プロローグ
●影武者
ネル様の姿は、僕と比べても物々しい。
首に胡桃色のスカーフを巻き、長弓・矢筒と背嚢を背負い胸甲を纏った旅姿。ゆったりとしたズボンの裾を巻き脚絆で絞り、険しい山道を踏破する為の丈夫な靴。
これから戦に出掛けるのだと言っても、僕は不思議に思わない。
「デレックは?」
「神殿の方に協力を取り付けに行って貰ったわ」
近所にお使いに行って貰ったと言った物言いだ。でも、ネル様がこっちに来ていい筈が無い。僕の帝都行きは、ネル様を無事に神殿に逃がす為の囮でもあるんだから。
そう思いネル様を見直すと、違和感を感じた。
「違う。ネル様じゃない」
小声で口にすると、
「流石だね。僕だよ僕。チャックだよ」
いたずらに右目をウインクした。
「ネルなら変装してデレックと一緒に、隊商が神殿に護送中だよ。
より安全を増す為に、僕がネルの影をやる」
影武者か。兄妹だから顔が似てるし、僕でさえごまかされたほどだ。
「でも。それではチャック様が……」
と僕が言うと。
「失敬だな君。阿呆と戦う程度の武勇は僕にもあるよ。これでも弓の名手と言われてるんだぜ。それに」
チャック様が手を振ると、
「デュナミスさんに、アルスさん!」
七歳の儀の時に同行してくれた二人が現れた。二人とも権伴と呼ばれる、弓の貴族も刀筆の貴族も手を出しかねる立場の人だ。
「おお! 覚えていてくれたか」
豪快に笑うのはステゴロのデュナミスさん。
「またご一緒させて貰います」
相変らずの生真面目は、大剣使いのアルスさん。
「それでは、帝都へ参ろうかのう」
デュナミスさんのさっさと先頭を歩き出す様は、相変らずだね。
『スジラド。来るぞ』
念話で告げるチカの声。示されれるチカの視点。その数ざっと三十騎余り
少し遅れて、
「来やがったか」
デュナミスさんが嬉しそうに、手甲の調子を確かめる。
「少し教育してあげようね」
チャック様の口辺が吊り上がる。
「それが宜しいでしょうな」
アルスさんは背負った大剣を両手に握った。
「スージィーラァードォー!」
怨嗟の呪いを乗せた雄叫びは、忘れもしないジェイバードだ。
「ふははははっ! やはりネル様と同行しているではないか!
裏の裏を掻こうとしても騙されはせん! アイザック様配下第一の知将の名は伊達では無いぞ。
者共! 謀叛人といえども、ネル様は主の妹君ぞ!
構えてその身を傷付けるな。行けぇ~!」
僕は、
(あ、意外と変装の効果あるんだ)
と思いつつ、ジェイバードを迎え撃つ。
「誤解は解かない方がいいよ。ネルの安全に繋がりますからね」
と僕に耳打ちするチャック様。だけどその顔、半分位は面白いからやっているんでしょう。
訊いたら多分、
「その通り! 良く判ったね」
と言う答えが返って来そうな晴れ晴れとした笑顔だった。
騎兵突撃の利は、馬匹の重さとスピードで圧倒する事。なのに、
「あ。人間って空を飛べるんだ」
真っ向から騎上槍の刺突を受け止めたデュナミスさんが、掴んだ槍をしゃくり上げると。突進の勢いも加わって堅甲を付けた騎士が放り投げられる。
あらら。飛んでった騎士が弾と成って、他の騎士を落馬させた。
アルスさんの方も無双してる。
すれ違いざまに馬の前脚が断ち切られ、落馬して自滅する騎士。
楯を割り、鎧をへこまして胴に食い込む大剣。今ので確実に内臓にダメージが行っている。
「あはははは。全然僕に出番ないや」
足手纏い以前に、手を出す隙さえ見当たらない。
まるで磁器を岩に叩きつけた様に玉砕して行く騎士達に、堪らず引き鉦が鳴り響いた。
「あの二人何者なんです?」
「拾い者」
あんなのが道端にゴロゴロしてる世界って嫌だなあと思いながら、僕は撤退するジェイバード達を見送る。
結局僕もチャック様も、殆ど何もしない内に、戦いは終わっていた。
布で手甲の血を拭うデュナミスさん。
血糊を拭いた後、砥石で膏ごと大剣の禊ぎをするアルスさん。逃げ出さなかった襲撃者は尽く、血の海の中に伏していた。
ヒュン! カッ! シュシュシュン!
矢叫びと共に襲い来る短い矢を僕は剣で撃ち落とし、射手の隠れている辺りに向けて釘を放つ。
「失敗した以上、直ちに退くのが流儀でしょ? そっちだって2人しか居ないのは解ってるよ」
矢は暗部が放った物だ。僕はチカからの情報を元に、お見通しだよと言ってやる。
暗部なら生きて報告するのが最優先の務め。敵わぬと知った相手に固執せずに、必ず次の機会を待つ。
果たして、地の凹凸や僅かの繁みを利用して、敵はゆっくりと撤収に入った。
ここから船を使って河を降れば早いし安全でもある。しかし僕達は、追手を引き付ける為に敢えて船を使わずに、巡礼や遍歴修行者の通る道を進む。
何度かこんな小規模の襲撃を躱し、途中出会った土地の顔役の私兵に金を撒いて護衛とした。
本来の通行料は貧しい巡礼に合わせてあるとても良心的な物だったけれど、そこは敢えて金を撒いたよ。
弓の貴族の戦の時、傭兵を務める彼らとの顔繋ぎが重要だったからね。
そんなこんなで僕達は、半月ばかり掛けて帝都オリゾの城壁へと辿り着いた。
この間に悠々と、ネル様達は神殿入りしただろうね。





