青葉砦の戦い-06
●整いし舞台
月の明るい夜だった。角笛の音と、廊下を駆ける靴音に目を覚ます。
「閣下。夜分恐れ入ります」
「何事だ?」
「分村に賊の襲撃。擦り傷だらけの下民の子が、神殿の符を以て急を知らせて参りました」
「出るぞ。使いの下民には、飯でも与えて労っておけ」
「はっ!」
「馬引けぇ~!」
堅甲を纏い手早く身支度を整えたわしは、厩へと急ぐ。
検めた貝符は事前に神殿から受取った物とピタリと重なった。封蝋は確かに神殿の物。中身は我が領の分村への救援要請だ。
たとえ下民風情が届けようともモノビトが届けようとも構わん。正式な依頼である以上司祭長はそこに居るのだから。
仕掛けを躱された時は、どうなる事かと思ったが。上手く引っ掛かってくれたか。
お陰で開拓村を三つばかり駄目にしたが、覇業の投資と思えば廉いものよ。
どうせ餓え死ぬかモノビトに堕ちるべき穀潰し。わが家の礎と成れたことを誇るが良い。
元来、我が家の家格はカルディコットと同格なのだ。いや、先祖を辿れば同腹の兄弟の家。兄はミハラ家の祖となり、弟はカルディコット家の祖となった。長幼の序に照らすと、元来あちらが下風に立つべきなのである。
彼我の立場が逆転したのは、カルディコットがタジマ家を寄子に迎え、エルフとの交易の街アウシザワを抑えてより。そして畏き所より大樹卿の称号を与えられて後の事なのだ。
だがその間違いが糺される日はもう直ぐだ。今こそ雲蒸竜変の秋。わしが、このわしが宝剣に選ばれたのだからな。
と、神工・光羽が鍛えし宝剣を確りと握り、心の伽藍に復璧を誓う。
加速するわしの心は思わず顔を綻ばせ、心の呟きを声に出し掛けた。しかし、一歩手前で踏みとどまる。
実際に紡ぎ出した言の葉は、
「僭上者め。真面目に働くでも無く、忠も勇もてんで足りず、イズチにすら成れぬ半端者の盗賊風情が!
わしの蔵に手を突っ込んで来るとは、度胸だけは誉めて遣わす」
使いの下民に聞かせるために。ひょっとして忍び込んでいるかも知れぬ、どこぞの暗部めに聞かせるために。
わしは月の光よりも朗々と、声を響かせた。
兵の揃うを待たず。一騎駆けに馬を飛ばし、街道から村への脇道に到る。
そして大樹の下に駒を止めて、追い付いて来る騎士達を待った。
月夜とは言え、今進めば夜の闇に紛れて取り逃がす。攻めるは夜が明ける直前だ。
朝掛けに押し包み、有無を言わさず塵にする必要がある。
万が一にも賊の生き残りが居てはいかんからな。
それに、こう暗くては馬上弓の名手ジェイバード殿とて狙いを外す恐れがある。
月が傾き、標の星が輝く頃。我が精鋭は馬を連ねた。
わしの騎士が百騎。我が領のノヅチが二十余騎。
そしてノヅチに随う徒歩のイズチがおよそ八十余。盾を背負って追い付いて来た。
「ここより我らが英雄詩が綴られる。書記、つぶさに記録を採れ」
連れて来た三人の書記に命じた後、わしは采を北天の帝星を指して掲げた。
そうしてゆっくりと、大きく、力強く。空の形に弧を描きながら呼ばわった。
「右へ進まばハルヤマ村。左へ向えばアオバ村。
これより我らは、本村ハルヤマ村の獣道を使って村を攻める賊の後背に抜け、奇襲を仕掛ける。
馬に枚を噛ませ、草鞋を履かせよ。隠れ身の布を被せ、うぬらも被れ」
我が兵は、嘶きも蹄の音も闇に溶かす。
さらに人馬は、夜に紛れる少し暗い青緑色に染められた布を纏う。
折しも、雲を掃い行く手を拓く夜の風。月の光が煌々と照らす功名の途。
舞台は整った。わしは志を詩にして朗々と道う。
――――
やよ励め 鴨の羽色の ハルヤマの
覚束なくも 功名が辻を
――――
励みなさい。鴨の羽色をしたハルヤマ村の、はっきり見えない功名の辻を。
「ふふっ」
口の端が吊り上がる。詩としてはまあまあの出来だ。しかし後には名作となる。
なぜならば。新しき英雄詩を打ち立てし後、今夜の事は伝説の始まりとして語られる筈なのだから。
ゆっくりとわしは、采をアオバ村に続く小道に向けて振り下ろした。
10連休の毎日更新達成。
現在、幕末物の作品構想があり、そちらはカクヨムでも掲載しようかと考えています。





