僕に声をかけてきたのはミスコングランプリの美少女でした
90分という長い講義の終わりを告げる予鈴が鳴る。
次も授業が入っている僕は、そそくさと片づけをし始めた。
「中村くん」
肩を叩かれると同時に名前を呼ばれる。
僕の知り合いにこの講義を取っているやつはいなかったはず。
そもそも大学内に友達と呼べる人間は片手で数えられる程度しかいない。
ならばだれだろうかと振り返ればそこにはひとりの女子がいた。
にっこりと微笑む愛らしい顔立ち。
白い肌はまるでなにも描かれていないキャンパスのよう。
引き締まったボディラインに小柄ながらも起伏のある胸部に細い足が覗ける短いスカートと非常に目のやり場に困るおしゃれな格好をしていた。
「中村泰成くん、だよね?」
返事がないので心配になったのか、彼女は再度問いかけてくる。
「えっと……、そうだけど」
さすがにフルネームで言われ、しかもバッチリ僕の名前だったので応えないわけにはいかなかった。するとほっとしたように彼女は小さく息を吐いた。
「突然ごめんね。いま大丈夫?」
「少しなら」
「よかった」
言うと、後ろの席から僕の座る席までぐるっと回ってきて隣に腰かける。
「実は折り入って頼みたいことがあるんだけど」
そう切り出した彼女はこちらが呆けているのに気づき、気まずそうに自身を指差す。
「あ、わたしの名前知っている?」
「笹本さん、だよね? 笹本未来さん」
「あーよかった。覚えててくれたんだ」
「覚えていたっていうか、まあ……笹本さんは結構キャンパス内で有名だから」
ちらちらと周囲を窺いながら小さな声で言う。
笹本未来。
彼女は僕と同じ大学四年で去年、大学のミスコンで見事一位を獲得した人物だ。
他薦で出場したらしいが、噂じゃあ圧倒的支持率だったとか。
かくいう僕も暇だったのでミスコンの投票で彼女に入れた。
そんな有名人、知らないわけがない。
「あはは、そか。だよね、ミスコン出たから嫌でもわかるか」
「そりゃあね……」
自嘲的に笑う笹本さんに僕は苦笑いを浮かべる。
「それで頼みたいことって?」
照れなのかなんなのか、目を伏せた笹本さんに僕は本題を切り出すよう促す。
言われてはたと思い出したらしい彼女は、ぱんっと手を合わせる。
「あのね、わたし来週のこの時間に就活が入っちゃってて出られないの。……それで申し訳ないんだけど、この講義のノート……よかったら見せてくれないかな?」
下から見上げられるようにして頼み込まれる。
その卑怯すぎる上目遣いに視線をそらさずを得ない。
「い、いいよ。それくらいなら全然……」
「ほんと! ありがとーっ!」
お礼とともに手を握られる。
いきなりの接触とかやめてくれませんか!?
なんていう僕の心の声が届いたのか、笹本さんはすぐに手を離す。
「いきなりごめんね」
「い、いやべつに」
若干の気まずい空気が流れるもその空気を振り払うかのように笹本さんがスマホを取り出す。
「連絡先! 確かわたしたちお互いの連絡先知らなかったよね? よかったら交換しない?」
「ああ、うん。いいよ」
唐突すぎる展開に押されながらも嬉しいことには変わりなかったのですぐさま僕も自分のスマホを取り出して連絡先を交換する。
うわ、僕のスマホにミスコングランプリの笹本さんの名前が登録されたよ。
浮かれる僕だったが引かれたら終わりなので顔に出さないよう踏ん張る。
「ありがとね。……その、わたし料理とか好きでよくするんだけど、よかったらお礼にどうかな? ……あ、全然買ったお菓子とかお昼奢るとかでもいいけど!」
「いやいやいいよ。ノート見せるだけだし」
「でも悪いし」
「ほんとに大丈夫だって。気持ちだけで充分」
というより僕は笹本さんと会話できたことで満足している。
まあそんなことは言えないので、気にしないでいいと念を押すように首を振る。
僕の心情を悟ってくれたのか、笹本さんは引き下がってくれた。
「……それじゃあ来週お願いします」
「うん。笹本さんも頑張って」
笹本さんに別れの挨拶をし、僕は四時間目の授業へ向かった。
☆☆☆☆
「それは完全に使われたな」
翌日。
