エピローグ 撒かれた火種
●撒かれた火種
「弓しか取り柄のないものが我等の上に立とうと言うかッ!」
テーブルに丈夫なカップを叩きつけ、その領主は憤慨していた。
「大人しく神殿に引き籠ると聞いていたから、こちらも目溢ししてやっておったものを。安全な場所から権力だけを狙うなど武士の風上にも置けぬ」
「しかし殿。果たしてそのようなことありえるのでしょうか? 仮にそうであったとしても。ネル殿は女といえどもカルディコットの嫡流。継承の儀を済ませているとあれば、名分は十分に立ちます」
怒気に気圧されることなく臣下が問う。
「名分? こそこそと神殿に匿われておらずばな」
「しかし、女ゆえに郎党と言えるような者は、スジラド只一人。乳母の里エッカートから兵を上げれば、一戦にして滅びましょう。殿のような立派な武士が、寄る辺なき子供相手に隠れるは卑怯なりと申しても詮無きことです」
すると、
「それもそうか」
と、幾分怒気を和らげた領主は、
「だが、こ奴の情報と彼奴等の動きがそれが真であると示しておるわッ!」
指し示す先にあるのは神殿に関係する物資の流れを示すもの。
これまで神殿と縁のなかったハガネモリビトの動き、神殿の兵の武装の強化、そして最北の開拓地へと運び込まれている数々の物資。
「元よりハガネモリビトは武具の扱いに長けた商人よ。我等が贔屓にしてやろうと言っても首を縦に振らず、僻地にばかり武具を送りおる」
ハガネモリビトが僻地に武具を送るのは、魔物の領域と接している領地では高値でも売れる性能の良い武具の需要が確実にある為。同時に魔物素材を安く得られることが理由とされている。
別して、本卦返りたる都と弓の貴族の荘園間の運送を除き、彼等は商売相手を選ばない。その際たる理由が、魔物との戦闘で命をいつ失うかわからないからとされていた。
「刀筆の貴族の税以外、商売相手を一つに絞らぬハガネモリビトが動き。戦に手を貸さぬ神殿に戦の気配があるのは事実。しかしそれを結びつけるには時期尚早かと」
臣下は諌める。
仮に戦をこちらから仕掛ければ、間違っていたときに取り返しがつかない。仮にもネルは主筋である。間違いましたでは、他の敵に付け込む隙を与えるのだ。
「主筋の妹君を、言い掛かりをつけて滅ぼした。と言う話にでもなれば、ネル殿の敵討ちと言う口実でわらわらと戦を仕掛けて来そうな手合いに心当たりがあり過ぎます。
いやそれどころか。最悪、アイザック様やフィン様にカルディコットに弓引く謀叛人として誅滅される恐れもございます」
このような理由から、臣下の不安は正しく冷静な判断と言えた。
さらに臣下は話を紡ぐ。
「ですが、それこそがスジラドめが立てた策かと。殿、このような物が」
そっと一枚の檄を手渡す。一読した領主は、
「あの力馬鹿が戦の準備をしているだと?」
と怒りと驚きが入り混じり、一回りして醒めた声。
「はい、何やら義は我にありなどと演説していた様子……」
「まさか、宝刀を私が手にしていることに気づいたのか……?」
声を潜め、きょろきょろと辺りを見渡す。
「その可能性は低いとは思いますが……」
臣下の声に、
「宝刀はカルディコット家が王から預かったもの。それを所持していることがバレれば、義に熱いあの直情馬鹿のことだ。私に領地に謀反の疑いありと見なして突撃してくる可能性は高い」
領主は無意識に剣の柄に手を掛ける。
盗人から得た宝刀とはいえ、それを言って納得するとは思えない。
そもそも本来であれば宝刀を返還すべきなのだから。
「しかし、ネル殿が宝刀を手放した時点で管理責任という点ではこちらが非難されるいわれはないか」
そう言った形に誘導できればなんとでもなると判断し、思案する。
「よし、ネル殿に謀反の動きがあると偽の噂を流せ」
「それは……よろしいので?」
「ハガネモリビトが都合よく、神殿に出入りしたという情報があっただろう。
検問では積荷は武器ではなかったようだが、そのような些事は幾らでも誤魔化せよう。
たまたま商売っ気を出して神殿と接触したのが運の尽きよ。かつての邪神の友だったか知らぬが、税を格安で済ませる不届き者を纏めて叩ける良い機会だ」
ハガネモリビトは他の行商人と比べ税がわずかに免除されている。
それは僻地への武器輸送という魔物対策に必要な経費として、神殿が各領地へと口を出していることに起因する。神殿では、それを邪神の友として一千年前の戦争で協力関係にあったことが理由であるとしているが、敵対していたという口伝も残っていることから眉唾な話である。
なお当然だが、地方の荘園から刀筆の貴族の税を運び込む際は、一緒に運ぶ荷について完全なる免税が通例であった。
「珍しく武器以外を運んでいたのが運の尽きよな」
ハガネモリビトと邪魔な隣接領地を潰すべく、関所を通じて情報操作を開始する。
「ついでに保険も打っておくか」
領主の顔が卑しく歪んだ。
数日後。神殿領に隣接するとある貴族の館。
「如何ですかな? ジェイバード殿」
「まるで腕が生えてきたようだ。かほどのマジックアイテムを都合頂き、誠に誠に忝い」
「それは良かった。遺跡からの発掘品ですが、ジェイバード殿にあつらえた様にピッタリです」
魔法金属を贅沢に使った作り物の腕。数回、指を握ったり開いたりしたジェイバードは、
「指先まで、まるで血が通っているかのように感覚がある。これで本当に武器なのか?」
「調査によるとそのようです。尤も、今では再現しようもありませんが」
そこで話を切った館の主は、
「所で。先程のお話は、本当ですか」
とジェイバードに尋ねた。
「スジラドは奇策を得意とし、全てを利用してのし上がってきたモノビト。貴族の常識など通じぬ。今討たねば、あれはいずれ皇室をも脅かす者となるだろう。ネル殿と言う手頃な神輿のある限りな」
館の主は大きく息を吸い込んで、
「アイザック様の懐刀と呼ばれたジェイバード殿がそこまで言うとは」
魔物の領域を防いで来たカルディコット一門。確かにそのお家騒動は、中央の安危にも影を落とす事案だが。
「何にせよ、このまま何もせねば真っ先に潰されるのは、神殿と領地を接する卿等よ」
「それはそうですが……」
確かに。ネルが兵を上げる時、道を仮りて伐たれるのは自明の理。
黙り込んだ館の主に嵩に懸け、
「ならば、準備をしておくのは必然であろう。弓取りの小娘風情に割くには過分な対応かもしれぬがな」
その眸に憎しみの火を灯すジェイバードは、主家の嫡子を小娘風情と言い切った。





