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君の名は-01

●アレナガおじさん

 十歳になった。

 三年の研鑽を積みサンドラ先生からお許しを貰ったので、僕だけ一旦先生の下を離れて宇佐村へ行く。

 先生の馬車に送って貰い、街道を行くこと一週間。そこから枝道の領道を四日間。

 ぬかるんだ山道を一日経て、僕は宇佐村の土を踏む。


 堀の土を掻き上げた土塁に、泥を塗り込んだ丸太の壁。野獣や魔物に備えた、良くある典型的な辺境の村だと先生は言う。

「先生。聞いてたよりも広いんですが……」

 するとサンドラ先生は、

「ここは余り良い沼畑ぬまばたけじゃないからよ。畑や沼畑の広さは徴税の都合で決められているの。大人一人が一年に食べるオリザが一石。その一石が採れる沼畑の広さを一反(いったん)と言うの。だから収量の少ない下畑(しもばた)の一反は収量の多い上畑(じょうはた)の一反より広くなるのよ」

 麦はオリザより面積当たりの収量が少ないから、麦畑の一反はもっと広くなる。農地の広さが場所によって違うと言うのは確かに不便だけれど、領地経営においては物凄く合理的だ。

 因みに、畑や沼畑の等級は二十年毎に、過去十年の実収穫を元に見直すらしい。そして今年が改定の年。僕がここに来ているのも、改定作業で手が足りなくなったためだ。


 サンドラ先生が門衛に貝符を渡すと、観音扉が開かれた。

「ウサ様はあちらの館砦の方にいらっしゃいます」

 指差す方は小高い丘。レンガの壁で囲まれた、宇佐氏の住居。宇佐村の始まりの地なんだと言う。

 来客を告げる、門衛の連絡ラッパが鳴り響く。ラッパは相手に背を向けて吹くホルンの形であった。


 館までの道のりは、馬車で凡そ三十分。先程の連絡があったせいか、到着を出迎えてくれる人達がいる。


「やあ。君がスジラド君だね。吾輩は古今の荘も預かる宇佐の荘の住人、アレナガ・サイ・ウサだ。気安くアレナガおじさんと呼んでくれ給え。助っ人遥々ご苦労さん」

 歳の頃は三十代。中々気さくなおじさんだ。

 でもアレナガおじさんって……。思わず僕は、あらぬ所に目を向けてしまった。

 するとおじさんの足元に隠れるように。四歳位の女の子がぴたっとくっ付いているのが見えた。

「えーっとー」

「娘のクリスだ。ほら、お兄ちゃんに挨拶して」

 挨拶を促して前の方に押し出した。

「クリスちゃん。ご機嫌よう」

 だけど女の子はもじもじと顔を赤らめて、またアレナガおじさんの後ろに隠れちゃった。


 そこで改めてアレナガおじさんは頭を下げた。

「随分と遅くなったが。君達が人攫いに捕まった時、兵を出せずに済まなかった。この通りだ。吾輩も親父が倒れて襲爵間もなかったのと豊作貧乏対策に大童(おおわらわ)でね。おまけにクリスが生まれた頃で、伯爵様からも『孝行に励め』とお言葉を貰っては居たのだが……」

「あ。お気になさらないで下さい。ネル様もアレナガ卿と面識も何も無かったんてですから」

 随分と律儀な人だ。僕は頭を上げて貰うのに一苦労した。


「ネル様は息災ですか?」

 とそこに顔を出したのはお久しぶり、モーリ師匠だ。

「師匠。なんでここに」

「まあ色々ありましてな。ネル様の担当を外された今は、伯爵閣下に頼まれてスジラドの家来どもを鍛えているのです。この一年で、少しは使えるようにしておきましたよ。後ほど、引き合わせましょう」


●十年の重み

 館砦は三方切り立った崖に守られ、正門へと続く一方は、最初はきついが次第に緩やかになる扇形のスロープの道が造られていた。

 丘の上の城壁は地形に合わせた変形八角形の間取りで、何れの角も百二十度以上の鈍角だ。壁は一面だけ他より低くなっており、そこに正門が造られている。門が開かれて驚いた。中にもう一つ同じ高さの城壁がある。

 加えて入ってすぐに深い堀。掘幅凡そ十メートル。堀の底から内側の城壁の高さを計れば、ここだけ逆に倍の高さになって居る。

 門から堀に渡された木の橋は、堀の向こうの城壁手前で左に折れ、回り込んで中へと続く。

『あれ? 橋の板にロープが』

 非常時には引き上げるのだろう。一つ一つがタワーシールドくらいある橋板は表面が焦がされた黒い厚板で、ロープで数珠繋ぎに括りつけられていた。

「いざという時は引き込めるようになって居るんだ。敵の軍勢に攻められても、そう簡単には堕ちないよ」

 ドヤ顔で言うアレナガおじさん。

 この人一体何と戦って居るんだろうとは思ったけれど。案内された館内の、普通の三倍以上深い井戸や鍛冶場などを見るに付け、この世界の物騒さを思い出して納得する。


「ここにあるのが開墾地・新宇佐(にいうさ)村のここ十年分の記録だ。開墾記録や実収量の記録。用水掘削の前と後の収量変化などが積んである。いやあ助かったよ。領民を飢えさせぬ様、開墾治水が最優先でこう言った記録の整理はどうしても後回しなんだ」

 今、何て言ったの? ちょっと耳が拒絶反応起こして聞えなかった。

「えーと。書類整理は……」

「この十年してない。開墾地は全て下々畑(しもじもばた)扱いの徴税になって居て、住民の生活は楽なんだが。最近伯爵様からも住民からもせっつかれてね」

 不思議な事を聞いた。

「え? 伯爵様からは判るけど、税が重くなる住民からも?」

 僕がどうしてと詰め寄ると、アレナガおじさんは苦笑い。

「ああ。土地を引き継げない次男三男を入植させて、開墾成功の暁には開墾地の領民にする約束で無理をさせて来たからね。


 開拓民三十戸の内、二十一戸は今までの安い税でしっかりと貯えを創って居る。だけど世の中は最低でも下畑(しもばた)の土地持ちと認められないと嫁の来手がないんだよ。子供が生まれない集落は、長期で見れば、衰退するしかないだろう。

 残り九戸は早々に普通に嫁を貰うのを諦めて、将来の嫁にする為にモノビトの子供を贖った。その幼児でここに来た娘達も次々に結婚出来る年頃になって来てね。実際もう結婚してる者も子供が生まれた者も居るんだよ。

 そうなると先の連中との格差がね。益々地租改正の声が高まって来ているんだ。


 最後に。うちや伯爵家の収入にはならないが、五戸のノヅチも家格を上げたいと言う理由で開墾農地の格付け見直しを求めている。なにせノヅチは、持ってる反数(たんすう)の多寡で手下(てか)に抱えるイズチの数が決められているからなぁ」

 同じ耕作面積でも、収量が上がると反数は増える。すると手下のイズチを増やすことが許されると言う理屈だそうだ。


「うちは土日がお休みだ。部屋を用意するから明日から頼むね」

 アレナガおじさんって結構ブラックかも。


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