六
寮のドアを開くと、ロビーはひどく薄暗かった。外灯が点りはじめた庭のほうが明るいくらいだ。僕は下駄箱に革靴をあげ、スリッパをおろして、ふと、ラウンジから液晶テレビの青白いひかりがこぼれているのに気がついた。
音声からすると、民放のニュースだろうか。
行ってみると、部屋着に着替えたエイジがカウチにもたれて、ぼんやりとテレビを見ている。テーブルの隅では、カオリが頬杖をついていた。
「あ、おかえり」と、彼女は気だるげに茶髪をかきあげながら言った。
「どうしたの、ふたりとも」と、めぐみが照明のスイッチをいれながら尋ねた。
「ウチとザルツブルク・インターナショナルがやばいことになってきた」と、エイジがあごで画面を示す。「タービュランスの系列の、ナントカっていう精密機械の工場が爆破されたらしい。ほら、ドローンとか自動兵器とかのメーカーの、アレだよ。タービュランスは即、ザルツブルクに抗議したっていうから、そういうことなんだろうな。それから、再開発中の竹西区の不動産取引を巡って地上げ屋どうしが衝突し、それにウチとザルツブルクの保安要員が関与して、撃ち合いになったみたいだ」
液晶画面には、夕暮れの空へむかって白煙をあげる雑居ビルが映っていた。半そでの警官たちが笛を鳴らしながら野次馬を押し返している。ヘルメットに白衣の救急隊員がタンカを救急車へと運び込んでいた。
「軍事会社どうし、よくいざこざを起こしているけれど、ここまで人目を気にせずに衝突することは滅多にないよね」と、カオリが言った。「普通は親会社どうしで話し合って、お互いに譲歩したり金銭で解決したりするわけ。強硬手段に出るのは、どうしても折り合わないときだけ。それが立て続けに二件でしょ。全面戦争が近いのかも」
「ザルツブルク・インターナショナルって、たしか……」
めぐみはカオリの隣に座って、
「そう、ソフィア・ガンツの所属している軍事会社で、昨日、蘭とカオリが護衛していた女のひとが以前勤めていた、ソフトウェア開発会社の親会社。ほら、ヘッド・ハンティングされてウチの系列に移ってきた」
「以前から緊張状態にはあったんだ」とエイジ。
「ガチの抗争が始まると洒落になんないのよ」カオリは顔をしかめて、「マフィア映画といっしょ。役員や役職つきの人が拉致されてバラバラにされて会社や自宅に投げ込まれるとか、普通にあるからね」
「それはヤバいね……」
この国は事実上、五大財閥に支配されている。その五大財閥どうしが衝突を起こしたら止めるものがない。エスカレートしてしまうのも、無理はなかった。
「会社から、それをやってこいと言われる可能性だってある」と、エイジは短髪をがりがりとかきながら言った。「そういう指示はされたことがないけれど、されたら断れない。契約している以上は、な」
「あたしたちも、覚悟しておいたほうがいいかもね」と、カオリ。
「ヒカルと望月は……」と、僕は尋ねた。
「呼ばれてクラウディエッジの本社ビルに行ってる」と、エイジはこたえた。「この状況について、説明でも受けてるんじゃないか。それとも、重要な会議に出席しているか。淡河は十五歳だけど会社でも屈指のディフェンダー使いだからな。望月もアナライザーとして高く評価されている。あの二人は、幹部みたいな扱いだ」
「そうなんだ……」
玄関のドアが開いた。制服姿のヒカルと蘭に続いて、喜多嶋夕海が入ってきた。彼女はパンプスを脱いで揃え、スリッパを履き、ラウンジのほうへ歩いてきた。
「お疲れさま」と、僕たちに声をかけて、ソファに座る。
ヒカルと蘭も、カウチの空いているところへ腰をおろした。
夕海はテレビを一瞥して、
「論より証拠ね。いま、ザルツブルク・インターナショナルとの間で、こういうことになっていて、会社ぜんたいがすこしバタバタしているの。それから、望月さんと更科さんに護衛してもらった、系列会社の原田さんのことだけど、白昼堂々拉致されたわ。そのとき護衛についていたウチのディフェンダー使いが二人殺害された。いま、別のチームのディフェンダー使いたちが行方を追っているのだけれど……」
