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WarHead  作者: のりお
1/8

 低緯度の、抜けるような青空を背景に、世界が横倒しになっていた。

 遠くの歩行者天国に陽炎がたち、人々が沸騰した水の分子のように乱雑にうごめいている。

 大きな店舗の、カーブのうつくしい外壁にかかった、オーロラビジョンに、キンキンに冷えた焼酎の炭酸割りが映し出されている。花柄のアオザイの美女が僕にほほえみかけた。

「……キモいパッケージばっかりだな。うえ、妹やらガキやらにこんな格好をさせるのかよ。絶対に頭おかしいわ。ていうか、カネになんのかな、これ」

「いちおう新作は新作だろ。とりあえず中古屋にもっていってみようぜ」

 路地の濃い日陰に、たくさんのスラックスと革靴がある。目のまえに僕のメッセンジャー・バッグがばさりと音を立てて落ちてきた。都市に特有の、わんわんする雑踏のノイズのなかで、その音はいやになるくらい鮮明に浮かびあがった。

「なあ、こんなクソみたいなゲームで遊んでいると、そのうち犯罪者になるぜ。俺が預かっておいてやるから」

「ハハハ。優しいな」

 チェックのスラックスが助走をつけるようにしなった。

「じゃあな石上」

 革靴が急速に拡大され、僕は目をかたく閉じた。とたんに、顔面に重い衝撃をうけた。ツンと、鼻のおくがキナくさくなる。

 おなじ高校の制服を着た男たちが、ぞろぞろと歩き去っていく。僕は、ほっと息をついた。そうして、だれ一人こっちを見ようとしない横倒しの都会人たちを眺めながら、世間って冷たいものだな、と思った。

 上体をおこして、鼻をぬぐうと、腕にべったりと血がついていた。口のなかにしょっぱいものが入ってきて、首が濡れ、ワイシャツの胸元がみるみる赤くなる。僕はあごをつきだし、鼻根をつよくつまんで、しばらく大都市の通りを眺めた。やがて血が止まると、僕はバッグを肩にかけ、痛みにうずく身体をおして、立ち上がった。

 地下鉄の階段をおりて、男子トイレに入り、洗面台の蛇口をひねり、顔とワイシャツの胸元を洗った。排水口のまわりで、ピンク色のマーブルが渦をつくっている。

 顔をあげると、薄暗いタイル壁を背にした、小柄で太ったみすぼらしい男子が、鏡に映っていた。薄汚れた制服。汗と血の跡。ほんとうに見苦しい。この格好で地下鉄に乗り、駅から自宅マンションまで歩いて帰るのかと思うと、気が重かった。このままトイレの個室にかくれて、日が落ち、夜が更けて、誰もいなくなるのを待ちたかった。そうして街のひかりを避け、闇にうもれて、涼しい夜風のように飄然となにもかもやりすごしたい。

 鏡のなかの、ぱんぱんに顔のふくらんだ、団子っ鼻の少年は、涙をこぼしている。

 腹が立つというより、もう相手にしていられなかった。

 僕だってレールから逸脱したくはない。いままで我慢して高校に通ってきたけれども、

 ……もう限界だ。


 地下鉄の座席のうえでバッグを広げて、メガネ型の透過式ディスプレイ端末を取りだした。たぶんヤツらにとっては美少女ゲームよりこっちのほうがカネになったと思うけれど、うかつに下取りに出すと、ユーザー登録情報から盗難を疑われる可能性があったから、手をつけられなかったのだろう。

 近ごろのウェアラブル端末はだいぶ頑丈になってきているけれども、さっきの衝撃で故障したとも限らなかった。それで僕はメガネ型端末をかけて起動させてみた。脳波と視線を感知して動いてくれるので、スイッチをいれる手間もいらなかった。

 僕の視界に、位置情報やら天気やら気温やらの情報が滝のように流れ出す。車内をまばらに埋める乗客のうちの何人かはSNSの情報を開示していた。むかいの痩せたサラリーマンは釣りが趣味らしく、かれのアイコンにフォーカスするだけで、バス釣りの画像や動画がいちめんに表示された。ルアーや釣り竿のリンクが貼ってある。釣りのことなら気軽に話しかけてください、と一言メッセージが添えてあった。そのとなりのきれいな眼鏡の女性(?)はニューハーフのお店に勤めているみたいだった。そのお店はフェアリーズと言い、台蘭駅の駅東にあるらしい。ほかにも動画配信やコスプレの情報などがたくさん出ていた。好きなキャラクターのコスプレの画像を見つけたので、いいねボタンを押すと、彼女(?)は僕ににっこりと微笑みかけてくれた。

