ジャックのふるさと-05
●リアは媛だよ
「にゃはははは」
するりとカオスニャンは、リアの手から抜け出した。
みょーんと言う形容が相応しい揺らぎの中で、逆光のシルエットをネガにしたように身体が淡い光に包まれ人型に変化した。
いつの間にか、元の服装に戻っている。
「ジャック。その時は近いぞな、もし」
そう告げたカオスニャンは、まるでトランポリンアクションの様にふわりと上にジャンプ。
光あふれる天窓から去って行くカオスニャンの言葉が、耳よりも胸に木霊した。
「もし。自分が自分で有りたいのなら、今はリアとの絆を深めるのにゃ。にゃーっはっは!」
僕に向き直ったリアが、
「行っちゃったね」
と、抑揚の無い声で僕に問う。
「シャッコウって、世界に呼ばれた人だから。世界がそのままにして置いてくれないって言われてるんだよ。
頼みもしないのに。時代を動かす者として喚ばれ、否応なしに巻き込まれて行く。
そして歴史を変えて行く。それがシャッコウなんだよ」
「リア?」
ぎゅっとハグされた。それはどちらかと言うと恋人のものでは無く、兄妹のそれであったけれど。リアの心臓の音が僕のものと追いかけっこする様に良く響く。
あれ、ちょっとご機嫌斜め?
「リア……いや、ミカちゃん」
呼び直すと
「うん。ミカでもあるよ」
と口にしたリアは、
「リアと一緒に来て。リアとアリーと三人して遊んだ場所に、案内してあげる」
僕の右腕の肘辺りを両手で抱き締めて、僕を神殿の外に引っ張り出した。
「ここ。覚えてる?」
放置された村の外れに、大人の背くらいのカラタチの垣根に囲まれた、前世の学校のグランドくらいの草原がある。
入って直ぐに、4メートル程の小高い築山の上に立つイチイの樹。その太く横に突き出た枝に、猿梨のツルで編んだ二本のロープに子供の胴体程の丸太が結わえられている。
築山を上ると向こうには、レンガ造りの溝にコンクリートを塗って磨いたスロープがあった。
「思い出した! 父上が僕の為に作ってくれた遊び場だよ」
そうだよ。僕を領民へお披露目する時に作らせた公園だ。
「じゃあ、あの名前は?」
言われるままにリアが指差す方を見る。
小川から引き込んだ浅い水路の傍に、レンガで囲まれたヒョウタンの形の砂場。砂の海に浮かぶのはドールハウスの類だろう、船を模した小さな小屋だ。
舳と艫の部分は梯子の様な柵に組まれ、間の長方形部分が屋上を兼ねた屋根付きになっている。そしてその上に、それぞれが三本の丸太を金輪で締めた四方の柱に支えられた見張り台。
屋根までの高さは大人の胸位と低く、柵や四か所の梯子を使い、小さい子でも簡単に登れる。その上の見張り台へは、荒く猿梨のツルで編んだ網を伝って行けるようになっていた。
「えーと。僕達の為に用意された秘密基地だったよね」
「うん!」
実物を見て、風に朝霧が開かれて行くように次第に鮮明になって行く思い出。
「アルゴ砦! 思い出した。アルゴ砦だよ」
「ピンポーン! お兄ちゃん、入ってみる?」
「もちろん」
幾つになっても。ラッパの音に心が勇み、秘密基地と言う響きに心が躍るのは男のサガって奴だよね。
家具の影やダンボールハウスから始まって、大人になっても自分だけのスペースを持ちたがる。
お金持ちなら別荘を持ち、お金が無ければ押し入れ内の半畳でも書斎を確保。それさえ無理ならパソコンの中やサーバの中にでも秘密の場所を作ってしまう。
ちっちゃいけれど、大人でも屈めば通れる入口だ。船の丸窓には雲母の板が嵌められているから、中は結構明るかった。
広さは六畳間に四畳半をくっ付けた感じ、六畳は板間で四畳半の部分が一段高い畳部屋。
雲梯を兼ねる何本もの梁。
「あ! まだあった」
奥の畳の上に置かれた木箱。そうだ、僕達の宝物。
と言っても、入っているのは河原で拾った丸い石。毎日毎日布で磨いていた物だから次第にツルツルピカピカして来たあの石だ。
「これはドングリだね。おもちゃの弓矢や木刀まである」
ツルが外してあるけれど、村の子供達が羨ましがった本物と同じイチイの樹から削り出した子供用の弓。
長さは六十、いや六十六センチくらいかな。
「ちゃんと外側が辺材で内側が芯材になるように作られてるね」
昔は判らなかったけれど今なら解かる。イチイの樹は、白い辺材部分が引っ張ると伸びる性質を持ち、茶色い芯材は圧縮に耐えるんだ。
こいつは素人が作った見せかけのおもちゃとは出来が違い、ティラーに掛けると綺麗な半円を描くバランスの良い弓で、征矢や狩俣の矢を使えば山鳥や野ウサギを狩る事も出来る本物だ。
尤も、あくまでもおもちゃだから人に当てても大事無いように、一緒に置いてある矢はコルクを使った神頭矢だけどね。
「あった! ねぇお兄ちゃん。これ覚えてる?」
ツヤツヤした灰色の縞の有る玉を糸で綴じたアクセサリー。
「えーと。なんだったけ?」
「もぅ! 酷いよお兄ちゃん。これ、アリーが作った数珠玉のネックレスだよ」
ごめん。思い出せないや。
僕が目を逸らし俯くと、
「ちっちゃい頃のおままごとだけどね。リアとお兄ちゃん、それにアリーとお兄ちゃんもかな?
