スライムを討て-06
●怪物の赤い眼
タケシは速い。特に女の子を乗せたタケシは。
しかも多少左右に振れるけど。藪を岩場を草地を畔を抜け、疏水や開渠を越えて、空を飛ぶ魔法の絨毯に乗ったみたいに縦揺れも無く駆けて行く。
滑るように、飛んで行くように、スジラド達を水源に運んで行く。
「思ったより早いや」
「うん速いよね。流石自分で自慢するだけあるね」
クリスちゃんは僕がタケシの事を言っていると取ったようだけれど、早いと言ったのは別の事だ。
チカの眼から見渡すと、スライムの進行速度が見立てよりもやや早い。
平押しに進行するのではなく、一部が先行して速度を上げ新宇佐村へ突き進んでいる。
獲物を求め蛇のように、丘を縫い野原を貫き迫るスライム。
良し引っ掛かった。
道に沿って進撃して来るスライムは、幅数メートルの小川に掛かる橋まで到達。
だけど丸木橋を連ねた隙間を葉の付いた枝を埋め込んだ粘土で埋めた土橋の上には、僕が嫌がらせの様に盛り上げた除虫の草の山。
迂回路を探すスライムが、うねうねと小川に沿って広がった。結局スライムは迂回路無しと悟り、身体を橋の手前に集めて、自らの身体でアーチを創り小川を越えることになるのだが。そこに至るまでに十数分を使わせることに成功した。
防衛ラインとなる地境の河。洞窟側の岸に築かれた火計略の陣の準備は済み、兵は村側の岸に集結している。
既に八橋の杭の上から橋板が撤去され、兵の前に垣楯として並べられている。
何もしなければ村まで一部だけとは言え侵入されかねない状況だけれど、ここはアイザック様を信じるしかないかな。魔法の属性を考えれば有利とも言えるから、先行したスライムの一部だけであれば間違いなく抑え込める筈だよ。
だけど、一部であると言うことは常に消耗戦を仕掛けられているってことだ。だっていくらやられても核が無事ならスライムは不死身なんだもの。
急がなきゃ。後続が合流すればその勢いに飲み込まれるのは間違いない。
「兄ちゃ……」
首を反らして見上げる瞳。
「心配しないで。兄ちゃと一緒なら、クリス何でも出来るから」
気を使われちゃった。心配事が顔に出てたみたいだ。
「もう直ぐ水源だ。一緒に頑張ろうね」
僕は口元に笑みを作った。
「うわ、これは……」
千歳の昔から存在すると言われる水源。伏流水を集めて満々と水を湛えるその規模は、四国の満濃池よりまだでかい。
そこから堰を越えて溢れた水が下の七つの池に分かたれ、さらにその内の三つから、新宇佐村へと疎水が引かれている。
僕もチカの眼がなかったら、ここが古き水門などとは思わなかっただろう。古い河筋を塞ぐのは大岩に支えられた堤の筈なのだが、既に堅固な巌と成って一面の苔で覆われていた。
苔を剥がすとその下は、細かい小石の隙間を埋めてコンクリートの様に固まっている岩。
「えーとこれは確か石灰質角礫岩ですね。……は!」
僕初めて見たよ。細石が苔生してるのを。
思わぬ発見に踊る心。
さらに苔を剥がして行くと、丁度、僕が万歳した指先の高さから上が別の材質で出来ている。
下よりも柔らかく脆い物質だ。地層の様に縞を作り、上の方まで続いている。
「……これは版築だよね」
石灰分を多量に含んだ土を突き固め、徐々に高くして行く工法で人間が作り上げた人工の地層だ。
長い時間の間に、これも岩のように固まっている。
「クリスちゃん。タケシの上に避難してて」
僕はかなり距離を置いて、試しに電磁波で鉄釘を打ち込んでみる。
キュキュキュキュン! キュキュキュキュン! キュキュキュキュン!
地層に食い込む轍の釘。だけど予想通り、こんなものではびくともしない。
「ですよねー」
この程度で壊れるなら千年もの長い間持ち堪える訳も無いか。僕がどうしようかと思案し始めよりも早く、
「きゃあ! 兄ちゃ兄ちゃ!」
半泣きでしがみ付いて来たクリスちゃん。何事かと様子を伺うと、ちょうど細石と版築り境辺りに蛇の巣穴があるらしく、穴から蛇が顔を出して居た。
毒蛇だ!
咄嗟に頭から降って来るのを、抜き打ちに剣を一閃。ほっと息を吐いたのも束の間、今度は、
『スジラド。急げ』
チカの呼び掛け。
意識を向けると、遂にアイザック様達が接敵した。橋板を取り除いた八橋を越えようとするスライムと、アイザック様達が戦っている。上から見るとかなり危うい。ここを抜かれれば村はスライムに飲み込まれる。
僕は目の前の壁を睨む。この場所は、上空から見れば一番薄い箇所だが、それでも堤防としての役割を長年務めてきたのだ。蛇の穴はあったけれど、それ程深くは無い筈だ。
「水の所まで、小さな穴一つでも開ければなんとかなると思うんだけど……」
僕がぼそりと口にした時、
「兄ちゃ、タケシが言ってる。クリスには土の加護があるって。父ちゃから土の魔法の素質を貰ってるって。
だから兄ちゃ、魔法教えて。兄ちゃは全部知ってるんでしょ?」
と覚悟の据わった眼で僕を見上げた。
使えそうな土の魔法を選び出して教え、習字で手を取って教える様に試したら。
「凄いやクリスちゃん」
試した岩にクリスちゃんの小指がなんとか通る位の穴を作れた。直接手を触れないと無理だったけど、なんとかなるかも知れない。タケシが僕だけじゃお話にならないと言ったのはこの事だったんだ。
僕は低いクリスちゃんの背を肩車で補い、魔力の流れをサポートしながら位置に就く。
「元いに亨る咸く亨る
霜を履みて 堅氷に至る 開け地の地 抜穴」
クリスちゃんの身体が薄っすらと黄色の光を帯びると、
『早くお前も合わせろよ』
僕の頭に声が響く。
『誰?』
と僕が問い返すと、
『お馬さんだよ』
とクリスちゃんの声が頭に響く。
『タケシだよ。だからいい加減契約しろと言ってたんだぜ。後でちゃんとして貰うからな』
あれって夢じゃなかったんだ。
『どうすれば?』
『あ~! 兎に角、稚媛に魔力を送りながら、ひたすら元に戻れと願い続けろ』
『判った』
『媛はもう一度唱えてくれ』
『うん』
「元いに亨る咸く亨る
霜を履みて 堅氷に至る 開け地の地 抜穴」
今度ははっきりと、黄色く僕達は輝いた。
ピシ! 穴の奥の奥から響く音。穴を伝って滴る水。
『急いで俺に乗っちまえ!』
蹄を岩に鳴らしながら、クリスちゃんの服を咥えて背に放るタケシ。続いて僕の首に噛みついて同様に自分の背に乗せた、
『しがみ付け!』
タケシの声に僕もクリスちゃんも必死でしがみ付くのを見届けてから、タケシは駆けだした。
小さな穴を広げながら壊れた消火栓の様に噴き出してくる水。
壁に皹を走らせ、打ち壊しながら猛り狂う水。
瞬く間に水源の壁は崩壊した。そして鉄砲水となって古い河筋を降る。
タケシの背から眺めると、今や轟々と流れるその河は、岩を砕き岸を削り大木をへし折り根元から引き抜いて暴れまくっている。所々に巻く渦は鬼灯のように赤く光り、巨大な怪物の眼のように見えた。





