ケットシーの試練-02
●鋼糸の結界
僕は脚の力を抜き、沈む身体の重みを使い加速して、同時に脇腹の筋肉を動かして、見えない樽の表面を滑るように身体を回す。
ジェイバードの切っ先が、誘導弾のように僕に迫る。前髪が数本持って行かれ、通り過ぎた刃が向こうでクルンと回転するのが見えた。
僕は地面を蹴って背・肩・肘と土を咬む。
「え?」
僕の剣が、何も無い空中に引っ掛かり、四半拍遅れて何かを断ち切る手応えが返る。
その遅れの分、跳ね上がりながら振う僕の剣が、上から差し込んで来るジェイバードの剣に差し込まれた。
二つの剣は交差して、バチっと火花と鉄の臭いを撒き散らす。
「これは……」
その言葉を口の中に飲み込む。ジェイバード、の訳はないな。
いつの間にか張り巡らされたのは特殊な綱糸。得物を解体する時、糸を使ってあばら骨を外したりすると言うけれど、マコトが昔読んだ本では、糸で肉を切り分けてバラバラにする術があるのだと言う。
只の糸でさえ、手練の術があれば肉を切る。まして糸が鋼ともなれば刃と化すことだろう。
いつの間にか聖域には、場所を把握できねば動くだけで死に直結しかねない鋼の結界が貼られていた。
新しい敵? どうしよう? タケシの機動力は使えない。
チカは本物のネル様に預けているから、上空からの偵察はできないし。
と、思考するその時もジェイバードとの力比べ。こんな体勢では上から圧し掛かる方が圧倒的に有利だ。
悲鳴を上げる両者の剣。
力の強弱だけじゃない。鍔迫り合いの加減を間違えれば、滑らせた剣が急所を抉る。そんな際どい駆け引きを、僕とジェイバードの何れかが死なねば決着しない斬り合いの中で演じる。
ただ息をするだけで血の海に沈みかねない。そんな決定的な隙を作ってしまうことが判っているから、双方無言。
身体の末端から一心に酸素を掻き集めて僕は耐える。世界は彩を失い、視界は酷く狭くなって来た。
●鍔迫り合い
軋む剣の悲鳴の中、重力を味方に付けて嵩に懸かるジェイバード。
力が全てではないにせよ、スジラドの不利は否めない。
僅かでも、どちらかの力が勝ったその一瞬。勝負は決する。力のバランスが崩れた時、凍り付いていた時間が動き出す。
呼吸でその機を悟られてしまうから、息を止めての我慢比べだ。
突然動いた!
ガッ! チチチチチ!
往なされたジェイバードの剣が床を突いて滑る。普通の鋼の剣だから、石畳みを切り裂くようなことは出来ず、身を削って火花を散らす。
体を崩しまくり攻撃など覚束ぬその剣に、スジラドは剣を滑らせて首の血脈を狙う。だがジェイバードとて一騎打ちを申し込むほどの剛の者。タン! と自ら床を蹴り、剣を支点に宙を回る。
その勢いで、スジラド居た辺りを払うジェイバードの剣。当然そこにスジラドは居ない。
危なげなく躱したスジラドではあったけれど、流石に同時に攻撃を仕掛けるような余裕はなかった。
結果。三メートルの距離を隔て、スジラドが立ち上がるのとジェイバードが立ち上がるのがほぼ同時。
「スー、ジー、ラー、ドー」
上下に肩を揺らしながら、唸るようにジェイバードは叫ぶ。叫びつつ呼吸を整える。
スジラドは無言。先程の命を懸けた鍔迫り合いの消耗の回復を図りつつ、剣の切っ先を急所に向けている。
そのまま時間が過ぎて行く。どちらも直ちに攻めに向かおうとしない為、勝負はここで仕切り直しとなった。
「何をやったのかは知らないが、少しは腕も立つようだな」
眸の瞳孔を針のようにするジェイバードの耳から血が滴り落ちた。
僅かに削られた耳朶はスジラドの仕業か?
「もう、止めませんか?」
スジラドは低い声。
撞木に踏んで一段と腰を落とし、両手に握った剣の先をジェイバードの晴眼に付けた。
「治癒魔法の名手なら、腹を裂かれようと命を繋ぐことも出来ると聞きます。でも、首を斬り落とされては間に合いませんよ」
切っ先をゆらゆらと小刻みに揺らし。波のように、右に左に身体を捩り上に下にと揺れながら、ゆっくりと右後ろへと距離を取る。
「何が有っても知りませんよ」
口辺にシニカルな笑みを浮かべるスジラド。
「利いた口を」
眉上げるジェイバード。その右腕が揺らいだかと思ったら。
一発! 二発! 三発! 一拍に腰の入った片手突きが三つ。
一瞬に距離を詰めると、きりもみで抉るようにスジラドを襲う。
スジラドは、一の突きを剣でチャリ! っと外に反らした。それでも剣を滑らせて来た二の突きを鍔元でゴッ! と内に抑えた。
最後に往なし切れない三の突きを、身を沈めて足元に滑り込んで躱す。
そのままカニ挟みでジェイバードの体を崩すかと思った時。ふわっとジェイバードの身体が浮かんだ。
スジラドとジェイバード。剣と体術では殆ど五分。いや、修練の日数と魔法の学びが無い分、ジェイバードの引き出しは大きいだろう。
スジラドには魔法と言う手もあるが、至近距離で切り結びながらそんな隙なんて少しも無い。
左上からの斬撃を躱し斬り付けようとする所を、
「しまった!」
思わず叫んだスジラドに、体が崩れる勢いを利して大外から飛んで来たジェイバードの蹴りが左のこめかみを見舞った。
体を横に一回転させた渾身の蹴りに、スジラドは吹っ飛びゴロゴロと転がる。
ふらふらと起き上がるスジラドに向かって、走り込んだジェイバードは、
「終わりだ!」
剣を大きく振り上げて、大地を蹴った。
その軌跡の先にスジラドを捉えた必殺の剣。勝ちを意識したジェイバードの顔がにやりと笑う。
投げ縄の輪を描くように回る剣。剣の重みを速さに変えて、体重の全てを剣先に乗せて、今!
ジェイバードの剣はスジラドの肩と首の間を目掛け、野獣が飛び掛かるかのように唸りを上げる。
そして、血飛沫が舞った。
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