クリスの疎開-09
●乱捕りの騎士
未だ黒煙の燻る彼方。此方に向かって近付く蹄の音。
「三騎ですか。クリスさんも皆さんも、弓を出して」
鎧は着ているだろう。しかし村で乱捕りをするような連中が、女子供と言えども武士の弓矢を弾き返す程全身を堅甲で覆って居る筈がない。
加えて馬上は地物に頼れず標的が大きくなる分、飛び道具に対して不利なのだ。
高々と揚げられるウサ家とアイザックの紋章。
構えて弓の貴族の家中に手出しする様な愚か者はいない。ましてアイザックの勲しは近隣に鳴り響いている。
「仕掛けて来ないなら、それでいいっス」
と、馬上で十字に鐙を踏んで弓を構えるドミノ。基本文官ではあるが、権伴たる者なら戦う手段を持っているものだ。
箱馬車の中から隠し矢狭間を通し弓を執るのはクリスとナオミ、村側を大楯で塞いだ御者台には、ロロットが手綱を手に待機。
そしてデュナミスは一人で右外れの斜め前方に突出し、ヤマシタはその隣に陣取ってグリフォンに騎乗。組紐の両端に錘を付けた武器を構えている。
すわ戦いとなった時、一の矢で斃すことが出来ないならばデュナミスとヤマシタで足止めしつつ馬車を走らせる目算だ。引いているのはロバに過ぎないが、食い止めている間に距離を取れば、相手は一方的に振り出しに戻されるのだ。勝てずとも負ける事は無い。
そして一触に斃せないなら、貴族の旗は端武者にとって厄災となる。
貴族間の問題と成り、雑兵に略奪を許した大将が詰め腹を切らされるのを避ける為の生贄にされることは請け合いだからだ。
実際この事が、実際に彼らと戦いになることへの抑止力となるだろう。
村から来た三騎が弓矢の有効射程に入った時、ヤマシタに耳打ちされたデュナミスが、轟々たる戦声で呼ばわった。
「恥有る者、卿らに告ぐ。
こちらに御座すは、ウサの大姫クリス様と、カルディコット家御舎兄アイザック様が乳兄妹ナオミ様である。
イズヤ大神が託宣に因る神殿のお召しに従い、特別に許されし僅かな供周りのみで最寄りの神殿へと参る途中。
礼を交わし過ぎ越されるならばそれで善し、小人数と侮り弓を引くなら相応の報いを覚悟せよ」
一見不遜な言い方に聞こえるかも知れない。しかし、呼びかけの恥有る者とは恥を知る者。行くも住るも坐るも臥すも、堅い己の規範を持ち。いかなる時でもそれに違うことを愧じる者の事を言い、狭くは雑兵ではない歴とした武士の事を指す。
つまり侮る訳でも阿る訳でも無い口上なのだ。
あちらに戦う大義名分は無い。ならば騎士爵と男爵とは言え、弓の貴族三家。加えて神殿をも敵に回すのは烏滸の沙汰。
遠目にも、三騎が鐙を外すのが見えた。
「拙者らはハッピー家の家中の者。決してアイザック様妹君に弓引くものではござらん」
騎士達は皆、剣帯から剣を外して鞘ごと逆手に右手に持つ。それをこちらに見せた上で、そのままゆっくりと背の方に右腕を回す。鞘が身体の外に見える形で。
攻撃は鞘に収まったままの剣で対応出来るが、自らは直ちにこちらを害せない軍礼。その所作と形の見事さは、教養ある武士の物で、敵対せずとの彼らの言葉を信ずるに足る。
けれども、騎士達が接近するに連れ緊張は増した。その鞍壷の前に縛られた、小さな子供が横たわる姿を認めたからだ。
「ハッピー家、御家中の騎士殿」
今度はヤマシタが聞いた。
「その子供は如何に? 乱妨取りの人狩りか?」
「御明察通り。供出に逆らった村ゆえ、雇いの雑兵共の狼藉で孤児と成った童だ。
村に残して野垂れ死ぬ所を狩って参ったと言う訳よ」
戦ともなればよくある事。一応保護していると言えなくも無いが、農民の子がモノビトに堕されるのだ。見ていて気分の良いものでは無い。
