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ネルの調略-1

●ルートシグマ


「なんなのよ! いきなり!」


 ネルが目を覚ました時。紅い石に触ってから早、数日の時間が経って居た。


「半年くらい経ったような気がしていたけど、やっぱり夢?」


 それにしては生々しい。あちらで学んだ大半も頭の中にあり、普通の夢のように消えて行かずにはっきりと定着されていた。

 本の内容を丸暗記している訳ではないので、完全とは行かないものの、これだけ窮理(きゅうり)の理解が進めば、絶対魔法がなんとかしてくれる。


「ネルお姉ちゃん……」


 心配気に近づくクリスちゃんに、


「早く! あたしの筆と手帳を持て来て」


 ただならぬ気配に黙って手伝ってくれるクリスちゃん。あたしは受け取るのももどかしく、一心に手帳に書き付ける。記憶鮮明な今の内に。

 あらましを識っていれば有用な史学は後でいい。細部が大事な算術を優先する。


「ふぅ~」


 幸い。可能な限り細かく書いた文字のお陰で、手帳の三分の二を潰して記載は終わった。

 安堵の一息を吐いた時。


「ネルさん。いつの間にシンコステータの秘儀をお知りになったのですか?」


 シアが驚いている。


「シンコステータ?」


「はい。測量や航海術。そして音などを扱う奥儀です」


 そこへ、


「あのう。宜しいですか?」


 身体から枝葉や草を生やした服を着た女の子。覚えてる。確か枝視(えみ)が一族の巫女さんだったっけ。

 樹々に紛れて判らなかったけれど。二度と手に入らぬ秘宝を手放さないためあたしが悪戦苦闘した時間、すーっとそこで待って居てくれたみたいだ。


「この数日で、風の(ひめ)様を取り巻く状況ががらりと変わってしまいました。

 急ぎ神殿にお戻りを。さもなくば(ひめ)様の一生を台無しにする恐れもあります」


 夢のお告げで与えられた大まかな情報らしい。


「早く戻れって、どうすんのよ。追手が居るのよ。枝視が一族が護衛を引き受けてくれるの?」


 あたしがそう言うと。枝視が一族の巫女はこう言った。


「ここと神殿は、シャッコウの門にて繋がって居ります。

 邪神様を始めとする三柱(みはしら)の神に認められし者に限り。魔力を渡し(せん)として、シンノウ様の(あや)(かしこ)きお力により、一跳びに行き来することが叶います。

 お三方に赤石に触れて頂いたのは、その資格を量る為。よもや風の媛様がお倒れになるとは思いませんでしたが、これで転移が叶います」


「どうすればいいの?」


 あたしが聞くと枝視が一族の巫女は秘事を明かす。


「急ぎ、世界樹の元へ。そこから神殿に跳べます」


 良く解らないけど、丁度いい。外に案内されたあたしは世界樹を指し、


「あっちへ行けばいいのね!」


 あたしはあっちの世界で学んだ窮理を利用して、風の力を操ってみる。

 最初のイメージはロケット。猛烈な風を噴射して、


「きゃあ!」


 大失敗。周りに女の子しか居ないけれど舞い上がった皆のスカートの裾。イメージを改良して行く。

 会心の出来に仕上がったので、あたしは次第にスピードを上げながら上空に舞い上がった。

 でもこれを長く続けるのは、あたしの実力じゃ無理。消耗がとても激しいの。

 だからここから飛行器の原理を利用する。スジラドがハンググライダーと呼んでいた三角の翼。風の翼を肩に着け、行く手の空気を引き込んで翼に沿って後ろに流す。


 ベルヌイの定理だったっけ? 曲線と直線の差で速さの違う風。これが揚力と言うものを産む。これならば、ロケットよりも遥かに少ない力で飛んで居られるんだ。

 巨大な三角の風の翼で上昇気流を捕まえれば、容易く上って行ける。稼いだ高度を利用して、落下と共にスピードを上げる。必要ならば自分で風を操ればいい。

 並木の流れで数えてみれば、おおよそ馬の襲歩の倍の速さ。あれは大体三十二ノットと言うから、七十ノット近い速さだ。

 バンクを掛けてやると、高度を失いながらも綺麗に回る。翼の舵を上手く使えば、さらに綺麗に回ってくれる。

 風を足から噴射して宙返り。空気を蹴って急旋回。あたし一人だけならば、鳥のように空を飛べている。

 目まぐるしく入れ替わる空と大地に眩暈がして来るけれど、これなら戦いにも使えそうだ。


 あ、いけない。こんなことしてる場合じゃなかったわね。ふわりと皆の前に舞い降りた時。あたしはとても興奮していた。

 だって、ものの二百か三百数える飛行だったけれど。ドラゴンやグリフォンにも乗らず自力で空を飛んだのは、ひょっとしたらあたしが初めてなのかもしれないんだもの。


「凄い。それが、兄ちゃから習った魔法なの?」


 はしゃぐクリスちゃんに、あわあわと蒼くなっているシア。


「窮理の理解って、凄いのね。

 多分。あたしの他にクリスちゃん程度なら、一緒に飛んで行けるわ」


 言うあたしの声もクリスちゃん同様、熱に浮かされたように響く。


「風の媛。宜しいですか?」


「あ、はい」


 捕まれた手に引きずられるかのように辿り着いたのは、世界樹跡の池だった。


「今起動させます。池が全き鏡と成りて大空に光を返す時。ルートシグマの門は(ひら)きます。

 百を数えぬ内に飛び込めば、神殿の中に通じます。今直ぐ啓きますか?」


 頷くと、あたし達は再び原初の世界樹のあった場所に案内された。

、枝視が一族の巫女は小さな三つの鍵を取り出して打ち鳴らしながら()う。


――――

 我は虹。二度と迷わぬ輪を創り、永久(とこしえ)の中にたゆとう者の友が下僕(しもべ)

 

 海の鍵・陸の鍵・空の鍵。

 三つの鍵を打ち鳴らし、我が主・オハイゾ・タークの名に於いて我は(こいねが)(たてまつ)る。

 今ぞシグマの道を開き給え。

――――


 世界樹跡の池の表面に、水より軽い水銀が流されたかのように広がって行く。

 池の全面が覆われたその時、空を映して白銀に輝き始めた。


「今です!」


 枝視が一族の巫女の声に、あたしたちは飛び込んだ。


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