プロローグ 美味し地
●美味し地
乳母の家・ティプス家の屋敷に戻り、俺は親父の館に仕える息の掛った使用人からの報告書に目を通す。魔物征伐で半月も帰れなかったから、随分と貯まって居た。
最初の報せは新宇佐村の地租改正の話だ。
俺の祖父、先代カルディコット男爵が現役の頃から、二十余年に及び開拓費用全額を負担し、家臣ウサ騎士爵家に開発させていた北の開拓地・新宇佐村。
今では随分と開発も進み、収穫高も増えていると聞いている。開拓地だから未だ下々田評価のままだが三十戸合わせて二百石程と言う事になって居る。帳簿上はなんとか騎士五人を動員できる石高だ。
しかしあそこは、たまの冷害を除けば安定した領地となって居ると聞く。後三年もすれば地租改正の年だから、随分と評価も跳ね上がる事だろう。
下々田とは開墾間もない、畑や沼畑の収穫だ。整備された耕作地だと倍以上の隔たりがある。しかも、まだ新しく拓かれた耕作地は存在して無い事になっているのだ。
「俺が知る限りの情報を突き合わせると、改正後の倍高は堅い。四百石と言えば騎士十人を動員出来る経済力だ。決して軽視は出来ない土地だから、近々親父も行政官を送るだろう。問題は誰にここを任すかだが……」
まあ、自分の物になる領地でも無いので、軽く流して報告書を片付けて行く。
「な、なんだと!」
目を疑ったよ。新宇佐村に使わされる予定の親父直属の行政官とやらが、まだ最初の七五三・七歳の儀を終えたばかりのガキだって事に。
続く手紙の写しに目を通し考える。確かに行政官として赴任しろと言う内容だ。
どうにも判断に困る部分が結句。それ自体は配下に対する下し文の結句の一つに過ぎないが、直前の内容が内容だけに別の意味にも取れるのだ。
親父に問い質すべきか? いやいや、藪を突いて蛇を出しかねん。
間者を送っておくべきか? いやそれも拙い。明るみに出たらフィン付きの家臣共が過剰反応するだろう。うちの血の気が多い連中だって勝手に先走る奴が出かねん。
「下手な奴は送れないぞ。親父やフィン付きの家臣達を刺激せず、声望もあり絶対に俺を裏切らない者。
居るのか? 俺の家来共は武辺一辺倒ばかりだからなぁ」
悩んでいると、ドアを叩く音が響いた。
「入れ」
許可すると、
「お兄様。お疲れですね」
乳母子のナオミが俺好みの熱い茶を持って入って来た。
ナオミは今年十三歳。世の基準からすると結構な美人らしい。求婚者も結構いると言う。
まあ確かに去年よりずっと綺麗になったが、だからどうした? と言うのが俺の感想だ。
「あ!」
声を漏らした俺をきょとんと見つめるナオミの瞳。そうだよ、居るじゃないか。うってつけの人間が。
「なあナオミ。お前、三年前の七歳の儀で書記の資格を持って居たよな」
「はい。ですが宮仕えするには伝手がありませんと」
つまり伝手が有れば問題ない。
「それに水の加護と水の適性を持っていたよな。魔法はどこまで使える?」
「はい。座学では奥義まで伝授して頂きました。ですがまだまだ修練中で、使い熟せている訳ではございませんわ。……お兄様。それがどうか致しましたか?」
軽く言うが、騎士爵家の娘で無ければ神殿に囲われる稀有な才だぞ。こいつしっかりしてるようでおっとりしているからなぁ。
だが、今回の話にはこれ以上の駒は無い。
「これから親父に掛け合って来る積りだが、良かったら自分の力を試してみないか?」
するとナオミは、乳兄妹の俺から見てもはっとするような輝きの笑みを漏らして、
「それはお兄様のお役に立てますでしょうか?」
と聞いて来た。
「ナオミ。お前は俺には過ぎた妹だよ」
些か気が咎めるが、何も嫁に出す訳じゃない。俺は一言、
「頼む」
と頭を下げた。