真と雷電-06
●試練の時
不思議な場所よね。
上から差し込む眩い光。水晶や雲母で彩られた貴族の館ほどもある巨大な空間。
デレックには悪いけれど、虫の害を引き受けて貰ったおかげで充分な矢と魔力を残してここまで来た。
なんて美しいんだろう。奥の壁の七つの樋から清冽な清水が集められ、ここより広がる村一つはありそうな巨大な貯水槽に注いでいる。
そして下からは河から引かれたのだろうか? 滔々と流れる水路がこちらに向かって流れている。
「良く来ましたね。愛し仔よ」
「誰?」
声の方を見て見れば、巨石を組み合わせて作った巨大な俎板のようにも見える石舞台の上に、人影が有る。
身体の線を隠す非常にゆったりとした服は見た所、格式高そうだけれどかなり古めかしい貴婦人の装いよね。
なんて色白、なんて冷たい微笑。ううん、あれは白磁で出来た顔全体を覆い尽くす人の顔を模した仮面だわ。
「我は貴き腐を好む山。イズヤが命にてこの地に封神されし絵と書を司りし者。
美と芸術の探究者メランザーナ・スーパロンポッソ。
荒が兄にして雷の君よ電の主よ。天地と火を従える者よ。よう参った」
物々しい口上と共に、その顔が辺りを薙ぎ払うかのように旋回する。そして、
「こほん! 風の媛とその従者よ。よう参った」
どうやらお目当ての者が来ていないので言い直す禍津神。
「薬は? マガユウの病を直すお薬はどこなのよ!」
あたしが呼び掛けると、
「対価は何ぞ?」
「対価ぁ? 何よ。さっさと寄越しなさいよ」
物凄い圧力を感じる。だから潰されないように語気を強める。
「ふ……。ふふふ」
鼻で笑いだす禍津神。
「ならばそこの、逞しき男ではどうじゃ? 未だ声変りの終わらぬ童なれど、かほど美々しく鍛え上げたる益荒男も稀なり。攻めば、いと愛しき声で鳴くことじゃろう」
余りの言い様に、背筋に寒気が走った。
「ふふふふふ」
何を考えて居るのか? 悍ましい笑いで嘲笑う禍津神。
「お断りよ。赤の他人の為に、自分の兄妹差し出す馬鹿かどこに居るのよ」
直ちに拒絶の意志を示す。でも、なんだか反応がおかしい。
「兄弟を差し出す……。いい、いい、いいわぁ~。ふふふふ ふ……。ぐはぁ~!」
え? 何かどろっとした物を吐き出した。吐血?
ますます気持ち悪さが増して行く禍津神。
「ちょっとあんたぁ! 何よさっきから気持ち悪い」
あたしが怒鳴り付けると、
「おお済まぬ。久々に我の創作意欲が溢れ出してのう。それより媛よ。スジラドと言う童を知ってはおらぬか?」
唐突にスジラドの名前を出した。
「あれの十二歳の儀の試練を承っておるのだが、直ぐ参るだろうと言われておるのに時間が掛かって居るのでな」
「まさか、あんた、あの気色悪いスケルトンの関係者?」
「気色悪い? ……スケルトンの癖にマッチョな霊衣体をまとって居る変態か?」
「そう? 知っているのね。関係者なのね」
「ほ~う。我に殺気を放ちよる。その度胸だけは認めても良いかも知れぬな。出ませ! 我が眷属よ」
仮面の女が右手を上げると、ザザーンと水路から大型のスライムが現れ出でた。
「懲らして捕らえ、教育せよ! 悩みと恥にやつれし姿を、我は畏み永久に留めん」
合図と共に襲い来る、大型スライムの群れ。
「痛ぅ! 楯を回り込んで来やがる」
集中してデレックを狙うスライム達。デレックがスライムから伸びた触手のような物で鎧の留め具を痛打された。
「行くわね。行くわよ!」
あたしを放置したことを後悔させて上げるわ。狩俣の矢を番えて 迫り来る触手を射斬り飛ばせば、千切れた残骸は無数の蠕虫と成りて雨のように飛来する。
それを、
「風よ!」
追い風で防ぎ跳ね返す。
「獲ること醜に匪ざれど。
水は器に従いて、火は付く物に拠り容を現す。
起れ火の火。小着火」
デレックは剣に炎を宿す。サンドラ先生から頂いた魔法の剣はデレックの魔法と親和性が有り、あたしやスジラドほど魔法を巧みに操れない彼にとって無二の武器。
これもまた、剣の技を十全に活用するデレックの定番だ。
だけど、武器には付与出来ても楯や鎧に纏わせるのは無理。あ、楯を迂回した触手がまた、デレックの鎧の留め金を砕いた。
「ふっふっふっふっ」
高らかに嗤う憎たらしい声。
鎧下のジャックに取り付くスライムの分体。続く、
「者共! 鎧は壊せど、力めてその身を損なうな」
と言う禍津神の声。
「なんだよこれ!」
鎧の下に着ていた物がボロボロにされて、忽ちデレックは上半身裸になって居た。
「ちぃと、実力が足らなんだな。悪いようにはせぬ。潔く負けを認めて降伏せよ。さもなくば……」
「さもなくばなんだよ!」
噛み付くデレックに禍津神は淡々と、
「下も溶かす」
と言い切った。
「うげぇ! 痴女だ。痴女が居る」
すると禍津神は、
「心外な。我は美と芸術の探究者なだけぞ。
そなたの凛々しき顔、鍛え上げし腕に胸板。それで居て花も蕾の永遠ならざる美を、絵画や彫像にして永く留めんと欲するだけぞよ。
そうじゃ。そなたの生まれたままの姿。その美しき肉体の美を、神殿の正門に飾らせよう」
まるで夢見る乙女のように、一人悦に入る禍津神。
「デレック!」
「応!」
「獲ること醜に匪ざれど。
水は器に従いて、火は付く物に拠り容を現す。
起れ火の火。小着火」
「孚有りて攣り如く。
征け風の天 風撃」
デレックが着けた火を鏃として、あたしが風の力に乗せて打ち込むと、
「げふっ」
禍津神は吹き飛ばされて水槽の岩壁に叩きつけられた。
「やった!」
「まだよ。まだまだよ」
果たしてデレックの顔がぬか喜びに終わる。
吐血したようにねばねばした物を吐き出した禍津神は、
「い、いいわぁ! いいわいいわぁ~!」
と歓喜の声を上げ、何事も無く立ち上がった。