ネル様を助けろ-05
本日は0時6時18時21時の4回更新です。
●一宿一飯
人攫い達は混乱の中にあった。地の利は本来彼らにあったが、彼らとて目を瞑ってねぐら周辺の大石小石の凸凹や木の枝木の根の茂る中を、闘技場を歩く様に動けるわけではない。
霧が混乱を増幅し、蹄の音と石礫が脅かし、霧の中を突っ込んで来る騎馬の存在が、冷静になる余地を与えなかった。
「どうした! 人買いの衆」
響くのは少年の域を脱したばかりのまだ若い男の声。
「おおう! 権伴のデュナミス殿か! 一宿一飯の義を果たして貰いたい」
人買いの頭が彼に答えた。
「人買い衆の頭。改めて確認するが知って居るな? 我らは畏くも、気を付け!」
頭が不動の姿勢を取ったのを確認してから続きを話す。
「皇帝陛下の、直れ!」
一呼吸おいて続きを言う。
「定め給うた掟により、護る・防ぐ・逃がす。三つの報恩のみ罪を問われぬ。仮令お主が畏くも、気を付け! 皇帝陛下に、直れ! 寇す逆賊であっても。我らが伏して希えば、お主の命ばかりは許される」
皇帝という言葉が出る度にいちいち仰々しく、気を付け! 直れ! の号令を挟むデュナミス。
本当にめんどくさい儀礼だが、これも彼が権伴、すなわち一応は皇帝陛下の直臣だからである。
「何が有っても堅く護ろう。問おう! 貴様はわしに何を望む?」
「馬を、馬を防いでくれ」
「心得た! 格闘無敵・ステゴロのデュナミスが働き、その目で確と見よ!」
砂鉄を仕込んだオーク革の手袋を腕に嵌め、鋼の板を仕込んだブーツの踵を地面に打って、寸余の刃を繰り出すと、男は蹄の音に向かって駆け出した。
「どうする? 権伴だぜ。しかも一騎当千の豪傑タイプ」
「聞えてるわよあんな大声。あんなのとはまともに当たるだけ馬鹿よね」
ピー! ピュルルルーー。ピィ! ピピピピー!
アンは指笛を吹いて、新手の参入に対応する。
本物の馬の蹄の音に合わせてお椀で地面を叩いていた仲間達が、合図に合わせて移動を始めた。
「ゴルラァ! 駄馬めがちょこまかと」
霧の中を駆け抜ける豪傑は翔ぶが如くに馬を追う。飛び来る礫や箸サイズの竹槍のような物を打ち払う時、僅かに時間を取られるせいで、今一歩の所で追い付かない。
「ちっ。あいつ全然隙がねぇ! おまけに何度もこっち向いてにやりと笑いやがる。ひょっとして、あいつ気が付いてるんじゃねーのか?」
「その様ね。人攫いに頼まれたように、馬だけなんとかする積りみたいだわ」
「ほんとにそれしかしねーのかよ。いや、こっちは助かるけどよ」
物陰でリョウタとアンが会話する間も、事態は変化し続ける。
「あ、あー!」
遠くでザブンと水の音。
ピュー! ピュ、ピュ、ピルルルー。
「やったなスジラド」
リョウタが合図と悲鳴と水音で、豪傑が川に落ちた事を悟り、拳を天に突き上げた直後。
「もう矢竹が尽きた」
「礫もあと三つ」
報告される状況にアンは、
「スジラドの作戦通り礫を残して撤収します。人攫い達をなるべくねぐらから引き剥がして行きましょう」
敵を吊り出す為の戦場からの離脱を決断した。
丁度その頃。
ぷかーっ。
岩を砕き岸を削る急流の谷川を、仰向けに浮かんだ男が流れて行く。馬にのったスジラドを追い掛けていたデュナミスだ。
「ガキの癖に大した奴だ。見事にわしを往なしおった。あれはあるいはシャッコウか? そうでなくとも器量持ちには違いあるまい。長じた後が楽しみだ」
笑みを浮かべながら川を下っていると、笛のような声で歌う川の響きに、次第に轟音が混じり大きくなって行く。
「うぉ! 滝か。ふん!」
男が力を籠め、何やら唱えると黒い光が彼を包んだ。そして流れに乗った光は、吸いこまれるように滝壷に落下する。落差は凡そ三十メートル。
ドドーン!
くぐもった響きと共に一際大きな水柱が立ち上り、その中に黒煙が漲った。
そしてそれが静まった時、
「ヨイショ!」
何事も無かったように淵の底から岸に這い上がる男の姿。
「しかし奴ら、人買いと名乗って居ったがあれは人攫いどもに違いない。人攫い風情に果たす義理はこれ位で良かろう。別にわしは人を防げとは言われておらんしのう」
デュナミスは大声で笑った。





