プロローグ
●仮庵の宿
ネル達が、隧道を貫けるとそこは森の中だった。そこで出会った枝視が一族。
彼らに戦う積りがあるのか無いのか。そう聞かれた。
「あたしはネル。風の恩寵に預かりし者よ。
風神・姉綾神の名に於いて、誓いましょう」
ネルは弓の中央を両手で握り、笏のように捧げた。
「私は司祭長シア。託神・乙恵津神の加護を享けし女。
神殿が崇める三柱の神に誓います。私は、護身と糧を得る為以外に武器を執りません」
シアは神に祈りを捧げるように、空っぽの諸手を開いて、掌を上にして高く天に差し伸べる。
「地神・美智大神の御恵みを頂く、ウサの大姫クリスです。
スジラドお兄ちゃんに掛けて誓います」
クリスだけ誓う相手が神では無い。神々よりも信を置くお兄ちゃんとやらに、笑いと共に枝視が一族の者達の空気が緩んだ。
しかし、一人だけ却って気の張り詰めた者が居る。最初にネル達に話し掛けて来た壮年の男だ。
「風に沢に地……だと!」
呟くと、ピッポ・プップッピ・グィ~~リリリリッ。
彼が吹いた呼子が駒鳥の鳴き声そっくりの音を立てた。
そして、一族の者が集まって来るまでの僅かな睨み合いの後。最初に話し掛けて来た壮年の男が良く響く声で口を開いた。
「お前ら、巫女の言った言葉を覚えているか?
獲物は竜に非ず蛟に非ず、熊に非ず羆に非ず、虎に非ず豹に非ず。里の安危に関わる者なりと」
言って見詰める二つの眼。
「それにしても。風……おまけに地と沢もか。よもや三人とも媛とはな」
零れる言葉に緩む空気。ネル達には何の事か判らないが、居合わせた枝視が一族の多くの者は合点した。
しかし、成人を迎えたか迎えないかに見える年若い者は首を捻り、急変した一族の者に戸惑いを隠せない。
「頭ぁ。媛って何者ですかい?」
「十数年前、神殿から使いの者が来た。八つの神璽が放たれたとな。
クオンに力あるシャッコウが降りし時。シャッコウを支える為神璽が人となり世に使わされると聞いている。
歴史上何度か起こった出来事だが、こたびは八つ全てが放たれた。うち半数近くが我らの前にあると言うのはめでたき事。
媛達よ。宜しければ暫く我らが里に逗留されるが良い。付いてこられよ」
そう言って踵を返す。
「ネルお姉ちゃん……」
不安がるクリスに、
「もう、敵意は無さそうね。いいわ。付いて行きましょう」
ネルはさらりと口にした。そして、
「シア。それでいい?」
と確認すると、
「先程、竜だの蛟だの羆だの、恐ろしい名が挙がりました。見知らぬ森の中を私達だけで、斯様な脅威に怯えながら抜けるのは難事と思います」
シアは静かに頷きながら賛同した。
道無き道と人は言う。だがその道は草の中、小さな獣の足跡が始まりだ。
人間の目には深い森にしか見えない場所も、彼らにとっては庭のようなものなのだろう。
こうして一時間程獣道を歩くと、一行は沢に出た。さして広くも深くも無いが流れの速い川。
その流れの中を遡り、小さな滝をよじ登り、ただ上へと歩いて行く。
やがて、落差百メートルはあろうかと言う大滝に至った。
渦巻く滝壷・飛び散る飛沫が雨のように降っている。その勢いにネル達が二の足を踏んでいると、
「こっちだ」
蔦の縄梯子を登り川から上がるのが順路の模様。川沿いの道を滝に近付くと、
「きゃあ!」
クリスが悲鳴を上げた。
見ると滝の裏側を、ぬるぬるした生き物が岩に張り付いて登って行くでは無いか。
「ウナギだ。上の湖に産卵に来ている。我らは産卵帰りや途中で力尽きたウナギを採っている」
案内する壮年の男が指差す下を見ると、編み籠のような仕掛けがあって、上から落ちて来るウナギを受け止めていた。
岩壁伝いに滝壷から横に引かれた水路がある。ネル達が五分ほどそれに沿った小径を歩くと、突然開けた場所に出た。
水路は中央の掻き上げ土塁と壕と木柵で囲まれた中に引かれており、中には頑丈そうな丸木小屋と幾つかのムシロを掛けた拝み小屋が、大きな四阿を中心に並んでいる。
四阿の水路の下の方では、水辺で女達が作業をしていた。
流れる水の傍。獲物の剥いだ毛皮の内側を、掌程もあるソロバンの玉の様な石で擦っている。
「見るのは初めてか? 鞣しているのだ。あれで内にこびり付いた膏を削ぎ落している」
「見た事位あるわよ。この後、脳みそと一緒に煮込むんでしょ?」
得意げにネルが言うと、
「ほう」
壮年の男は見直したような目でネルを見た。そして、
「ここは里から離れた狩り小屋だ。むさい所だが安全だ。今夜はここで一夜を過ごす」
丸木小屋の中へと案内された。
お待たせいたしました。再開です。





