エピローグ-01
●戦の始まり
ネル不在を確認したミハラ伯並びにブルトン男爵公子が、共に押し掛けた諸侯らと共に立ち去った三日後。
今度は近隣の諸侯の使者が、別の理由で押しかけて来た。
曰く、領内の村から領民が一斉に神殿に雪崩れ込んでるため、このままでは税が取れぬと。
しかし領主保護の手の指の隙間から零れ落ち、神殿を頼って来た人々だ。
「治安を安定させるまで、返す訳には参りませぬ」
そう神殿長が断るのは道理。
すると使者達は
「神殿はすでに中立ではない」
と口にして立ち去った。
神殿に入って来る情報は次第にきな臭くなって行く。
どうやら豊かな神殿直轄の農地などを切り取ろうと、複数の領主や豪農が動き出しているようだ。
「一つ一つは容易いが、これだけ来られると厄介だな。それに、ネルが戻って来るルートを確保しとかなきゃなんねぇし」
誰かが彼らを扇動しているのは間違い無いだろう。兵は動かすだけで消耗し、金や物資が費やされるのだ。
「地図を」
差し出される神殿領とその周辺の地図。領内は詳しく、騎馬で通れる間道や徒歩なら通れる獣道の類まで詳細に描かれているのだが、隣接地区が馬車の通れる道や大体の地形しか載って居ない。
神殿領の軍事機密とも言えるその地図をじろりと睨むデレックの鋭い眼。
次第に耳が赤くなり、額に汗が浮かぶ。初夏だと言うのに頭から立ち上る湯気が差し込む光に揺らいで映って見えたのは、あるいは幻で無いのかも知れない。
「神殿長!」
デレックは地図の一点を指し示す。
山の谷間を縫うように切り通した道への入口。神殿と外部を繋ぐ主要道路が通っている。
「現地はどんな感じだ?」
「馬車の通れるレンガ敷きの街道が通っておりますが、道の左右は沼沢を拓いた深い沼畑です」
「深い沼畑?」
「専用の筏を使わぬ限り、大人が沈んでしまうほど深い沼畑です。多少のオリザは実るものの、水を抜いて干す事が叶わぬため裏作不可能な下畑になります」
「最悪だがよ。ここの収穫無くなっても構わねーか?」
「ここは枢機卿様が干拓を禁じられた場所で、多少の足しにはなると使っている沼畑です」
「了解」
聞いてデレックは口辺を吊り上げた。
借り受けた神殿騎士百余騎と避難民有志二百を率いて護りに就くデレックは、隘路の出入口に陣を布いた。
急拵えの防備だが、頭上に高く掲げたポールから布を垂らして矢防ぎとし、掻盾多数を運び込んで連ねた。
「お前ら。今の内に出すもん出して来い」
デレックは、まるで幼児に言い含めるように避難民有志に冗談めかして言う。
いい感じに緩んだ空気をデレックは好ましいと思う。剣とて、敵に当たるその瞬間までは卵のように握るものだ。彼らは元来戦う者では無いせいか、敵が遠い今の内は実感が無いのかも知れないが。
やがて近付いて来た軍勢は、皆煌びやかな堅甲を纏っていた。
大弓を負い、槍を馬匹のストックに挿して三角のペナントを風に靡かせたその姿は、歴とした諸侯の正規兵。
先に破った盗賊紛いの兵とは明らかに格が違う。
――――
どー どどどどー。 どー どどどどー。
――――
角笛が鳴り、敵が陣形を整える。
深い沼畑の為、徒歩でも人が動けるのは、沼畑を区切る畦道だけだ。その畔も区画整理されておらず、不規則な曲線を描いており、そこを徒歩立ちになった騎士が、盾と槍を手に進んで来る。
山は若葉が香り、沼畑では漸く背を伸ばし始めたオリザの苗が、青空と白雲を移した泥水に疎らな緑の刺繍を縫い付け始めている。
鮮やかな緑、明るい緑の光が徒歩立ちになった騎士の鎧を染め、青空がくっきりと彼らの影を泥水に映した。
「デレック殿。あれは烏合の衆とは違います」
「ああ。あれが相手なら、こないだみてーに無双出来るとも思えねぇ。だからここを選んだんだ」
若い騎士の声にデレックは、デレックは騎士と馬の影に隠れた避難民有志達を示す。
彼らは何れも、布を幾重にも魔物の膠で貼り合わせた分厚い布のチョッキを着けていた。
大まかに、クロスボウを持つ者と長柄の先に鉤と嘴の付いた長鉈、すなわちビルを携える者が居る。
「濡らした藁を火にくべろ!
クロスボウの射手。崖中腹へ。敵の瞳が見えるまで引き付けて撃て。
ビルの使い手。伏せて筏を漕いで行け。鎧に引っ掛けて沼畑に落とせ」
命じたことはこれだけだった。