夕海の表情は暗かった。役員や役職付きが拉致されてバラバラにされるのだとしたら、系列を裏切った社員など、なおさらのことだろう。
「俺は関わらないほうがいいと言った」ヒカルが腕を組む。
「ドイツ政府からの依頼で、彼女の保護を断れなかったのよ」と、夕海は言った。「原田さんは生体メモリの人体実験を受けていたの。ドイツはナチスの過去があるから、そういうのは絶対に容認できないわけ」
「だからローゼンタール財団も監視の厳しい本国ではなく好き勝手やれる蓬莱島でやったんだろうな。けれども、軍事会社は人道のために活動しているんじゃない、営利企業だ。まずは損得を考えるべきだ」
「ごめんなさい……」
「夕海を責めているんじゃないよ。親会社の連中が決めたことだからしかたない。そういえば、あのストーカーの脳からチップが出てきたそうだな。統合失調症によくある妄想が現実になったというわけだ」ヒカルはその端正な顔に怒りをたぎらせて、「……あのクソ野郎どもが」と、吐き棄てる。
夕海の端末が鳴った。彼女はハンドバックからとりだして、耳にあてる。しばらく言葉のやりとりをして、通話を切った。
「たったいま、原田さんの遺体が見つかったそうよ。淡仙渓に泊められていた廃船のなかから」
僕はモノポリーのお札の山をまえにして困ったような表情を浮かべていた、あの女のひとのことを思い出した。翌日、こんなことになるなんて、想像もしていなかった。
「タービュランス・グループの担当部署が先方と水面下で話し合いに入ったけれど、交渉は難航しているみたい。そのことで会社に呼ばれているから、戻らなきゃ」
夕海はため息をつき、立ち上がる。その足許がすこし覚束なかった。
「大丈夫か」ヒカルは弾かれたみたいに素早く動いて、夕海をささえる。
「ありがとう」夕海はずっと年下の彼氏に肩を預けながら、酔ったような、幸せそうな表情を浮かべていた。
「無理をするな。もう帰って休めよ」
「この件が一段落したら、有休をとるわ。ねえ、いっしょにベネツィアに行かない? ヒカルも、あとすこししたら夏休みでしょう?」
「ああ、いこう」と、ヒカルは優しい目を夕海にむける。「けれど、そのまえに問題を片付けなきゃな。俺もベストを尽くしてみる。だからあまり根を詰めるなよ」
「うん……」
ヒカルが夕海を外に連れていくと、蘭は苦々しげに舌打ちをした。
僕はそっと、仲間たちの表情を盗み見た。みな、怯えているようだった。とくにカオリがひどい。すっかり青ざめて、呼吸するたびに身体がわずかに震える。アンドロイドの件があって、もっと強いひとだと勝手に思っていたから、妙な感じがした。やはり女の子なのだ。
外でタイヤが砂利を踏む音がして、ヒカルが戻ってきた。
「クラウディエッジのチームのリーダーとして、こういう話はしちゃいけないのかもしれないけれど」と、かれは言いながらソファに腰をおろして、「蘭をのぞいて、みんなを誘ったのは俺だ。見通しの立たない抗争に、巻き込みたくはない。離脱したい奴がいたら遠慮なく言ってくれ。海外逃亡の手配をする」
カオリは苛立ったようにハッと言って、
「ここで逃げちゃったら、ちゃんとした国で生活するのはもう無理だよね。会社からいつ訴訟を起こされるか分からないし、お父さんとお母さんに膨大な違約金を背負わせちゃう。いまはクラウディエッジも穏健だけど、経営陣が変わったら報復されるかもしれない。とてもじゃないけど考えられないよ。やるしかないって分かっているんだから、そういうこと言わないで」
「更科……」