「先程神殿へ向われると伺り申した。貴殿らが贖って神殿に献納すると言うのならば、一人二十五文でお譲り致すが如何に?」
二十五文と言えば、幼い子供と言えども法外な捨て値。保護する為と言うのは満更嘘でもなさそうだ。
「ナオミ殿。如何致します?」
ヤマシタは確認を取る。ナオミは騎士達にも聞こえる良く通る声で宣った。
「全て贖いましょう。早く縛めを解かせなさい」
●賽は投げられた
「クリスちゃん。それで連れて来た子が村で働いていた子供達ね」
話を聞き終えたネルは静かに聞いた。
「うん。全部じゃないけれど、神殿の持ち物として貸し出して、当面は食い扶持分の仕事をして貰ってるのよ。
でもこの分じゃ、今は連れてけないよね」
どうやら、髪の毛を刈られていた女の子とかは別口らしい。
「そうね。他も回るから、連れて帰るのは帰りになるかしら。
で、クリスちゃん。ここに滞在してたのは?」
ネルが尋ねると、
「どうも周りの雲行きが怪しくなって、こちらの村に避難したの。ここはアイザック様の飛び地だから、戦に巻き込まれる心配ないからね」
自由民ながら、貴族の所領の領民はその貴族の財産と見做されている。税を取り立てる源泉だからだ。
だから敵対する貴族からみれば、乱妨取り即ち苅畑や焼き働きや人狩りは相手を弱らせる近道であった。
別して、攻め取って我が物とする積りが無ければ。人狩りもまた、戦の度に当たり前のように行われるもの。
そう言う諦念が誰の胸にもあったのだ。
「落ち着くまで、身動きは取れなさそうね」
ネルは溜息。押して罷り通る事も可能ではあるが、それでは要らぬ軋轢を喰らうのだ。
「一応、ヤマシタさん達護衛の人には、方々にお手紙を持たせて先触れに行って貰ったけれど。お返事はまだ来ないの」
クリスは愁いに眉を顰める。
そこへコンコンとノックの音。
「ナオミにございます」
入って来たナオミは、ネルやシアに向かって話を切り出す。
「情勢は流動的です。アイザックお兄様達は、代替わりの混乱を今一収めかねているご様子。
ネル殿、そして神官殿。
真名は正反対の意味を持つものにて、例えば離には付くと離れるの二つの意味が備わっており、類には似ると比べるの二つの意味がございます。
今様に戈を止むと書き、止の字の古い字義を取りて戈をすすむと訓めば即ち、武と言う文字になります。
戦いを止めるには、戈を用いる覚悟も必要と存じます。差し出がましいですが。ウサ家やネル殿、そしてスジラド様の為にお味方を募りました」
ネルは表情を険しくして、
「なんで護衛を全部使者に出してしまったのよ」
とナオミに吐き出す。
行いの是非は兎も角、不用心では。そう咎めるネルにナオミは見得を切った。
「ここは、順当なカルディコット一門継嗣の兄にして、武名高きアイザックお兄様所領の村。
如何に無防備に見えるとて、襲えばどうなるかは判らぬ烏滸の奴輩は、首に幾重にも真鉄の鉢金を巻いておくべきでしょう」
と、敢えて過激な修辞を用いて。
これが吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも判らない。しかし、状況判断も出来ない阿呆は、首を切られぬように鉄を巻いておけ。とは、不遜であるが頼もしい。
無論、無防備と言うのは護る守備兵がおらぬと言う意味で、堀や土塁の備えはある。魔物や盗賊の害に備えるためだ。
ここ最近。
突然のブクマ・評価の大量減少に、執筆に迷い発生。
極端な速度低下に陥りました。
別の作品進めた方がいいのかな?