 それから僕はポータルサイトにつなぎ、トピックスをざっと確認した。環太平洋連邦のクライブ大統領は、第二次中央アジア戦争の終結にむけて、汎アジア機構の王立群首相と話し合うため、セイロンへ発った、とある。それからIMF専務理事のロバート・ウッドは、蓬莱国の五大財閥の長と相次いで会談し、同国が実質的なタックスヘイブンとなって世界の富の偏在をうながしていると指摘したうえで、富裕層や大企業に対する税率を引き上げるべきだと批判。これに対し、蓬莱国側はIMFへの供出金を大幅に削減する可能性を示唆した、とのこと。

 その五大財閥はあいかわらず、国内の利権やセキュリティ問題をめぐって激しく暗闘しているらしい。著名なジャーナリストがこれを批判する記事を書いている。かれらは春秋・戦国の諸侯のつもりか、国家の主権をないがしろにするな、時代錯誤もはなはだしい、と。

 事件・事故のトピックに目をむければ、軍事会社マーカンタイル・セキュリティサービスのディフェンダー使いたちがインフラの基幹システムに侵入した悪意ある人工知能を機能停止に追い込んだ、と出ていた。ディフェンダーとはAIとナノマシン群体によって構成され、人間の脳や脊髄に常駐する軍事的な総合端末のようなもので、元々はドローンや自動戦車などの無人兵器を統御するための浸透型システムとして開発されたが、いまでは白兵戦からハッキングまでを担う新世代型の傭兵の、必須の武器となっている。

 マーカンタイル・セキュリティサービス社は五大財閥のひとつ、グレイハウンドの系列で、その軍事力は蓬莱国の陸海空軍をも上回ると言われていた。

 僕は高校にあがるまえ、ディフェンダー使いにあこがれて、軍事会社が共同で運営するそれ専門の学校に願書を出してみたけれども、あいにく、通らなかった。ディフェンダー使いになるには特殊な才能というか、耐性が必要だった。ディフェンダー・システムは使用者の脳と脊髄に尋常でない負担をかける。それに耐えうる身体的な強さをもつ者でなければディフェンダー使いにはなれなかった。僕はそれに該当しなかった。

 もっとも、その素質を有するのは数百人にひとりというレベルの話だったので、最初から期待してはいなかったけれども。

 ポータルサイトには、ほかにも、さまざまな社会問題、芸能ニュースやスポーツの話題があふれかえっていた。蓬莱株価指数は連日の大幅高。グレイハウンド・グループの旗艦企業であるダラス・インベストメント・バンクの株は二パーセント高。なんだかよく分からないけれど、今日も世の中はちゃんと動いているようだ。

 けれども、明日から本格的にひきこもるつもりの僕には、まとめてどうでもいい話だった。


 僕は耳ざわりな羽音を鳴らして腕にとまった蚊をパチンと叩き、屋台で買ったタピオカのドリンクを飲み干して、公園のベンチから立ち上がった。タコライスと鶏肉の煮込みの入ったビニール袋をとりあげ、大きなサルスベリの樹のあいだを突っ切って、クラクションの喧しい道路を渡った。そうしてごみごみした店舗のならぶ路地を抜けて、マンションのエントランスに入った。

 エレベーターで四階にあがり、カードキーをロックにさしこんで玄関のドアを開いた。なかは薄闇に沈んで、しんとしていた。僕には兄弟がおらず、父親はすでに亡くなっていた。お母さんとふたり暮らしだったけれども、お母さんは一週間前から、彼氏と海外旅行へいってしまっていて、帰ってくるのはずっとさきの予定だった。

 お母さんの彼氏とは会ったことがなかったけれども、その画像を見せてもらったことがある。えりのせまいジャケットを着、首にアスコット・タイを巻いた、お洒落な四十代くらいのひとだった。お店に飲みにきて、知り合ったらしい。どこかの会社の重役で、お母さんによくプレゼントをくれたそうだ。

 お母さんはむかしから、彼氏ができると僕をほとんど構わなくなる。お金だけおいていって、好きなものを食べろと言う。出勤前の一時間くらいしか顔をあわせなかったし、それもずっと音楽をかけながらお化粧をしている。

