心の旅路-6
●美味しい秘密
「加藤さん。こきげんよう」
「ごきげんよう」
挨拶して来たのは、お母さんに連れられた乃愛が在籍するクラスの子だ。
「今日は、お加減は宜しいのですか?」
「ええ。お医者様から偶には外出するように勧められましてよ」
非常にゆったりとした速さで話す事を心掛ける。体育や運動会、スポーツでもない限り走るのはご法度。
流行語も流行の歌も口に出したら反省文を書かされる。それが乃愛が在籍する山ノ手小学校だ。
特に一、二年生は親の言う事も先生の言う事も素直に行うから、実にお嬢様しようとしている。
「先生とお呼びしていましたが、そちらの殿方はお医者様かしら?」
「わたくしの家庭教師の先生でございますわ。お陰様ですっかり、算数が得意になりましたの」
えー? と言う顔をする同級生。ここで、
「じゃあ、8×7は?」
と習ったばかりの九九を聞いて来るあたりが小学校二年生のお子様だ。
「56ですわ」
おおぅと言う声が口を吐く。
「ご入院でお勉強が残念でした加藤さんが……。どれだけ努力をなされたことでしょう」
「いいえ。真先生と遊んでばかりでしたわ」
嘘は言ってない。スジラドって、教えるの上手いのよね。それに、乃愛が習って無くても、あたしは散々サンドラ先生に絞られたから、元々農村や小さな町位なら経営できる素地がある。その上で、手間を省く便利なやり方を教わったんだもの。そりゃあ覚えも良くなって当たり前。お勉強の時間が楽しいなんて、初学の頃ならいざ知らず、乃愛の記憶でもあたしの記憶でも初めてだったかも知れない。
それで数の2までとんとん拍子に進んじゃった訳だけど。
「遊んでて?」
「くすっ」
あたしは素直に信じちゃった乃愛のクラス仲間をつい。可愛いだなんて思ってしまった。
そりゃあ乃愛の身体に引っ張られて、あたしの考えも多少は幼く成っちゃってる。だけど八歳と言えば、素直で可愛い盛り。元の世界では教育されていないモノビトを贖うのに適した年頃のど真ん中だ。
「もちろん。世間様から見ると、歴としたお勉強でございますわ。
先生の授業があまりにも楽しくて。わたくし、全然お勉強をしている自覚がございませんでしたの。
知らず知らずに遣っている内に。わたくし、もう算数なら2年生のお勉強はマスターしてしましましたのよ」
これも本当。乃愛の学びに適した柔かい頭とあたしの知識。それがいったい何の役に立つかが解るあたしの経験。それらが上手い具合に相互作用した。
そうか。あたし解っちゃった。スジラドったら、こんな美味しい秘密を隠してたのね。
「羨ましいですわ。こんな素敵な先生とご一緒でしたら。さぞやお勉強も捗ることでしょう」
あ、あの子のお母さんが笑いを堪え、スジラドが横を向いた。
別れた後、専門書コーナーに連れて行ってくれるスジラド。
あたしから見ると、顔はまあ並。歳は学校の先生ならばまだ若いで通用するかな?
「あの子の素敵は、幼稚園の子がお世話してくれる中学生のお兄さんに向けるような気持ちだよ。
ネル様も判ってるとは思うけど」
「そうかもね。でも、新宇佐村の時のクリスちゃんもあんな感じだったって聞いてるよ。
まだ子供だけれど、一応は結婚できる歳になったクリスちゃんは、今でもあんたを好いてるって忘れないで欲しいものだわ」
どんな世界でも、どんな姿をしていても。やっぱりスジラドはスジラドだ。
女の子なら幼稚園の子でも知ってる事を何も知らない。
スジラドに手伝って貰って、お目当ての本を探す。
あたしは風の媛らしい。過去の風の媛の中には自由に空を飛んだ子の記録もある。
だったら飛行機が飛ぶ原理を窮めれば。今は虹の形に弧を描いて跳ぶことがやっとのあたしだって、多分大空の覇者となる事が出来る筈。
鳥のように、グリフォンのように天翔けて。ドラゴンのように大空を征く日は来る。絶対に来る。
あたし達は二人して探し、一時間程経った頃には三冊のご本を選びだした。
明日はお休みいたします。