「みんなのこと、脅かす訳じゃないけど」と、蘭は言う。「ローゼンタールの時価総額は、タービュランスのおよそ倍よ。言ってること、わかる? 戦争に例えるなら、国力が倍の敵と戦うのとおなじことなの。普通にやったら潰されるわ。時間の問題ってやつ」
「じゃ、どうすんだよ」エイジの声色が尖ってきている。
「第一撃でガツンとやって、手打ちに持ち込むしかない」と、ヒカルが言った。
「でも、ナチス・ドイツも、大日本帝国も、それ、狙ってたんだよね……」と、めぐみ。
その結果は、言うまでもない。
「たしかに、そう簡単なことじゃないが……」と、ヒカルは銀メッシュの髪をかきあげる。
「とにかく、いまは交渉がまとまることに期待しようよ」と、僕はみんなに呼びかけた。「まとまれば、抗争は回避できるんだよね」
「そうね……」と、蘭は言った。
「いまから先のことを心配しても、仕方ないもんね」と、めぐみが応じてくれた。
「おまえら、おめでてえな」と、エイジは呆れたように言った。「難航しているって、喜多嶋さん言ってたじゃねえか、俺たちの目のまえで」
「あんたにおめでたいと言われる日がくるとは思わなかったわ」
「よせ、望月」と、ヒカルが言った。
「レイくん、お母さんに連絡したほうがいいよ。きっと心配するから」
僕はめぐみの言葉の裏を読んでしまい、精神的な距離を感じて、うつむいた。この状況をお母さんに伝えたら、むしろ、ひどく心配させてしまうだろう。僕は、お母さんとの約束をどうやって守ろうかということを考えて、息が苦しくなり始めていた。
「ご、ごめん」と、めぐみは言った。「そういうつもりじゃなかったの」
ほんとうに、悪気があってのことではなさそうだった。僕は「大丈夫だよ……」と言った。
「もうやめようぜ」と、エイジが言った。「このまま話し合ってたって、気が滅入るだけだ」
「そうだな。このへんで、お開きにしよう」
ヒカルはぐったりとソファにもたれて、両手で顔を覆い、大きくため息をついた。
僕はお母さんに連絡を入れようとして、結局、できずにいた。この際、お母さんにあたらしい彼氏ができればいいのに、とさえ思った。さいわい、お母さんはあまりニュースを見ない人だったし、タービュランス系列の工場の事故を、クラウディエッジとつなげて考えるということも、たぶんしないだろう。それでも、お母さんから連絡が来ないとは言い切れなかった。僕はそうなったとき、なんて説明すればいいのか分からなくて、無性に部屋を出たくなった。端末からすこしでも離れたかった。
階段の近くの、すこし広くなったところに置かれた自販機のまえに行き、とくべつ飲みたい訳でもないサイダーのボタンを押して、ふと振り返ると、カオリが目のまえに立っていた。
真っ赤なキャミソールを着て、ジーンズのショートパンツを穿いている。やや日焼けした上腕には、弓を構えたキューピットのシルエットが浮かんでいた。ディフェンダー「ロビン・フット」のマークだ。
表情にはあいかわらず、不安そうな感じがあった。カオリは体つきがほっそりしていて、制服姿よりずっと頼りなく見える。僕は、彼女を元気づけてあげたいような、守ってあげたいような、ふしぎな気持になった。
彼女が間をもてあましたように、茶髪を耳にかけると、銀色のピアスが自販機のひかりを照り返した。
「石上、あのね」と、カオリは言った。「机のうしろに、大切な指輪が挟まっちゃった。取りだしたいんだけど、あたしだけじゃ机を動かせなくて。手伝って欲しいの。来て」
彼女は僕の腕をとって、部屋に招き入れた。そうして、後ろ手に鍵をかけた。
僕は机の傍にいって、持ち上げる準備をしたけれど、カオリがなかなかむこう側にまわろうとしないので、指輪どうこうは口実だということに、やっと気づいた。
「あー……」
僕は意味もなく、カオリの部屋を見回した。
ハンガーに掛かった制服がある。レトロですこしエロチックな花魁のポスターが貼ってある。小さな鉢植えのサボテンがある。ガラスのテーブルに化粧品が散らばっている。収納ボックスのうえに、下着が乱雑においてある。僕はそこから目をそらした。