 この彼氏には、妻子がいるらしい。オフの日に、電話で友達とそんな話をしているのを聞いた。お母さんはたぶん僕が寝ていると思ったのだろう。けれども、交際している男性に妻子がいること自体は、たいして気にしていないようだった。だから僕は、独身の女性の芸能人なんかが不倫をしてバレで、世間におもいっきり批判されているのを見ると、すこし息苦しくなる。いろいろな人が、奥さんや子供さんの気持ちを考えたことがあるのか、という。僕はときどきそのことをじっくりと想像してみるけれども、登場人物たちにうまく感情移入できなかった。

 そのせいで、僕は、お母さんがなにか得体の知れない人間のような気がしはじめていた。お風呂からあがったばかりのお母さんは、言ってはなんだけれども、ふつうの、うしろすがたがすこしかっこいいだけのオバサンだった。けれども、化粧をするとほんとうにきれいで、歳も十くらい若返るようだった。僕のなかで、そのふたつの顔が一致しなくなっていた。おなじひとのものとは思えなくなっていた。

 僕はお化粧をしていないお母さんが好きだった。マザコン? そうかもしれない。僕はお母さんのいない家に帰ってくるたび、妻子持ちの彼氏にふつふつと憎しみを覚えるようになっていたから。けれども、それもすこしずつあきらめの気持ちに変わってきている。お母さんが楽しいのなら、それでいいんじゃないか。ほんらい、僕には関係のない話なんだろう。こっちが勝手に、関係があると思い込んでいただけで。

 ときどき、死んだ父親のことを考える。お父さんは僕が生まれてすぐに亡くなったそうだ。フリーのディフェンダー使いで、仕事中に命を落としたらしい。古いアルバムのなかの父親は、いつまでも二十一歳のままだった。僕と六歳しか違わない。僕とは似ても似つかぬ美男子で、すらっとしていて、まるで俳優みたいだ。お母さんはむかしはよく父親の思い出話をしてくれた。お母さんが熱心にアタックして、付き合い始めたという。

 僕がディフェンダー使いになりたいと思ったのは、この父親の影響もあった。けれどもお母さんは、そのことに大反対だった。願書を出そうとしたときには、泣いて止められた。母親の、すっぴんのきれいな頬をつたう涙を、僕はふしぎな気持ちで見つめたものだった。どうしても出したいというと、お母さんはこの世の終わりみたいな顔をして、いちにち考えさせてと言ったけれども、翌日になるとうそみたいに機嫌をなおし、あの化粧のきまった綺麗な顔をほころばせて、オッケーをくれた。


 明日からもう学校には行かないと決めてから、僕はいやになるくらい心が軽くなった。洗濯機をまわしてお風呂を掃除し、屋台で買ってきた夕食を済ませ、乾燥機から服をとりだして畳み、それから部屋にひきとって仮想現実専用のゲーム端末を起動させた。端末は使用者の脳波の特徴を踏まえて、電気的な振動を生成し、使用者のニューロンとシナプスの働きに干渉して、白日夢のようなかたちで仮想現実を体験させる。

 格闘ゲーム「パンク・ウォリアーズ」にログインすると、すぐにアカウント「ふにゃちん」が同期してきた。

「ようカシュー、待ってたぞ」と、ふにゃちんは言った。カシューというのは僕のアカウント名だ。かれは続けて、「さっそく、対戦願おう」

「……べつにいいけど、そのアカウント名なんとかならない?」

「ああこれな。賢者タイムによく考えずにつけた名前なんだけど、これで通ってるから、いまさら変えられないわ」

 かれは使用するキャラに「ナツメ」を選んだ。日本出身の美女格闘家という設定だ。僕は「ガルシア」という名の、コロンビア出身の柔術家という設定のキャラを選んだ。

 スラム街ふうの背景が構築され、ゲージとタイムが表示されると、ギャラリーがどっと押し寄せ始めた。

 パンク・ウォリアーズのユーザー数は、世界じゅうで数百万を超える。そのなかで、ふにゃちんは世界ランキング十一位、僕は三位だった。ギャラリーにとっては、いちおう好カードということになる。がらがらだったスタンドには有象無象のアバターが次々と出現し、あっという間に、金網のむこうで押しあいをするほどになった。

