如何にぞ黙して-09
●接ぎ当て書面
「ミハラ伯爵! これはどうしたことですか?」
底冷えのする低い声で伯を睨む神殿長が突き出したのは、教会攻めの出陣を命じるミハラ伯爵の黒印状。
「ジェイバード殿から、褒賞の先渡しや軍資金として金五百両を渡されました」
降伏した攻め手の指揮官の一人、ミハラ伯爵の寄り子アップストリーム男爵が証言する。
「セオドア。確かにジェイバード殿が渡したのだな」
ミハラ伯爵が確認する。
「御意。寄り親殿より先渡しの褒賞と軍資金まで渡された上で命じられれば、否も応もありません。
黒印状にて命じられた日時に、お下知に従ったまでです。
閣下に弓を引いたは我が意に非ず。誰が発令者のミハラ伯を攻めることになって居ると思い及んだことでありましょう」
理はアップストリーム男爵にあった。
「神殿長殿。非は謀られたわしにある。アップストリーム家の責めはわしが受ける。身の証は、今後この身の働きを以て示したい。
セオドア。銭金で済む話ではなく、わしの自己満足な偽善かも知れぬが。討たれたアップストリームの家臣の補償は、小者の端まで一人残らずわしに回してくれ」
ミハラ伯爵は神殿長とアップストリーム男爵に向かい、順に頭を下げる。
見ると、ある意味格好付けのこの場面を三人の書記が記録していた。これには俺達もかっこ付けな奴だなと苦笑かるしかない。
「神殿長!」
黒印状を詳しく調べていた神官が、血相を変えて報告に来た。
「こことここ。日時と命令の部分。
ご覧ください、日に透かすと紙に刃を入れた跡があります。しかも紙の目がズレております」
皆は黒印状を回しながら確認する。俺も見たが確かに言う通りだ。
「恐らくは、紙を重ねて一緒に切り取り、書面の一部を差し替えたものと思われます」
ミハラ伯爵の眉が少し吊り上がり、俺と神殿長は顔を見合わせた。
神殿を護る為に戦って負傷しているミハラ伯爵。この事実が、たとえ自作自演だったとしても伯を責める事を難しくしていた。
加えて早々と非を認めた潔さ。そして止めは黒印状の変造。
これらが揃った今。どんなに疑ってる奴でも、ミハラ伯爵を黒幕と表立って口にすることが出来なくなってしまった。もし俺が口にしたら、ネルを盗られまいとする単なる乳兄妹の嫉妬だと思われるくらいに。
●怜悧と恋の鞘当て
そうこうしている内に、やっとブルトン男爵公子が到着した。
神殿の救援に来た援軍なのだから、そのまま来ても何の問題も無いのに。わざわざ戎衣を礼服に改めて遣って来た。そして、
「ネル殿はご無事ですか?」
第一声がこれだ。
「生憎だが、ネル様は神殿の慰問に同行して、まだ戻って来てねーんだ」
簡単に俺が説明すると、
「なんですっとぉ!」
大袈裟に驚くが、この人は昔からこうだったな。
「いや。優しいネル殿なら、慰問同行も頷けますな。益々惚れ直しましたぞ」
一人で納得して一人で盛り上がる。そんなブルトン男爵公子に苦々しい顔をしながら、ミハラ伯爵はジャブを放つ。
「所でこの十余年。ご実家から側室でも愛妾でも良い、早く娶れと矢の催促。とうとう閨に娘を招き入れたと伺いますが。いかがなされましかな」
強引に恋の鞘を当てに行った。尤も、伯がネル本人を愛しているなんて、俺にゃちっとも思えねーがよ。
「ははは。ネル殿との話が進みませぬからな。跡継ぎはネル殿との子と思い定めておる為、縁続きの名ばかりのものです。子を為すなど十年以上早いですわ」
「ほう。わしは五、六歳のモノビトの娘を五人ばかり贖われたとも耳にしたが」
えーと。……相変らずだなこのおっさん。と俺は呆れた。
だがよ。ブルトン男爵公子は口を尖らせて、
「それは違いますぞ」
と抗議した。
「閨に入れているのは我が父ですぞ。歳のせいか、冬場などはいくら布団や毛布を重ねても、温まらぬ身体を温める為。子供は体温が高いですからな」
「あ、そう言う事か。てっきりそう言う趣味かと思ったぜ」
俺が胸を撫で下ろすと。
「それは、いくら何でも酷いですぞ。私は、昔からネル殿一筋にて」
乳兄妹で恋のライバルには成り得ないと思っているのだろう。俺には無警戒なブルトン男爵公子。
鞘当てのピリピリした空気が、少し緩んだ所で。一人書き物をしていた伯の書記が、
「閣下出来ました」
と伯と公子の間に割り込むように紙を捧げた。