水玉のカーテンのむこうで、風がごうごうとうなっていた。
「ポスター、かわいくない?」
カオリが花魁を指さして、小首をかしげる。
紫の和傘をかけ、胸元を大きくひらいた、和風の美人だ。微笑みかたが慣れている。
「うん……かわいい、というか、きれい、かな」
「それ、あたしなの」
「え、ほんとに」
僕はもういちど、じっくりと花魁を見た。おしろいで真っ白だったけれど、言われてみれば、今風のおおきな目などはカオリそのままだ。
「ずっと年上に見えるでしょ」
カオリが、ゆっくりと近づいてくる。そうして僕の鎖骨にひたいをあてた。
その顔も、身体も、熱を帯びている。
茶髪が首にあたってくすぐったい。
「あたし、怖い」と、彼女は言った。「ほんの少しのあいだでもいいから、怖いことを忘れたいの」
僕は胸がしめつけられた。
「思い出を作りたい。死ぬときに後悔したくない」カオリの声には悲壮な響きがあった。
「うん……」
「だから、お願い」
肩に手をおき、背伸びをして、薄く紅をひいたくちびるを近づけてくる。
「ちょ、ちょっと待って」
「わかってるから」カオリは眠たげな目で僕を見上げ、「石上はめぐみんのことが好きなんだよね。でもそんなこと、いまはどうでもいいじゃん。きみだって、明日には死んじゃうかもしれないんだよ」
「………」
「あたしのこと、嫌い?」
「嫌いじゃない」と、僕は言った。「それに、仲間として、大切にしたいと思ってる」
「だったら、いいでしょ」
カオリは、僕の首に腕をまわした。
「でも、めぐみんのこと、裏切りたくないんだ」
「……石上は、したくないの?」
「したい……けれど、しない」
その瞬間、カオリはものすごく不愉快そうな顔をして、僕から離れ、ベッドに座った。
「わかった。行ってよ」
僕はドアの錠を外した。すると、後ろでばさりと音がした。ふりかえると、カオリは枕に顔をうずめていた。
ポスターの花魁と鉢植えのかわいらしいサボテンが並ぶ、この部屋の構図が、なんだか彼女を象徴しているような気がした。
「一緒に生き延びよう」と、僕はカオリに強く呼びかけた。「僕、更科のことも守れるように、頑張るから」
カオリは枕から顔をあげて、僕を見た。
「簡単に言うけどさ、軍事会社どうしの衝突って、けっこうガチなんだよ」
「それはわかってる。ネットで検索して、画像もいっぱい見たから。でも、やってみなきゃ分からない。最初からあきらめていたら駄目だよ」
カオリはしばらく黙っていたけれど、やがてあきらめたように微笑んで、
「そうだよね。あたしも前をむいて頑張ってみる」
「うん」と、僕はホッとしながら言った。「それじゃ、おやすみ」
カオリの部屋を出るなり、僕は気配を感じて、振り返った。既視感のある光景だ。めぐみが廊下の角から顔だけを出して、こっちを見ている。僕は生きた心地がせず、慌ててめぐみに駆け寄った。
今度はめぐみは逃げなかった。
「ご、誤解だから!」
「うん、知ってるよ」と、めぐみは満更でもなさそうに言った。「カオリね、わざとなのか、うっかりしていたのか、分からないけれど、わたしのディフェンダー・システムにだけ、音声をアクティブにしていたから」
「ま、まじで……」
僕は心底ゾッとしたけれど、その一方で、カオリの底知れない心の闇を垣間見てしまったような気がして、すこし切なくなった。
うふふ、とめぐみは微笑んだ。
「ねえ、レイくんは、わたしとだったら、する?」
「報復に、更科にむかって音声をアクティブにしているとか、ないよね」
そんなことしないよー、とめぐみは目を細める。
僕はつばを飲み込んで、
「する、と、思う。めぐみんが無理とかしていなければ」
「わかった。じゃ、しようか」
「えっ……」
「なーんて話になるわけないでしょ!」
