君の名は-02
●若い駿馬
翌日、帰るサンドラ先生の馬車を見送った時から、書類仕事と書類と現地の付き合わせが始まった。
昼間は馬で現地視察。乗るのはこの村で養われていたネル様救出の時に買ったあの仔馬だ。
どうやら普通の馬ではなく未だに仔馬のまま。モーリ師匠の話によると、下手をすると人間以上に長生きする生き物らしい。
気性は荒くて人見知り、随分と世話係に迷惑を掛けたらしい。なのにずっと放って置いた僕にあっさりと背を許してくれた。
「こいつ、スジラドの他にはアンとか女の子しか載せねぇから。滅法女好きな馬だって評判になってやがるんだぜ」
轡を執るのは天秤棒のリョウタだ。僕が知らない間に伯爵様が、イヅチとして召して僕に付けてくれた。書類上は僕が雇ている家来の形になっており、現在モーリ師匠から武術の指南を受けているそうだ。
「スラムの子も何人か、ネル様を助けた褒美に伯爵様からの援助を受けている。何人かはイヅチに取り立てられ、俺と一緒に訓練受けてるんだぜ」
リョウタは今、棒術を特に仕込まれている。誰に習った訳でもないが、いつか覚えた天秤棒の術。それを師匠が基礎から作り直しているのだと言う。
「やっぱ、師匠に付くと上達が早いねぇ。自分が強く成ってく実感がある。ただ妙な癖がついてるらしく、それを取るのが正直辛ぇ。けどよ。それが取れたら飛躍的に強く成れるって師匠が言うんだ」
瞳を輝かせて語るリョウタ。彼に轡を執らせて方々を回る。
「うーん。役に立たないや」
実地に行って調べてみたら、資料の地図が古過ぎて帳簿と大きく変わってる。
それでもきちんと開発計画が成されているのか、農具や牛馬を入れる都合何だろうか、畑や沼畑は横も縦も百八十センチ単位の見事な長方形。街道と同じで高さを均し地形を作り替えてまで徹底している。
用水路に沿って沢山の細長い幽霊沼畑とかまでこの単位で創られているのだから恐れ入る話だ。
クオンの慣例でこうした規定外の幽霊耕地は、キチンと規定の年貢を納め続ける限り普通の農民でも作り取りにさせて、凶作の時のバッファーとして利用している。所謂、上に政策あれば下に対策ありと言う奴だ。
でもまあ、幽霊沼畑は兎も角、地図に無い正規の耕作地がある。この十年で新しく開墾した処だ。これがもう沢山あって大変大変。
夕方以降は光が揺れない魔法のランプの灯りの元、調査結果を突き合わせる。
「あ、あー!」
机の前で伸びをしたり、首の横を伸ばしたり。ほんと僕、何やってるんだろう?
まあ十歳の身体が眠りを求めるから、夜の七時には切り上げて食事を採り、八時にはお風呂に入って寝ちゃうんだけどね。疲れているから朝までぐっすり。起きたら鍛錬の後にアレナガおじさんの家族と一緒に朝食を採り。そしてお仕事の日々が続く。
そんな暮らしが暫く続き、安息日がやって来た。
習慣になった早朝の剣術他の鍛錬を終えた後、一人二度寝の夢を見る。
「おい!」
真っ白な世界で僕は呼ばれた。
「いつまで俺を放って置くんだ?」
責めるような声で訊いて来る。
「君は誰?」
「かぁ~。これだから鈍ちんは。数年ほったらかしにしやがって。いいよ。契約してもお前は二番目だ。俺の好みは媛の方なんだからな」
「だから誰さ」
「俺は馬天。契約するのかしないのか、いい加減決めろ」
全然覚えは無いけど、声に卑しい誤魔化しは無い。だから、
「待たせてごめん!」
と僕は謝った。
「判った。ならば俺を字でタケシと呼べ。本契約はまた今度だ。但し、散々待たせた報いだ。俺はお前より媛を優先するぞ。じゃあな」
声が途絶えると世界が揺れた。まるで大きな地震のように。
「……ん?」
揺すられてる。未だ眠い目を開けると、ちっちゃな女の子。まだ短い髪の毛を、大きなリボンで結んでる。
「クリス……ちゃん?」
名を呼ぶとにこっと笑う女の子。視界には、済まなそうにしている姉やさんがいた。
「何時?」
と僕が訊くと、
「午後の鐘を鳴らした後です。随分お疲れでしたね」
つまり午後一時から二時って所か。でも、お陰で疲れが綺麗に取れたよ。
「兄ちゃ、兄ちゃ、遠乗り~」
周りの大人たちと比べ歳が近いせいだろう。最初もじもじしていたクリスちゃんは、ほんの数日の間にすっかり僕を気に入ってくれた。
「お休みの所申し訳ございません」
姉やさんは頭を下げる。
たまには仕事を離れた乗馬も悪くないかな?





