんじゃないわよ」と、いきなり彼女に怒鳴られた。

「ご、ごめん……」

「蘭、ちがうの」とカオリは言った。「あたしが悪いの」

「そんなの関係ないから」と、蘭は言い切った。「男と女がいっしょにいて、女が泣いていたら、百対ゼロで男が悪いのよ」

「そんなむちゃくちゃな……」

 横から、ヒカルが顔をのぞかせた。

「お疲れ。こっちも、なんとか片付いたよ。手打ち成立だ」

「ほんとに!」と、カオリが大声をあげて立ち上がり、ウィンドウに顔を接近させる。「もう抗争、終わったの? あたし生き延びたの?」

「そうよ」と、蘭が微笑んで言った。「詳しいことは帰ってから話すわ」

 カオリは、さっきまでのシリアスな空気を放り出して、得点を決めたフォワードみたいに、ガッツポーズをくりだした。

 僕はその後姿を見つめながら、彼女はこれでいいんだ、と思った。


 僕とカオリは、傘を差しながらゆっくりと近づいてきたローゼンタールの法人営業部の課長という人にやたら愛想よく案内されて、堂々エレベーターに乗ってロビーまで降りていき、エントランスで仲間たちと一緒になり、賓客みたいな扱いでリムジンに乗せてもらった。僕は水浸しでシートを汚しちゃうけどいいのかな、と心配する一方で、もしかしたら拉致されるんじゃないか、トランクにプラスティック爆弾でも積んでいるんじゃないかと、気が気ではなかったけれど、ヒカルも蘭もくつろいでいたから、まあ大丈夫なんだろうと自分を納得させることにした。

 寮の部屋にもどってシャワーを浴び、パーカーとジーンズに着替えた。戦闘服をかるくしぼって袋にいれ、ロビーに降りていって社員のひとに渡した。ラウンジにはすでに私服に着替えたヒカルがいた。かれは僕にかっこよくフィスト・バンプを求めてきたので、かるく拳を合わせた。そうして二人して、ウェーイ、と言った。

「あれから、俺たちはなんとか制御室を押さえ、火災警報を作動させてシャッターというシャッターをすべて降ろし、重役会議が行われていた会議室を外から遮断した」ヒカルはまだすこし濡れている髪を両手でかきあげて、「それから空調のダクトから温風を送り込んで、プロジェクターをハッキングし、魔法瓶をふたつ、思わせぶりに見せつけ、一方は炭疽菌、一方は抗生物質だ、と言ったら、重役どもは青くなって、あっさりと信じたよ」

 と、ヒカルは笑った。

「それでもやつらはなかなか手打ちに応じなかったが、ヤン・パオロンが屋上で死んだことが伝わって、交渉の潮目が変わった。連中、レイ・イシガミなる日本人は、きっとダースベイダーやジークフリードみたいな奴に違いない、と思って恐れ戦いたのかもしれないな。いや、それは冗談だが、ヤン・パオロンは最大手の軍事会社であるマーカンタイル・セキュリティサービスにも睨みを利かせていたらしくてな。それが殺されたんで、マーカンタイル社から報復されかねない、と思ったようだ。そのうえ、サイバー・セキュリティの事実上の責任者だったザルツブルクのヴァインカウフも望月によって殺されていたからな。もう潮時だと思ったんだろう。そこから一挙に、手打ちの話が進んだ」

 エイジが階段から降りてくると、ヒカルはまた拳をあわせてウェーイと言った。

「望月からヤン・パオロンてやつのスペックを聞かされて、いま会社のデータベースでそいつの戦歴をざっと見てきたけどよ」と、エイジは僕の隣に腰をおろして、「あんなの倒しちまうとは、さすがレイだわ。最強クラスのディフェンダー使いを倒したってことは、おまえ、最強クラスのディフェンダー使いってことじゃん」

「仕留めたのは更科だよ。僕じゃない」

「けれど、そこまで持ち込んだのはレイだろう」と、ヒカルは言った。「俺は最初からきみが勝つと思っていたから驚かないけれど」

「ほんとかよ」と、エイジは冗談めかしてヒカルを見る。

 めぐみとカオリが並んで降りてきた。めぐみは大人っぽい紺のワンピースを着て、カオリはカーディガンにミニスカートを身につけていた。ふたりは姉妹みたいに手をつないでいる。僕は彼女たちのあいだに亀裂が入らないのならなによりだと思った。

 すこし遅れて、蘭がゴシック風のブラウスにスリットの入ったロングスカートという格好で出てきた。首に包帯を巻いている。

「大丈夫?」

「こんなの、かすり傷よ。でも跡が残ったら嫌だから、手当てしておいたの」

 蘭は空いているソファに座って、

「会社の主催で打ち上げをやるって聞いたけど、この台風で会場を取れるのかしら」

「タービュランスの系列の高級ホテルででもやるんじゃねーか。さすがにホテルは休めないだろ」と、エイジ。

「わたし、ちょっと疲れた……」と、めぐみが困ったような笑みを浮かべる。

「親会社のお偉いさんからの招待だから、出席しないと夕海たちに迷惑がかかるんだ。いちおう、顔だけ出してくれ」と、ヒカルが済まなそうに言う。

「それに、わたしたち、主賓でしょ」蘭は金髪のポニー・テールをうしろに払って、脚を組み、「だって、手打ちに持ち込んだのはわたしたちだもの。主役がいないとさすがにかっこうがつかないだろうから、出てあげないとね」

「あ、大丈夫だよ、そういう意味じゃないから」と、めぐみは言った。「おいしいものが食べられるの、ちょっと楽しみ」

「いいところのホテルで食事するとか、あんまりないもんね」とカオリ。

「おまえ男としょっちゅうモーニングサービス食ってるんじゃねーのか」と、エイジ。

「そういう冗談やめて」カオリが声のトーンを二オクターブくらいさげた。

「なんだ更科、ちょっとキャラかわったな。これからはこういうの駄目なのな。よし覚えとく」

「お迎え、来たみたいだよ」と、めぐみが窓のほうを見ながら言った。

 小降りになってきた雨のなか、庭に、会社のロゴの入ったバンが止まっていた。

「じゃ行くか」と、ヒカルが立ち上がった。

 僕は伸びをして、椅子の背もたれから身体を起こした。

 スリッパを下駄箱の運動靴と入れかえる。仲間たちが、玄関から雨のなかへ駆け出していく。

 カオリは僕を呼び止めて、

「あたし、石上のこと好きでいてもいいでしょ」

 急のことに、僕は靴ひもを踏んづけて転びそうになった。

「心配しないで。めぐみんも石上も傷つけるつもりはないから。でも、きみのことは諦めないからね。あたしに優しくするからいけないんだよ」

 カオリは僕の頬をつまみながら、

「いつかぜったいにオトしてやる……」

「はらひな……」

 彼女はすっきりと微笑んで、小雨のなかへ飛びだしていった。

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