ネルの調略-3
●真っ赤な耳のデレックさん
一見無茶を遣っているように見えて危なげないデレックの用兵。猪武者に見えて駆け引きの機を見る目は確かだ。その解説も何ら疑問を感じる事は無かった。
そう、スジラドが登場するまでは。
その狂信者のような反応に、あたしは違和感を感じずにはいられない。
耳を真っ赤に染めて怒気を発するデレックに向かい、あたしは静かに言葉を放る。
「落ち着いて。あんたは一方の陣からだけ戦局を見てるけど、スジラドは盤全体と盤の外も見ているのよ。
覚えてる? サンドラ先生の教え『勝ってはいけない戦がある』って奴」
「ああ。覚えてるぜ。
獲ってはならぬ城があり、討ってはならぬ敵がいる。
目先の物しか見なければ容易く獣の罠にも陥って、美酒は忽ち苦き盃になるであろう。
敵を滅ぼして、難敵と境を接するは愚。寇を同胞と成す者こそ真の勝者なり」
諳んじるデレック。
「忘れちゃうと幼児の他愛もない罠でさえ、身を亡ぼすこともあるのよ。僅か五寸の穴で落馬落命の憂き目にあった豪傑の話は覚えてるわよね」
「ああ」
「デレックも、大将ならば逆上せた血の降ろし方も修練なさいな。
あんたが才と実力の割に、軽く見られるのはそのせいよ」
言われてデレックは、神官から渡されたコップの清水の半分を飲み干し、残りを自分の頭に掛けた。
流石に今ので頭から立ち上る湯気は消えた。
幾分客観的な説明が出来るようになったデレックの、話の断片を繋ぎ合わせると、あたしは一先ずの仮説を立てる。
「ねぇデレック。ほんの少し前まであたしはスジラドと一緒に居たの」
「え?」
「ここじゃないわ。天を摩く楼が、林のように立ち並ぶ国。馬無し馬車や継ぎ目のない石の道を早馬のように走る世界での話よ」
何を言い出すんだろうと言う顔のデレック。
「気が付くと、あたしはノアって八歳の女の子の中に入り込んでいたの。
そしてその国では、八歳の女の子に賢者様みたいな学問を授けて居たのよ。
そこに居たスジラドは、ノアから見たらおじさんでね。色んな事を教わったの。
あたし、あの世界で窮理の学びを進め、新しい魔法の手懸りを掴んだの。ほんとよ。
あたしがノアだった間、あたしの身体は抜け殻でシアやクリスに護って貰って居た。
だとすると、スジラドに見えてもそれは抜け殻かも知れないわね。
あたしがノアの身体に入って居た様に、他の人がスジラドの中に居るかも知れないし」
「別の奴がスジラドの身体を使ってる? まさかそんなことが……」
「無いとは言えないわよ。でね、そうだと仮定してどうやったら元に戻せると思う?」
あたしが振るとデレックが、
「剣は裏切らねー。命を懸けて手合わせすれば……あ痛っ」
なんてことを言い出すんだもの。思いっきり足を踏んづけてやった。
「お馬鹿ぁ! あんたいったい何考えてんのよ。そんなことしたらあたし、下手するとあんたもスジラドも失ってしまうじゃない」
「言われてみれば確かにな。腕は俺が少しばかり勝っている程度で、スジラド相手に手加減は難しい。確かに命懸けの勝負と為ったらどっちが勝つか判んねー。最悪相打ちもあるだろう」
「それにスジラドの中の人が、あたし達に味方してるのは間違いないんでしょ? だったら敵に回すような真似は絶対止めて」
「味方? あ、言われてみればそうだよな。
今し方もネルを襲いに来たクズ領主の軍に、散発的な攻撃を仕掛けていたし」
やっぱりデレックもズレて居る。
「神器やそれに類するものに触れさせると言うのはどうでしょう? 触れた者がシャッコウや媛の場合、ネルさんみたいなことが起こる可能性があります」
シアは神官としての知識から提案する。
「するってーと神剣か? あのスジラドはそれと思しき剣を抜き放っていたが。いや、あれが本物とは限んねーな。どうやって手に入れたのかは知らねーが、ミハラ伯が本物と主張する抜けない剣を持参して来たし」
「ミハラ伯?」
「ああ。以前ネル様の婚約者としてやって来ていた奴の一人だ。一番年長でネル様より年上の庶子が居る」
思い出した。あの人ね。
「そーすると。スジラドを何とかするには、あの剣を返して貰う必要があるのか」
デレックが口にした時。
「待って! デレックお兄ちゃん。それ、拙いよ絶対。下手に返して貰おうとしたら、厄介なことに成るよ」
嘴を容れたのは、クリスちゃんだった。