めぐみは楽しそうに笑っている。
「だよね……」
すこし、ホッとした。
彼女は恥ずかしそうにうつむいて、
「でも、どうしても我慢できなくて、ほかの女の子としちゃいそうになったら、教えて。レイくん、モテるから、わたし、すごく心配で……」
その言葉の示唆するところがあまりにデリケートすぎて、僕は相槌すらうてなかった。
それからね、とめぐみは言う。
「もし、わたしが死んだら、わたしのこと、絶対に忘れないで」
彼女はきれいな黒髪をふわりとさせて、逃げるように走っていった。
僕は頭を冷やそうと強風の吹き荒れるバルコニーへ出て、湿ったポケットからサイダーを取りだし、プルタブを起こして、ごくごくと飲んだ。外灯のひかりのなかで、木立がざわざわと揺れている。白い紙屑が舞っていた。点滅にかわった信号機がグラついている。
嵐のなかにあっても、街の夜景は綺麗だった。
遠からず死ぬかもしれないと、リアリティをもって感じ始めてから、ものの色彩が、風の匂いが、響いてくる街の音が、すっかり変わってしまったような気がする。
湿った風に身体じゅうの毛穴を洗われているような感覚に身を委ねる。先のことさえ考えなければ、生きるとか死ぬとかは些細なことだった。でもこれは多分、錯覚だろう。死の悲惨さがうまく想像できないだけだ。
ジュースがからになったので、僕はなかへ引き取った。
ラウンジのほうから、話し声が聞こえてくる。
ヒカルと望月の声だ。
僕は自販機のまえの長椅子に腰をかけて、ふたりの会話を、聞くともなしに聞いた。
「ユルゲン・ヴァインカウフって男、知ってる?」と、蘭が訊いている。
「ああ、ザルツブルクのアナライザーだろ」ヒカルの声には疲労の色が滲んでいた。「あそこのハッカー連中はあいつが束ねているようなもんだ。用心深くて、仲間のまえにも滅多に姿を現さないらしいが」
「そいつの脳を焼いて、かわりにアバターを仕込んでおいたわ」
「本当か!」ヒカルが、いっぺんに目が覚めたみたいな声をあげる。「しかし……」
「その男には、週一、いかがわしいクラブに恋人や高級娼婦を呼びつけて、クスリをキメながらアレをしないと耐えられないっていう、こまった習性があるのよ。その隙をついた。わたしのアタックにほんの二秒、反応が遅れたことが、かれの命取りになったわ」
「だが望月、危険なことをするなら事前に相談してくれないと困る」
「相談したら、あんた止めたでしょ」
「それはそうだが……しかし、そいつが即、反応してきたら、どうするつもりだったんだ」
「そのときはわたしの脳が焼かれるだけ」と、蘭はさばさばした声で言って、それから急に笑いだし、「冗談よ。石上のリソースを黙って借りたの、プロキシのプロテクトにね。あいつ相変わらず、ぜんぜん気付かなかったわ。学校ではめざとくソフィアのことに気付いたのに。まったく、抜けてるんだか、鋭いんだか」
「そうか。ただやみくもに仕掛けたんじゃないとわかって、安心したよ」
「チームのアナライザーが捨て身の攻撃とか、コマンダーからしたら、笑えないもんね」
「マジ助かる。あとは俺の仕事だ」
「がんばってね」
カウチの皮革がきしんだ。蘭が立ち上がったのだろう。
「ありがとう、望月。がぜん、やる気が出てきたよ」ヒカルが明るい声で言った。
蘭がオーバーオールのポケットに手を突っ込みながら、階段を上がってくる。そうして僕に気付いて、
「なーに盗み聞きしてんのよ」と、おかまのひとみたいな口調で言い、ふわりと笑みを浮かべて、「それって、アナライザーの台詞じゃないか」
仕掛けがうまくいって、機嫌がいいみたいだ。もしかしたら、ヒカルに感謝されたせいかもしれない。
「あとは淡河がうまくやってくれるわ」と、彼女はあくびをしながら言う。「だからあんたもあまり心配しないで、早く寝なさい」
「う、うん……」
「わたし、これからガンナーのメンテがあるから、行くわね」
