ネルの調略-4
●嵐の予感
「下手に剣を返して貰おうとしたら、厄介なことに成ると思うよ」
クリスちゃんの言う事は良く解る。
第一に、家督争いの渦中に自らを放り込む危険。
あたしの立場は非常に不安定。家督争いから距離を置いているから、兄様達の家臣からの敵意を逸らすことが出来ている。なのに今ここで神剣の継承者の名乗りを上げるのは如何にも拙いわね。
第二に、剣の所有権を主張すればミハラ伯との結婚が不可避になる。
あたしの気持ちは取り敢えずそこの棚に置いといて、これはこれで後ろ盾としては有難い。だけどミハラ伯に人並以上の野心があれば、カルディコットの家督争いの戦いに加わる大義名分となってしまう。
第三に、あたし全然剣自体に興味ないし。そりゃあ剣に付属する領地は中々のものがあるけれど。当代ではスジラド以外抜いた例が無い。
あたし自身剣よりも弓の方が好きだし、剣が戻って来てもだからどうしたの? って感じなのが正直な話。
「すると、神剣はミハラ伯を引きずり込む方向で用いるのがよさそうですね」
武具に全くの愛着の無いシアだからこその提案に、
「なっ!」
デレックは露骨に気色を悪くした。でも、
「妙案かも」
「それもありね」
クリスちゃんにそんな拘りはないし、第一あたしが気にしてない。
その様子に不満たらたらながらデレックは、
「話を聞かせて貰おうか」
と内容次第じゃ応じる構えを見せた。
普段は献納された子供のモノビトに教える教室の一つを借りて打ち合わせが始まった。
ここには黒板もあるしこの手の打ち合わせには都合良い。
地図が広げられる。
子供に教えるために使う物だから、軍事の物と比べて精度が劣る。方位も縮尺もかなりいい加減な地図だ。
その代わり広い地域を網羅して、遥か離れた諸侯の領地も相対位置を程好く表している。
「今の情勢はこうだ。赤石が敵対しているとこだ」
初学の子供に算術を教える時に使うおはじきの石を、地図の上に置いて行くデレック。
「神殿の周りが真っ赤っか!」
思わずはしたない声を上げちゃったクリスが、慌てて口を手で覆う。本当に、周囲は敵ばかり。
デレックは顔の高さに立てた手をパタパタと左右に振って、
「護るだけならどうとでもなる。敵は少領の男爵子爵で、しかも奴らは一枚岩じゃねーんだ。
神殿が中立を侵したと難癖付けて、隙あらば神殿領を蚕食したい連中って以外、奴らの利が一致してる訳でもねー。
そして地の利は圧倒的に神殿にある。
例えば東から遣って来る軍勢は、沼畑に囲まれた一本道を通らなければこっちの芝を踏むこともできねー。
どの沼畑も筏を使わなきゃ作業できねー深さだから、攻めるにゃ骨だぜ。
そうしてその奥は、山に挟まれた谷間の道だ。やっとこ超えても麓の街。
その先は皆知ってるだろう。子供の足で一日の距離だが、どれだけ攻め手にとって厄介か」
七五三の成人の儀を一度でも経験している者にとって、ここを攻め登る苦労は実感できる。
「そしてここがミハラ伯領。神剣の護り手を自称する、ネルの婚約者だった男の領地だ」
デレックは、緑色のおはじきの塊を一掴み握って赤石の東側の後ろに、距離を離して広げた。
間に幾つかの諸侯領が入るが、その圧力は恐ろしいばかりの存在感がある。
「そしてここがブルトン男爵領」
神殿を挟んで反対側の西口に青い石を一つ。これもまた、赤石の連携を断つ位置にある。
「まだ継嗣に過ぎねーが。奴は一貫してネルの味方であると公言している」
「ブルトン男爵って確か」
「六歳のネル様に本気で惚れこんでプロポーズした、十六歳年上の男だ。
現在、実家から『早く子を成せ!』と矢の催促を受けているが、ネル以外に嫁にしたいのが居ないらしい。
当主もそろそろいい歳なんだが、継嗣に子供が生まれねーことにゃ家督を譲れず困ってる。
それで二年前。業を煮やした当主が、一人息子が小さな子供にしか興味を示さないのでは考えて手を打った。
下は三歳から上は十二歳の見目好いモノビトの娘を贖って、手が付きやすいよう小間使いとして侍らせたんだが……。
よっぽどネル様が好きなんだろうな。未だに誰一人、添い寝にさえも漕ぎつかねーって聞くぜ。
だからここは味方と信じていいだろう。少なくとも好意的中立は保ってくれる筈だ」
「味方に引き込む代償は、あたしの結婚。そう言う訳ね。しかも片方は、大乱の可能性もある」
つくづく。面白い事に為ってるんじゃない。あたしの判断一つで大嵐が吹き荒れる訳ね。





