アオバの角笛-05
●空蝉
「何?」
手応えのおかしさに、思わず影が声を漏らし。掛敷布を捲る。
人は居らず荷物があるのみ。手で触れるとまだほんの少し暖かかった。
前後して、
「うぉぉぉぉぉ!」
裏手から鬨の声が上がる。
カッカッと音を立て、盛んに館に射掛かる火矢。応戦に矢を撃ち返す神殿騎士団。
外では本格的な戦いが始まっていた。
「ちっ。謀られたか。去ぬぞ」
頭らしき男は短く言った。
話は少し戻る。
真夜中に目覚めたネルは、こんな田舎ならば必ず聞こえる虫の声が途絶えて、シーンと成っていることに気が付いた。
「シア。クリス。起きて」
揺り起こすと、目覚めた二人も異様に気が付く。
ほんの少しドアを開けて、隙間から様子を伺うと。護衛でもある不寝番の二人が床に転がっていた。
「やっぱり……」
表情が曇らせてネルは呟く。
「ネルさん。護衛の領主の御家来衆は……」
「駄目よシア。斃された護衛に擦り替わって、不意を突く暗殺の手もあるんだから。
「そうだよシアお姉ちゃん。身体に致死の罠を仕掛ける悪辣な手があるって、前に兄ちゃが言ってたし」
薄情と言うなかれ。警戒しているネルとクリスは、助け起こそうとするシアを制し、倒れている護衛に構わず準備を始めた。
ネルはサンドラ先生から貰った魔法の弓とその矢筒を身に付け、弓の弭にナイフをセットした。
シアとクリスもネルに倣って武装する。
シアは祭具でもあるメイス。刃も穂先も無いが、刃筋を合わせる技量も要らずそれでいて頑丈で戦斧も打ち払える優れものだ。
クリスは魔法の発動補助具でもある黒曜石のナイフを手にした。元より彼女が大人と切り結べば必敗は火を見るよりも明らかなので、近接武器としては戦う意思を示す以外の何物でも無いが。
「移動するわよ」
ネルは短くそう言った。
こうして領主に警戒していたがゆえに難を逃れたネル達は、徒歩で道無き道を抜けていた。
●水晶の夜
燃える館。追手が迫る。窓には良くある雲母では無く高価な吹きガラスの板が嵌め込まれていたが、多くは砕かれそれが焔と月の光を受けて、キラキラと地上の星の如く瞬いている。
「汝に賦す。升るに冥し。
息まざるの貞きに利し。
穿て 地の風 陥穽」
迫り来る沢山の蹄の音。行く手を立ちはだかる松明を持った徒歩の者達の接近に、クリスが魔法で落とし穴を作る。
呪を重ね、幅広い塹壕と成し、立ち木を楯に応戦体制。
何度目の遭遇戦だろう。いい加減手際が良くなっている。
だが問題は。
「ネルお姉ちゃん」
不安げなクリスの声。
「ネルさま。矢は……」
確認するシアに、
「いつもの矢筒分ね」
少数といえども部隊相手だ。女の身で、しかも手持ちの武器だけで頼みとするのはネルの弓矢のみ。
多少の拾い矢は出来たとしても、矢とは使えば無くなるものだ。
「あんた達ぃ~! あたしをネル・カルディコットと知っての所業? 間違いなら見逃してあげるわ」
気丈にもネルが呼ばわるが、
ヒュン! ヒュンヒュン! 返答は矢玉の馳走。矢は一斉に飛び立つ雀のように、地から虫が湧き起こるように空を埋め、ネルの上に降り注いだ。
しかしネル達に当たりそうな矢は尽く、見えざる膜に遮られその軌道をずらされた。
「風の加護を持つあたしに、そんな物通用すると思って居るの?」
おもちゃの弓を引くように征矢を番えたネルは、遠くに見える指揮官に向けて放った。
斃れる馬上の影。長弓でも到達を危ぶまれる、そんな弓では届く筈もない距離に居た大将の一人が左目を射抜かれた。
「「おおぅ」」
地を揺るがすかと思われるどよめきが、湧き起こる。
「怯むな! 矢筒にはたかが三十本の矢しか入らないんだぞ」
指揮を引き継いだ騎士が怒鳴るが、彼もまたネルの一矢に斃された。
「確かに矢は残り二十八本。でも一本で一人は確実にあの世よ。その選ばれし二十八勇士に成りたいのは誰と誰と誰!」
言いつつ弓を空射ちする。
ビィーン! と言う響きが、鳴弦に恐れを為す悪霊達のように追手の兵をビビらせる。
「今は夜の闇。見間違えることもあるでしょう。あたしはカルディコット伯爵の娘、ネル・カルディコット。この娘はシア司祭長。そしてこの子はウサ家の跡取り娘、クリス・ウサ。
間違いだったら許してあげる。さっさとここから立ち去りなさい!」
拡声器を使ったように響き通る声に、追手の松明は静かにネル達を離れて行った。
「兄ちゃさえいれば……。ネルお姉ちゃん。ナオミお姉ちゃんは?」
クリスの問いに首を振るシア。
半日の間を置いて遣って来るナオミの到着予定は明け方より一時間後であったからだ。
「早くデレック達と合流しましょう。そうすれば、なんとでもなるわ」
ネルはハッキリと言い切って励ました。
来週の10連休は毎日更新します。