「ガンナーって……」
「カオリのことよ。チームの遠距離攻撃担当、狙撃担当をガンナーっていうの。あんたも気づいたと思うけれど、あの子、メンバーのなかでいちばん神経が太そうに見えて、じつはいちばん脆いのよ。たぶん今頃、頭からタオルケットをかぶって、おびえてると思うわ」
僕もそうじゃないかと気になっていた。
「心配?」
「うん……」
「わかった。あとで画像を送ってあげる。カオリには内緒よ」
「いいの?」
「じゃないと、あの子の実像が分からないでしょ」
蘭は肩越しに僕に手を振ると、カオリの部屋のドアをノックして、中へ入っていった。
それから五分後、蘭からメールが来た。
画像をひらくと、カオリはベッドのすみで膝をかかえ、涙をこぼしていた。
ふにゃちんことエイジは、パンク・ウォリアーズのラウンジにいた。
「森鴎外の堺事件て知ってるか」と、ドラえもんの実写版みたいなアバターは言った。
「知らない。小説の話?」
「幕末に、侍たちが切腹をする話だよ。外国からイチャモンをつけられてな。堺で、警備を担当していた侍たちが、外国の水兵とトラブルを起こすんだ。撃たれたんで撃ち返したらむこうに死人が出た。それで外国の公使は、侍どもを処刑しろと要求してくる。落度があるのは水兵のほうだったけれど、外国は日本との力関係を誇示するために、無理難題を言ってくるわけだな。で、侍たちは殿様から命じられて、なんにも悪くないのに腹を切ることになる。だがただじゃ終わらない。大喝一声、自分の腸をひきずりだして、立ち合いにきた公使をにらみつけるんだ。公使はビビッて、もう切腹を見ていられない。でもビビッたとは言えないから、見るに忍びないとか抜かして中止させる。侍たちの意地が、外国からのマウンティングを退けた。そんな話だ」
「壮絶だね……」
「日本刀を見たことがあるか。刃文にはなんともいえない凄みがある。あれが皮膚のしたにもぐりこんでくるところを想像して、背筋がゾッとならないやつはいないと思う。その感じが分からないやつは想像力が死んでいる。刀のことを、なんにも分かっちゃいない。あれは人を斬るための、ひとごろしのための道具だよ。それが根底にある。美しいだのなんだのはその先だ。刀を美しいという奴は、切腹も美しいと思わなきゃ嘘だ。でも美しいなんて言えるか。ひとがみずから腹をさばいて首を落とされ死んでいくんだ。大の男が見ていられなくなるほどの壮絶な儀式だよ」
「うん……」
「軍事会社どうしの金儲けのあれこれに、命を張るなんて馬鹿馬鹿しい。そう思ってた。でも、昔は、もっと馬鹿馬鹿しい理由で死ななければならなかった人たちが、たくさんいたんだよ。それも、殺されて死ぬんじゃなく、自分から死ぬんだ。苦しみを避けるどころか、余計に苦しむような死に方を選んで死ぬんだ。俺は読んでいて泣きたくなった。侍の心とか、侍の魂とか、だれそれは侍だとか、簡単に口にしていい言葉じゃねえ。それにやっと気づいた。ザルツブルク・インターナショナルの連中のおかげでな」
そういうシリアスな話を、実写版ドラえもんの格好で言う。それがエイジという男だった。僕はかれがどこまで本気なのか、はかりかねていた。
「きっと更科は、部屋でめそめそ泣いているんだろうけどな」と、エイジはオバQみたいな目で遠くを見るようにして、「それはあいつに死を見つめる想像力が備わっている証拠だよ。ああいうヤツこそ、ほんとうの意味で、侍を目指せるんだ。俺のなかでは、更科は『漢』さ。女だけど」
そうかもしれない。カオリをただ弱くて不安定な女の子とだけ認識してしまうと、きっと大切なものを見落としてしまう。アンドロイドを撃ったあと、なにごともなかったようにはしゃいでいた彼女もまた、彼女に違いないのだ。
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