 どっちが勝つかの賭けが始まった。そのオッズが表示される。僕の勝ちは1.2倍、ふにゃちんの勝ちは4.5倍だった。

「くっそー舐めやがって」と、ふにゃちんは言った。「ふにゃちんがじつはふにゃちんじゃねえところを嫌というほど見せつけてやる」

「……僕にキレるの、おかしいでしょ」

 ゴングが鳴ると、ふにゃちんは合気道ふうの道着と黒髪のツイン・テールを躍動させて、拳をくりだしてきた。僕は完璧なタイミングでその手首を取り、ふところにもぐりこんで、背負い投げを決める。何時間もかけて飽きずに練習した技だ。そうしてふにゃちんが起き上がる頃合いを見て、跳躍。ふにゃちんはまるで吸い込まれるように起き上がり、僕の両足に首をはさまれた。ふにゃちんのクセはだいたい把握している。僕にはいつ仕掛ければいいかが、瞬間的に閃くのだった。

 そのまま、僕はふにゃちんを高くひねりあげて、頭から地面に落とす。ふにゃちんのゲージはごっそりと削られ、スタンドは札束が落ちてきたみたいにどっと沸き上がった。

「おまえ……また上手くなったんじゃねえか」と、ふにゃちんが身体を起こす。

「そうかな。あまり自覚ないけれど」

「てことは、なにか、俺が下手になってるとでも」

「かもね。わからない」

 なんだと、このお! とふにゃちんが叫んで飛び蹴りを仕掛けてくる。そこからコンボにもっていくハメ技があるけれど、それにハマるのはガードもおぼつかない素人だけだ。僕はやれやれと思った。ああいう大技はいったん繰り出したら途中で変更がきかない。こんな雑な攻撃をくりだしてくるとは、そっちこそ僕に失礼だ。

 僕は難なくガードをしてダメージを受け流したのとほぼ同時に、背後にまわった。ふにゃちんから見れば、着地するまえからうしろを取られることになり、手のうちようがない。僕はこの瞬間しかないという絶妙の刹那に、大技のジャーマン・スープレックスを炸裂させ、ふにゃちんを沈めた。

 東洋の美女ナツメは僕をみあげて、「参ったよ」と言った。「あークソ!」


「結局、この手のゲームはタイミングがすべてなんだ」と、僕は言った。「相手がどう行動したらどう対応すればいいのか、だいたい決まっているからね」

 パンク・ウォリアーズのラウンジは、格闘ゲーム・マニアのアバターたちで溢れかえっていた。僕はふつうに猫のぬいぐるみっぽいアバターを選んだけれど、ふにゃちんは実写版ドラえもんともいうべき青塗りのグロテスクな全裸の男のかっこうをしている。目がオバQみたいだ。つくづくふざけたアカウントだと思う。

「それを頭んなかで完璧にマニュアル化してしまえるのはおまえくらいのもんだぜ」と、ふにゃちんは呆れたように言う。

「あとは、その局面での最善の行動を、いかにロスなく、完璧なタイミングで繰り出せるか。つまり、クイズの早押しと一緒だよ。それに気づいてから、格闘ゲーム全般に、飽きてきちゃった」

「……なるほど。リアルでメモを取るからちょっと待て」と、ふにゃちんは間を置いて、「でもな、それはおまえのスピード感覚がズバ抜けているから言えるんだと思うよ。たいていの奴は格闘ゲームのスピードについていけない。頭に血をのぼらせ、なにが起こっているのかよくわからないまま、技をむやみに繰り出している」

「わかるよ。そんなふうにして、ときどきゾーンに入り、恍惚感に酔うけれど、安定して再現するのはむずかしい。自分はめちゃくちゃうまいと錯覚したり、そうでもなかったと失望したり、延々、そのくりかえし。僕にもあったな、そんな時期が……」

「ほとんどの奴はゾーンにすら入れねえよ」

「そうなのかな。ともかく、僕はみんなが下手すぎて、ちょっと理解できない」

「おまえリアルじゃ絶対に嫌われてるだろ」と、ふにゃちんは耳の痛いことを言った。「でも、そんだけ強けりゃ、将来は安泰じゃねえか。プロのゲーマー目指してるんだろ?」

「やっぱりやめた」

「なんで」

「さっきも言ったけど、格闘ゲームに飽きてきたから」

「もったいねえ」

 夢中で、全力で遊んでいたゲームに飽きる瞬間というのは、なんど味わっても嫌なものだった。僕はため息をついた。

 こんなときには、素敵な女の子と恋でもして、その喪失感を忘れたい。けれども、現実世界に僕と恋をしてくれそうな女の子はひとりもいなかった。それで美少女ゲームを買ったら、カツアゲされてしまった。

