スライムを討て-05
●肝を見せん
新宇佐村から尽く、ナオミとクリスを除く女子供を峠の向こうに疎開させ、領軍とノズチを地境の河に張り付かせた。
突貫工事で櫓を組んで、筅の如く切れ目を入れた材木に獣の脂を塗りこめて、襤褸を引っ掛け括り付け、油を掛けて染み込ませる。河に掛かる八橋の、橋板全てを取り外しズラリと並べて垣楯とした。
板を失い杭だけが残る河面の向こうにジリジリと迫って来るスライムの流れ。
他領の軍とも盗賊とも、魔物の群れともまた違う厄介な敵。なにせこいつと来たら剣も槍も弓矢も原則効かないのだ。核を壊さねば不死身の身体。
俺やナオミのような魔法を使える者ならば多少は勝ち目も増えるのだが、それを俺の家来共に求めるのは到底無理だ。高価なマジックアイテムを与えた所で、学の無い連中には使いこなせぬ。
「武力と忠誠だけならフィンの部下に引けは取らないんだがなぁ」
その九割を超える奴らは、腕こそ立つが書類仕事を任せられないレベルで指導が足りない。中には仮名で自分の名前の読み書きも覚束ない者までいる。当然の話として、ある程度ならば感覚的にマジックアイテムを使うことが出来ても、窮理を会得して使いこなす力量に達していない。
スジラドの前では格好付けたが、何の事は無い。今回の様な武勇のぶつけ合いではどうにもならない事案には、まだ誰一人任せられる部下がいないのだ。だから危険を冒しても大将の俺が出張らねばならない。
知ってか知らずかは判らないが、
「お兄様無双の始まりですわね」
こう言ってくれるナオミの存在がありがたい。
つい空を見て、幼くして見罷ったナオミの兄弟を思う。当歳で逝った俺と同い年の長兄。五歳でハシカに斃れた次兄。三歳の時事故で命を落とした末の弟。あいつらが生きていてくれさえすれば、こんな時どれほど俺の力になってくれたことなのか。
あるいは、俺がスジラドを欲しているのもナオミが入れ込んでいるのも、それに一因があるのかも知れない。ナオミの弟が今生きていれば、丁度スジラドと同い年に当たる。
「ふ。人に勝る知恵などと、古文書に書かれては居るが。どうやら巨大な総身に回りかねているようだな」
向こう岸に急ぎ設置した柵や櫓。あからさまに置かれた鹿の枝肉に誘導されている。
仕事を終えた兵どもは、既にこちらに退避済だ。
「お兄様。来ましたわ」
ナオミは、杭に自らを橋渡しして渡って来ようとしている対岸のスライムを臨み、印を組んだ。
「井渫くして食われず 我が心惻みを為す
用て汲むべし 放て水の風 水撃」
河を前にしての魔法だから、ナオミの力は何倍にも成って顕現した。
十、二十、三十……。河面から引き上げられた水の礫。それがナオミが手を振り下ろすと同時に嵐のように叩きつけられる。
削られ、河に落ちた部分が流水の中でうねうねと蠢きながら、次第にパンパンと膨らんで行く。
そして浮腫みがその限界を超えたその時、直火に掛けた果実が膨らんで弾けるように、中味を河の水に撒き散らして果てた。
スライムは次から次へと身体の一部を送り込んで来るが、その度に水礫の嵐が降り注いで、スライムの企みを流し去った。
「うふふふふっ」
嬉々として水の礫を放ち続けるナオミの半陶酔の笑顔。
「おいおい……」
俺は思わず、
「……今後、あいつを怒らせるのは止めておこう」
と口走っていた。
それでも迫るスライムには、丸太の様な大松明を突き付けて俺の郎党達が防いで行く。
この塩梅なら行ける。俺も熱線を使って回り込もうとするスライムを押し留めた。
時と共にスライムの重心が、対岸近くに集まって来る。スジラドと約束した二時間まであと少し。だが、始めは薄く地を這っていたスライムも、今では小山以上の化け物としてその姿を晒していた。
「お兄様。あれを」
ナオミの指差す方をみれば、巨大な核が真近に来ている。
「聴け我が兵! これからが本当の戦いぞ!」
大声で呼ばわるとあちこちから、
「「「応!」」」
と雄叫びが木霊する。
「対岸の櫓に火矢を放てぇ~!」
剣を掲げて円を描いて振り回すと、一斉に矢叫びが猛る。
一瞬空が燃え上がった様に輝き、火矢は幾筋もの火線と成って油を仕掛けた櫓に降り注ぐ。
「御大将! 燃えません」
「ちっ。水が掛かり過ぎたか」
俺は、
「俺が行く! 唯、道具で支援せよ! うぬらが如き未熟者は付いて来るな」
そう言い捨てると、俺は助走を付けて飛び出した。そして河面に浮かぶ八橋の杭を足場に跳んで行く。
一町近くある河を跳んで独り河を横切り、
「雷電合して章らかなり
今ぞ獄を用いるに利し いざ法を勅えよ
燃えよ火の雷 熱線」
俺は熱線の魔法を使って櫓に火を着けた。
火は炎の塔となって燃え上がり、さしものスライムも怯みを見せた。
背に負う炎を絶対の防壁と成しスライムに相対し戦う俺に、
「艱難習なりて汝を打ち拉ぐ日にも
強くあれ 雄々しくあれ 心ひたすらに亨せ
起これ水の水 治癒」
ナオミは支援の魔法で援護する。
「ふ」
不意に可笑しみが湧いて来た。櫓が燃え尽きるのが命の燃え尽きる時。
「スジラドが失敗したら俺も死ぬな、これは」
どうやら俺は、自分が思ってた以上にあのガキを買っていたようだ。
「なあに。古来より背水の陣に例はあるが、背炎の陣はこの俺が肇。死んでも俺の名は残ると言うものさ」
尤も、無謀の例えか勇者の例えか、そこまでは判らぬが。
「「「御大将~!」」」
後ろから近づく声と水音。
おいおいこの馬鹿共め。俺に付き合って死ぬ積りなのか? 小脇に丸太の松明を引っ提げて、遮二無二河を渡って来やがる。だから俺は家来共に呵々として告げる。
――――
世は真闇に埋もれども。
早、鶏は目を瞠り、時を作る備えあり。
宇佐の安危はこの一挙。今ぞカルディコットが武士の肝を、天地の間に見せつけん。
奮えや兵! この渡を越さば我らが勝利ぞ。
えぇーい! えぇーい!
――――
「「「「「応!」」」」
声は山野に鳴り響いた。
只今、111記念企画準備調整中。





