エピローグ
●慶び
「そうか、無事二度目の成人の儀を超えたか。流石スジラドだ」
報告を受けたカルディコット伯爵は手放しで誉めた。その喜びようは、スジラドが家臣ではなく、まるで我が子か孫で有るかのようなはしゃぎ様であった。と、居合わせた者は証言する。
このように、スジラドに対する伯爵の覚えめでたく、近臣の中にはスジラドに誼を結ぼうとする動きさえある。なんと言っても、禍津神と戦って勝ち、新宇佐村に広大な農地を拓いた事は、武断派・文治派を問わず目を瞠らせる功績なのだ。
スジラドを子供だからと軽んじ、モノビト上がりだからと疎んじる者さえ、伯爵の大抜擢に異論を挟む余地は無い。
だから、伯爵閣下はスジラドをネル姫の婿に迎えるのでは無いか? と言う話が聞えて来ても、それもあるかも知れないと皆が納得した。
●密使
一月後。この事に付いて嫡弟フィンより密使を送られた庶兄アイザックは、口上を聞いてフン! と鼻を鳴らした。
「で、それがどうした? 自分が見出した有能な人物に、娘を与えて藩屏と成すのは、古来よりよく使われた手段だ。親父が男爵だった頃ならいざ知らず、ネルを下手な他家に嫁がせるよりは上分別だろう」
しかし、密使はぼそりとこう言った。
「ネル様家督相続」
アイザックの目が大きく開かれる。
「真か?」
「はい。御酒を召された伯爵閣下が、ぼそりと口になさいました」
「……親父は何を考えてやがる!
我ら弓の貴族は、中央の文弱な刀筆の貴族共とは訳が違う。いざと言う時は先頭に立って戦う必要があるのだぞ。弓の名手と聞えるが、所詮は個人の芸。ネルが動かせる兵が無い。
大体なぁ。この俺が手下を増やすのに、どれだけ苦労したと思ってる。女の身ゆえそのチャンスすら与えられなかったネルに、いざと言う時生き死にを共にする家臣など居ないでは無いか。
後ろ盾も乳母の騎士爵家のみ。弱い当主では伯爵家の力が弱まってしまう」
「お兄様。お声が大きゅうございます」
アイザックの乳母子のナオミが、唇に人差し指を立てて諌めると、
「すまん。些か頭に血が上り過ぎた」
と左手でこめかみを揉んで、吐く息吸う息整える。
「武威は……。婿にするスジラドで補うの積りだな」
「御意」
それを確認したアイザックは、余裕の笑みを漏らす。
「だが、あやつとて大した家来は持って居ない。何よりモノビト上がりだから譜代の家臣が居ないのが弱点となる。分家筋が謀叛っ気を出した時、スジラドでは駒が足りないぞ。
金さえあれば直ぐにでもイズチやノヅチは揃えられるが、集まった兵を指揮する者が居ない。
確かに、教えても居ないのに見事に退かせた禍津神との戦いは見事である。あるいはスジラドは千年に一人の戦の天才であるのかもしれん。
しかし、ならばあやつと戦わず、あやつの居ない戦場で勝ち続ければ良いだけの話だからな。
少々指導は足りないが、俺にも兵を任せる将はいる。事務方を任せられるナオミが居る。
だがネルが将としての教育を受けていない以上、見るべき大将はスジラドのみ。
もしネルと俺が戦えば、最後に勝つのはこの俺だ」
幾分軽口の混じったアイザックに、密使は手裏剣の様に次の言葉を投げつけた。
「神殿がネル殿に与力すると確約したよしにございます」
「……」
余裕の笑みは驚きに変わる。
「待て、今何と申した」
「神殿がネル殿に与力すると確約したよしにございます」
「……すまぬ。もう一度言ってくれ。俺には、神殿がネルに付いたと聞えたのだが」
「お言葉に相違ございません」
重い沈黙が辺りを漂う。
「肇国よりこの方。神殿はいかなる世俗の権力とも距離を取って来た。精々が、逃げ込んだ者を取りなす為に匿い、時には戦いも辞さぬ覚悟で保護した程度だ。
匿いこそすれども、与力して自ら戦を起こした例はない。
拙いぞ。神殿が戦に与すると言う事は、神殿騎士団が動くと言う事。それだけじゃない。あの厄介な権伴共も動かし得ると言う事だ」
「御明察。権伴は概して小身の者ばかりですが、あのアレクシアス達のように難治の地を任された諸侯のような者もおりますれば」
「チッ。あの代戦士か。確かに、奴なら神殿の依頼を受ければネルに付かぬ訳がない。
自身が無双の騎士であるばかりでは無く、名だたる権伴を従えるチート野郎では無いか」
「一体何が起こっているのでしょう? フィン様は掴んでおいでなのですか?」
ナオミが密使に尋ねると、
「詳細は今調査中でございます。ただ……」
「ただ?」
「スジラド殿の出自に大きな秘密があり、伯爵閣下や神殿はそれを隠しておられる事は疑う余地もありません」
「……」
アイザックは黙り込んだ。
これで第三部終了です。
明日より第四部が始まります。