 苦笑いさえ、する気になれなかった。

 ふにゃちんは心配そうに僕を覗きこんで、

「……なあカシュー。もっと面白くて奥が深い戦闘ゲームがあるとしたら、興味あるか」

「ないわけないだろ」

「うん、おまえならそう言うと思った」ふにゃちんは納得したみたいに何度もうなづいて、「俺はな、おまえを勝手にライバルだと思っている。正直言って、すげえ奴だと思っている。だから、おまえがどこまでやれるのか、見てみたい気がしてな」

「なんの話」

「まあ聞けって」と、ふにゃちんは言って、腕を組み、しばらく考え込んだ様子だったけれど、「こういう仮想現実の付き合いにリアルの話を持ち出すのはマナー違反かもしれねえけど……俺、じつはディフェンダー使いなんだ。高槻軍事高等学校の傭兵Ⅲ科に通ってる」

「まじで」

 僕は声をあげた。高槻軍事高等学校の傭兵Ⅲ科は、ディフェンダー使いを養成する科で、まさに僕が願書を出して落ちたところだった。

「学校でな、仮想現実をつかった模擬戦をやったりするんだけどよ、システムがすげえよく出来ていて、いちど体験したら普通のガンシューティングなんかやっていられねえ。もちろんディフェンダー戦にも対応している。これがまた、奥が深くてな。なんだったら、おまえに俺のログインIDとパスワードを教えてもいい」

「いますぐ教えて」

「そう慌てんなって。おまえに戦ってみて欲しい奴がいるんだ。おなじ学年の淡河って奴なんだけどよ。あ、名前言っちった。まあいいか。そいつ、学校始まって以来の天才とか言われててな。どうやっても歯が立たねえ」

 淡河さんはきっと超絶美少女だ。そうに違いない。僕は期待に胸が躍った。

 ふにゃちんはその雰囲気を察してか、

「残念だけど、淡河は男だ。かなりのイケメン。女子にモテモテ。いわば男子の敵さ。でもいいヤツだよ。頭も切れる」

 イケメンと聞いただけで、僕はいやになるくらい気後れを感じた。

「どうだ、そいつと戦ってみねえか」

「でも、部外者がふにゃちんのIDとパスでログインしたら、迷惑がかからない?」

 ふにゃちんはオバQみたいな目をくりくりさせて、なに、こまけえことは気にすんな、と言った。


 滑走路のかすれた白線のずっとむこうで、群青の海が白波をたてていた。

 たくさんのカモメが曇天に舞っている。

 見渡せば、錆びついたヘリや戦闘機の残骸が、方々に散らばっていた。

 艦橋は荒れる海原にむかっておおきく傾き、身投げをためらう人のように、もの淋しげに佇んでいた。

 僕はフルフェイスのヘルメットをかぶると、運搬用の車両にもたれて、淡河というディフェンダー使いが同期してくるのを待った。そのあいだ、シミュレーション用のディフェンダー・システムを起動させ、視野にブラウザを呼び出し、情報を参照して時間をつぶすことにした。

 この空母は第三次世界大戦に投入され、二〇三六年にペルー沖で破損して打ち捨てられた、ドナルド・トランプをモデルに構築されたということだった。

 空母の情報をひととおり読み終えると、僕がいま仮想的にインストールしているジャック・ポットなるディフェンダー・システムの解説や論評を呼び出した。

 ……ジャック・ポットは、二〇四八年、環太平洋連邦(USPR)の軍需企業、フィリーアンドメア・エレクトロニクス社が開発したもので、防御フィールド、接近戦支援デバイス、ジャミング、クラッキングなどの諸機能に分配されるリソースを自在に再構築できるのが強みで、可変性や柔軟性は現在でも屈指のレベルにあるが、その分、ユーザーが状況判断を誤ると、即、致命的なことになりやすい。

 ジャック・ポットは開発コードの段階ではヒュドラと呼ばれていたが、山を張り、リソースを極端に偏らせ、一か八かの勝負を仕掛けるタイプのディフェンダー使いに好まれたことから、バージョン1.2以降よりジャック・ポットと改称された。賭博における、大当たりの意である。……

 僕は中学の頃から、もしディフェンダー使いになれたら、機種はジャック・ポットを選ぼうとずっと心に決めていた。フィリーアンドメア社のサイトから資料をダウンロードして読み込んだりもした。だから動かし方などはだいたい分かっていた。

