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動乱の始まり-06

●虚け者

 タチバナ伯爵家。当主はまだ十八の独身青年である。

 庶子ながら父と正妻の間に男子を授からなかったため、正妻の養子に入る事で正統を得、伯爵家を継いだ。

 因みに、人攫い事件以来表だった話は無くなったが、未だ正式にカルディコット伯爵大姫コーネリアとの婚約打診は取り消されては居ない。


「うーむ。困った」

 机上にある二通の親書を見比べて思案する。

 どちらもカルディコット伯爵家の息子から来た文である。


 片や庶兄アイザック。

 彼の武威は近隣に鳴り響き、子飼いの家臣はいずれ劣らぬ剽悍な命知らず。彼の命令一つで火にも水にも飛び込む精兵。

 アイザックに与力すればその武威がそっくりタチバナの物と為るに等しい。


 片や嫡弟フィン。

 正室腹の嫡子故に譜代の家臣が彼を推している。個人的武勇も問題無いが、近年は自分の支持層である文官寄りの立ち位置を取る事が多い。彼自身は幼少時からの教育の成果で、相当な官僚使いの名手と言われている。

 中央の上位の刀筆の貴族にも伝手があり、彼と結ぶと公事事(くじごと)はかなり有利になりそうだ。


 心定まらぬまま悩んでいると

「兄上」

 後ろから呼ばわる声。

「ん? ライトか」

「何をお悩みですか? 父上の早い隠居で嫁を貰う前に家督を継がれた兄上です。

 父上が賢い判断を成されたお陰で、兄上の前途は洋々たるものと羨まれるほどの幸運児。

 そう世間は噂しておりますが」


 若い伯爵は弟の言葉に、

「それな」

 と苦笑いを浮かべた。


「お家の大事と、お前より年若い新しい側室。二つを天秤に懸けていいとこ取りしただけでは無いか。

 確かに、若い側室に骨を抜かれお家騒動の種となった(ためし)は、史書にもラノベにも腐るほど溢れている。父上が賢明な判断を為されたのは間違いない。


 しかしだな。隠居しても後ろ盾として睨みを利かすのが倣いだろう。

 私は他の継嗣の様に生まれた時から当主になるべく育てられた訳では無いのだぞ」


 大きく肩で息を吸って吐き出す。


「世の部屋住み達が耳にしたら、『死んでしまえ!』と呪いの言葉を投げかけるでしょう。

 だいたいですね。悔むくらいなら最初から家督を受けなければ良かったのです。贅沢過ぎる悩みですよ」

「一言も無い」

「で、それで兄上のお悩みは何ですか?」


 ライトが促すと、兄の伯爵は二つの親書を彼に見せた。


「どちらも、自分に与力せよとの内容ですね」

「そうだ。お前はどう思う? 選べば否が応でもお家ごと騒動の渦中だ。かと言ってどっち付かずも後々不味い」

「僕の所見を宜しいでしょうか、兄上」

「許す」

「もう一つの道もあります」

「中立か?」

 と訊いて来る兄にライトは、

「いえ。それを入れたら第四の選択です」

 と切り出した。


「第四の選択? 続けろ」

 許可を受けたライトは滔々と、兄が思いもしなかった選択を紡ぎ始める。


(さきの)カルディコット伯爵閣下には今一人家督を継ぐべきお子様がいらっしゃいます。

 大姫殿、つまり兄上の婚約者であるネル様がいます」

「婚約者? そう言う話もあったが、お家同士の縁繋ぎだ。あれから何も話が無い所を見ると、(さきの)カルディコット伯爵のお目に適わなかったのだろう。それに、知っての通り継承には順位と言うものがあってな」

 その言葉に被せる様にライトは口を挟む。

「兄上! ネル様成人の儀の折に行った、儀式の話をご存知ですか?」

「話にはな。家督を相続させる者に対する祝福を授けたとは耳にした」


「ええ、ネル様には家督相続者の資格があるのですよ。そして、兄上はそのネル様の婚約者だ。

 つまり兄上にも、カルディコット伯爵家相続の目はあるのです。

 尤もこれから危機に晒されるネル様をお守りして、その愛を手にすることが出来ればですが」


「待て! そんなことをしたら双方から仕掛けられて潰されるぞ」

 流石にそれが見えないようでは伯爵家の家督を継ぐ資格はない。


「確かに継承の儀はしたかもしれないが、つけば二人から狙われることになる。よもやそれが見えぬお前でもあるまい」

「では、兄上はネル殿に未練はないのですね」

「元より父上が勝手に決めた話だ。お家の為にな。いい女に成長していると思うが、誰の女になっても恨みに思うものでは無い」

「誰がネル殿の婿になっても構わないのですね?」

「ああ。たとえそれがお前であってもな」

 弟の言わんとする所を先回りする兄。


「でしたら日和見をするのです。

 今は荒れた状態でしばらくは周辺領地はごたごたするでしょう。

 ですから今のうちに力を蓄え、形勢が見えて来たところで行動するのです」


「……」

 黙り込むタチバナ伯爵。


 ライトは静かに許可を求めた。

「兄上は上手い事角が立たぬ様、アイザック様とフィン様の間を泳いで下さい。密かに私がネル様に、いいえ姉上に(くみ)して働きます。

 上手く行けばそれで良し、拙ければ絶縁も覚悟の上です。同じ腹から生まれた僕にも、運試しのチャンスを戴けませんか?」


 それは五分にも満たない永遠。

 口を開いた伯爵は、

「いいだろう。

 但し、心ならずもお前に討手を差し向けねばならぬ日が来るかも知れないことを覚悟せよ。

 その代わり、危険を冒すお前が実りを独り占めしようとも何も言わぬ。


 これは私とお前との契約だが、我が心の伽藍に誓って、タチバナの家名に懸けて二言は無い」


「判りました。僕も努めて兄上の敵に回らぬ様心掛けます」

 兄弟は剣を親指で押し出して一寸ばかり抜き、鞘を掴んでチンと互いの剣の根元を打ち合わせた。

 金打(きんちょう)と言う、弓の貴族に伝わる堅い誓いの儀式である。



 ライトが退出すると、タチバナ伯爵はふっと口元に笑みを浮かべた。

「ライトの奴め。才はあるが、腹芸はからっきしだな。だがこれで保険は掛けた」


 タチバナ伯爵はペンを執って走らせる。


――――

 轟き亘る雷の月。

 御国(みくに)の護りの怠り諌め、(かわず)の夜回りいと高く鳴り響く頃。


 父、(さきの)タチバナ伯の突然の隠居に際し、不祥暗愚の私に家督が与えられました。


 庶子故正妻殿への憚りから、継嗣の教育を欠く私には過ぎたる果報。

 されど領地の継承に手間取り、今は飢えた貧民の子が突然与えられたご馳走を頬張って、

 懸命に咀嚼している如き有様にて、お家の事で精一杯な毎日を過ごしております。


 掛かる状況の今。固き友誼に結ばれた御尊家(ごそんけ)弊家(へいけ)の間ではありましても。

 他家を扶ける事など到底叶わぬ非才の身。どちらにも与力致しかねます。


 閣下のご武運をお祈り申し上げます。

 時維(ときこれ)参伯陸拾漆年漆月弐拾参日 アーサー・タチバナ 拝

――――


どうも体調を著しく崩した模様です。

停電に因る外来受付不能に伴う持病の薬切れもあり、暫く静養に努めたいと思います。

場合によっては入院もあるかも知れません。とりあえず明日より1週間から2週間程お休みさせて頂きます。

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