腐の迷宮-07
●感染らないよ
「どうぞ」
贅沢にも人数分用意された吸い飲み。ここで病人看護の指揮を執る、若いと言うか未だ幼い女性神官が居る。
そう、年の頃は本来ならば七五三の二度目の儀式を受けるべき十二歳。彼女は他の子と同様、口元を防疫の護符の着いたマスクで覆って、見習いばかりの歳においては珍しく正規神官のローブを上から纏っていた。
「シア侍祭。湯冷ましが足りません」
「もう直ぐ届くよ。声を掛けて励まして。あ、あなたは床の掃除と消毒を」
「布が足りません」
「早く取りに行って。部屋と患者の清潔を保つ事が私たちの務めだもん。
初代の神子様は、清潔を保つだけで病室の四割二分だった死亡率を、一気に二分にまで改善しました。
言い換えれば、油断すると直ぐに元の人死に戻ってしまうよ」
マスクでくぐもる看護人たちの声。
「皆。怖がることは無いよ。この病は、こうして口元さえ守って居れば感染らないものだから」
シアは凛とした声で、年上の子も居る見習い達を束ねていた。
●定まらぬ運命
その頃クリスは夢の中にいた。
夢では無いかと感じていたが、それでも目覚めぬ明瞭な夢。
「来れ! 目の有る者は見よ。耳の有る者は聴け」
声の聞える方にぼんやりとした光りが見える。
蛍のように飛び交う光はシャボン玉のように丸く。近付いては離れる。
中に浮かぶのは様々な映像。
種蒔き・草取り・実り・収穫。誕生・成長・結婚・祭り。戦い・会議・治水・開拓。
様々な人の営みが浮かんでいる。
そんな奇妙な光景に導かれ、ぼんやりとした光に向かって歩いているクリス。
その先には、二人の巫女が立って居た。見覚えは無いがどこか懐かしい顔。
「あれ?」
何度か目を瞬かせ、首を動かして辺りを見る。
そこにいたのはやはり二人の巫女。但し、今居た巫女が大人だったのに、目の前に居るのはどちらも子供。
一人はクリス達を出迎えた猫耳帽子の子で、もう一人は自分よりも少し年上の女の子だった。
「もう大丈夫。無事マガユウの病を乗り越えたのね。安心して、お兄ちゃんが拾った子供達以外では、あなたが最後。ネルさんもデレックさんもお兄ちゃんも、病に罹る事無く跳ね返しちゃったの」
「そうなの? あれ?」
ふらふらとしながら立ち上がり、手を今も見えるぼんやりとした光に向けて伸ばし、歩き出した所で足が縺れた。
「きゃあ!」
クリスは自分を支えた二人が悲鳴を上げるのを聞いた。
見ると、スジラドが半ば骨と化してスライムに弄ばれている。傍らに神官装束の仮面の女が立って居た。その穏やかな笑みを浮かべた、顔全体を覆う仮面の女の命ずるままに、まるで人形遊びの人形のように、別の白骨と戯れるスジラド。
「ふふふ。良いわぁ~」
悍ましく響く、決して若くはない女の声。
その映像がシャボン玉の様な泡に包まれて遠ざかる。気が付けば辺りは無数の泡が飛び交っている。
先の映像の泡と入れ替わるように映し出される数多の映像。
「ネルお姉ちゃんが磔に成ってる」
両の腕に槍を受け、壁に蝶の標本のように留められたネルの姿をクリスは視た。
血の海に沈んだデレックと、向き合う満身創痍のスジラドの姿。
「神殿が燃えている」
戦火に晒され逃げ惑う人々。乱暴狼藉を働く野盗の様な連中が子供を槍先に掲げたり、撫で切りにしたり。女の子を肩に乗せて連れ去る様が鮮明に浮かび上がる。
神殿の奥を護って居るのは、
「旦那様? 違う、若過ぎるよ。……ひょっとして、若様?」
彼が手傷を負た時、嵩に懸かった敵を襲った横からの雷。
同じ映像を見ているクリスが言った。
「兄ちゃの技だ。兄ちゃが助けに来てくれた? でもあの人、大人だし。あ……父ちゃ?」
白髪交じりの父親アレナガ・ウサが手勢を率いている。
「これ、多分、先の出来事だ」
「結婚式だ」
花嫁の婚礼衣装を着るのは一人では無い。猫帽子の女の人も居ればネルそっくりな人も居る。ナオミも居る。
そしてその中にクリスは、
「母ちゃ……」
絵で見た若い頃の母親そっくりの女の人。
「違うよ。これ、大人になったクリスだ」
入れ替わり立ち代わり映し出される映像。
沢山の幸せと不幸せ。同じ頃に見えるのに、決して両立しない出来事が映る。
そして、自分達の関わる全ての映像に、必ずスジラドの影が有った。
そして、
「腐の迷宮の奥深く、黄泉の涯に封神されし、禍津神を訪ねよ」
と言う声が響き渡る。
猫耳帽子の子はクリスともう一人の手を取って言った。
「聞いた? 行きましょう。下水道の最奥へ」
「さっきの泡のあれは何?」
とクリスが聞くと、
「泡の中に映ったのは、未だ定まらない私達の運命だよ。いずれにしてもお兄ちゃんが運命の人みたい」
運命の人と言う言い方に、クリスは顔が熱く為って行くのを鼓動の高まりと共に自覚した。
ブックマークも増えて来たので、閑話等のリクエストを頂きたいと思います。
第一回の締め切りは今月いっぱい。
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