 僕はジャック・ポットに防御フィールドを厚くさせたり、情報障壁に特化させてみたり、あるいは接近戦の主たる攻撃法であるプラズマを出現させたりして、その動作を確かめた。動画サイトで見たよりリソースの再構築がずっと遅いのは、たぶん、操作になれないせいだろう。あるいは、特殊なカスタマイズが必要なのかもしれない。

 そうこうしているうち、艦橋のほうから、人影が現れた。たぶんかれが淡河だろう。ふにゃちんから聞いていたとおりの美少年だ。ポケットに親指をひっかけて歩いているだけで、すでにめちゃくちゃカッコいい。甲板に吹き付ける潮風にお洒落な銀メッシュの髪が揺れている。切れ長の目は、少女漫画の世界から抜け出てきたかのようだ。背は一八〇ちかくだろうか。黒い戦闘服を身につけていたが、ヘルメットは被っていなかった。

 かれはふと立ち止まって、

「津田――いや、ふにゃちん氏から話は聞いたよ。きみがカシューさんかな。よろしく」と、微笑を浮かべた。「あいつはあのとおり、なかなかの戦闘バカだけど、俺も戦闘は嫌いじゃなくてね。パンク・ウォリアーズの世界ランキング三位と戦えると聞いて、即、喰いついた」

 僕は無言で、淡河のインストールしているディフェンダーを参照した。スリー・スターズ。イスラエルのオルガド・リミテッド社が設計し、USPRの国営兵器産業が受託生産しているものだが、改造やカスタマイズを重ねているようで、詳細はほとんど分からなかった。ただ、スリー・スターズはパワータイプではなく、情報の収集や分析に秀でたものであることは知っていた。現場指揮官のあいだで評価の高い機種のひとつだ。

 かれは続ける。

「俺の名前はあいつから聞いているだろうけど、ここではお互い、名無しってことにしておこう。じゃないと、学校のシステム管理者にバレたときにトボけられなくなってしまうからね。……さあ、始めようか」

 言うなり、淡河は忽然と消えた。僕はいきなりのことにパニクった。ジャミングか、光学ステルスか。各種のレーダーを起動させると、すぐ近くにプラズマ反応が確認できた。僕は防御フィールドを厚くしながら、ジャミングの中和を指示した。光学ステルスだったら、時間的に、もう成すすべがない。さいわい、中和してすぐ、淡河が姿をあらわした。しかし、すでに眼前に迫っている。

 かれはあいかわらずの甘い微笑を浮かべて、まばゆく輝くプラズマのひかりを至近距離でバーストさせた。僕はとっさに飛びのいたが、防御フィールドが激しく損傷し、派手に火花が散る。ジャック・ポットは修復にとりかかるというが、僕は嫌な予感がしてそれを後回しにさせ、腕をふって全力でプラズマを飛ばす。

 淡河の端正な顔から笑みが引いた。たぶんこっちが防衛本能にまかせて防御フィールドを厚くするとでも思っていたのだろう。それを前提で、なにかを企んでいた。ところが逆に僕が反撃に転じたので、計算が狂い、戸惑ったのだ。

 相手が動揺したときには付け入るにかぎる。僕は猛然とリソースをプラズマ攻撃につぎ込み、激しくプラズマを放出した。光が大蛇のようにうねり、淡河の防御フィールドは、氷の砕けるように損耗していく。

 もらった、と思った、そのときだった。

 突然、猛烈な立ちくらみとともに眼のまえが暗くなり、僕は膝を折った。背骨から後頭部にかけて、針を差し込まれたみたいに痛みが走る。

 ステータスを参照して、やっと原因が分かった。情報障壁を突破されていた。

「……やるな、きみ」と、淡河は膝をつきながら言った。「ところで、ジャミングも、クラッキングも、まったく仕掛けてこなかったね。たぶん、まだ操作になれていないんだろうな。やれやれ、あやうく、縛りプレイをしているのとおなじような初心者に負けてしまうところだった」

 僕は崩れ落ちながら、かれを見上げた。僕を誘惑したい訳でもないのだろうが、依然として、やわらかい笑みを浮かべていた。もしこれがかれの素だとすれば、とんでもない女たらしに違いない。

「攻撃にリソースをつぎ込みすぎたせいで、情報障壁が脆弱になっていたよ」と、かれは指摘する。「そこへクラッキングをかけて、きみのディフェンダーに負荷をかけ、脳と脊髄を焼かせてもらった。ジャック・ポットの柔軟性が災いしたな。というわけで、俺の勝ちだ」

 意識が遠のいていく。

 かれは大きな声で、また遊びにきなよ、言った。

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