何度も何度も結婚式してるんだよ」
なんだか微笑ましい事を述べ立てた。
リアとは兎も角、一応兄妹と言う事に成っているアリーと結婚できる訳も無い。だから本当におままごとの結婚式だろう。
「でね。お嫁さんの首飾りを数珠玉で作り、三枚の白い布でウエディングドレス作ったの」
ちょっと大きい声が僕の上を通過して行く。
「ちょっとお兄ちゃん。ほんとに聞いてる?」
「うん。ああ」
「じゃあ、ドレスにするのにどうやったのか聞いてたでしょ? 言ってみてよ」
ほのぼのとした僕は、
「二枚をたすき掛けにして、残りの一枚を腰に巻いた。これで合ってる?」
「……聞いては、居たんだね」
実はあまり良く聞いては居なかったけれど、カーテンドレスは前世でミカちゃんが良くやっていたことだ。
男勝りのくせに、こう言う所が乙女チックなのは今世のリアも変わらないみたい。
熱心にジャックが子供の時の事を話してくれるリア。
僕は詳しい事まで思い出せないけれど。リアにはジャックと過ごした日々がある。加えてミカとしてマコトと育った記憶がある。
今世も前世も共に幼馴染と言う、何このベタ設定と言いたくなる子だ。恐らく、僕の事を誰よりも理解してくれている。
「リアはね。思うんだ。リアはジャックと共にある為に生まれて来たんだよ」
「そうなの?」
「んもう! そこは素直に肯定するとこだよお兄ちゃん」
リアは切ない笑顔を浮かべると、僕に言い聞かすように語る。
「枢機卿様のお話だと、お兄ちゃんが生まれた日、殿の神璽が空に昇って八方に飛び去ったんだって。
シャッコウ様に喚ばれた神璽は、人に宿ってシャッコウ様の眷属、つまり媛になるの。
八種の加護の一つを、人の子に過ぎた力を享けて。シャッコウ様の為に力を振う剣にして盾、皇帝陛下の御伴人みたいな存在なんだよ」
僕にはまだ、リアの言って居る事が良く判らない。だけど只事でない縁で僕達が結ばれて居る事は理解できた。
袖擦り合うも他生の縁。と言う。一生の内に出逢う人は凡そ千人と言われるが、それに含まれない一会さえ前世や前々世、あるいは後世の縁と言う話だ。
この説が本当なら二世に続けて幼馴染と言う僕達には、只事では無い縁がある。
「リアは媛だよ、天の媛・イヌイのキミ。お兄ちゃんと共に在る為に、天の神璽に喚ばれた一人。
天の加護を享けて、天の力を振うお兄ちゃんの眷属だよ」
捲し立てるリアに、僕が適切な言葉を返しかねていると、
「やあ。邪魔しちゃ悪いと思ったから、時間ずらして来たけれど。まだまだお邪魔だったかい?」
チャック様が現れた。まだネル様の変装は解いていない。
「あ、いや。そんなことは」
「平気だよ。昔話してただけだし」
僕達二人の答えを聞いてチャック様は忠告する。
「良かった。所で何者かが近付いている。さっさと試練の場に急いだほうがよいかもしれないよ」
「判りました。リア、案内して」
「うん。試練の場はお城の広間よ」
お城と言っても、領地の掌握に使っていた石造りの建物で、規模はデレックの実家エッカード家の物と大差ない。
領の官庁の性格が先に来るから、防備と言う面ではエッカード家よりもやや劣るかも知れない。
僕は神殿の手前に置いて来たタケシに跨る。
『どこまで進んだ? 色男。キスくらいしたんだろう』
ちょっと棘のあるタケシの念話。
『ううん。ちっちゃい頃の昔話だけ』
『あーあ。これだからお前ってやつは』
『え? なんで僕が』
あからさまに呆れ返るタケシの気持ち。
お城へ向けて急ぐ僕達は、チャック様を追い掛けて来たステゴロのデュナミスさんと大剣使いのアルスさんとすれ違った。
二人に会釈して通り過ぎた時。なにやらデュナミスさんが呟いた。
次の瞬間、後方で物凄い殺気が放射され、顧みると、
「いいから先へ」
臨戦態勢で肩に担ぐ様に剣を構えたアルスさんが、らしくも無い緊迫した声で僕に言った。