三時間目が終わり、授業の重なった友人の秋山と食堂に来ていた。
ふたりともこのあと授業がないため、遅めの昼食を摂るためだ。
昼休みともなれば混雑するが、時間の関係もあり人はまばらであった。
「使われた?」
意気揚々と昨日の話をした僕だったが、秋山からの反応はあまりよくなかった。
彼は数少ない大学内の友人のひとりであり、サークルが一緒になってからというもの一年の頃からの長い付き合いなので彼のことはそれなりに知っているつもりだ。だから彼の性格上、冗談ではないし、嫉妬とかそういう類のものではないこともわかる。
「大学四年の就職活動真っただ中なこの時期に授業なんてまともに出れないだろ。説明会、面接、履歴書作成や卒論だってある。んな一授業にわざわざ出たくねえよ。そこで見つけたのが真面目に講義出そうで断れなそうな中村泰成っつー男なわけ」
「はあ、じゃあなにか。笹本さんは僕をただの単位獲得のための道具だと?」
「そんなところ」
自分なりに解釈すると、秋山に肯定された。
「はは、まさか。あの笹本さんだぜ? 超優しい美人な笹本さんがそんなことするか?」
「腹の中じゃあ『うわ、チョロ』って思われてるかもな」
「ないない」
「どうだか」
ラーメンをすすり、秋山は至極真面目な表情で続ける。
「噂じゃあよ、男を何人もとっかえひっかえしてるとか。大学三年間で男が切れたことがないとか。……もっとすごいのとかあるけど、そういう系の噂が絶えないわけ」
「所詮噂だろ」
「そうだけど、あんな美人だ。多少の誇張はあるかもだが、眉唾とも取れないぜ」
反論のすべのない僕の昼食を摂る手が止まる。
心のどこかでそうかもしれないと思っている自分がいるのかもしれない。
「ま、相手が笹本未来じゃなくたって中村なら引き受けたんだろうけど」
秋山は、はあと息を吐き、肩をすくめてみせる。
「中村はお人よしだから、そういうところ付け込まれんだよ」
「付け込まれるって……それにお人よしってわけじゃ――」
「サークルの代表だって、だれもならないから立候補してさ」
「だれかがやらなきゃいけなかったし」
「ゼミ長だってやってんだろ。しかも押しつけられて」
「ただの推薦だって」
「レポートとかも他のやつのもやってさ」
「手伝っただけ」
列挙される事柄に否定するように答えていく。
「一年の時のクラスでプレゼンやった時だってそうだ。他のやつがなにもしないで企業調べから資料作り、台本作りまで中村がほとんどひとりでやって。授業中じゃ終わらないって帰ってからもやってたじゃんか」
「……あれは授業だったし、僕が提案したものだったから僕が主導でやるしかなかったの」
そこまで言うと、秋山は水をぐいっと一気に飲んで「ぷはっ」と声を出す。
「優しすぎんだよ」
聞きようによっては長所であろうが、秋山は明らかに僕のそれを短所と捉えていた。
「引き受けたもんは仕方ない。けどそれっきしにしとけよ。相手もわかって、いろいろ押しつけてくるかもしれないから。いいか、次はちゃんと断れよ」
「断れって……」
乱暴に言うと、食べ終わったのか箸を置いた。
「やべ、昼飯で財布の中空っぽになっちまった。なあ、アイス食いたいから金貸してくれね?」
「いいけど」
「だからそれだよ!」
「はい……?」
財布から金を出そうとした僕に秋山は心底呆れたような表情でこちらを見てくる。
「よし、今日は俺の家でゲームだ。ほれ、さっさと食え」
いきなり予定を入れ、僕を急かしてくる。
「今日はバイトで無理。なんか今日シフトの子が代わってくれってさっき連絡来て」
「だからそれだって!」
やたらと感情の起伏が激しい秋山に僕は再び言い訳めいたことをするのだった。
☆☆☆☆
火曜三時間目、経営分析論。
それが僕と笹本さんが取っている講義だ。
「ほんっとにありがとね、中村くん」
ひととおりノートを書き写し終えた笹本さんから再度お礼を言われる。
「いいって。それよりも僕の字、下手でごめん」
「下手じゃないよ。むしろすごい丁寧で、細かくメモとかも書いてあるし見やすい見やすい」
「よかった。お昼のあとだから眠くって時々意識失っちゃってたかもだったから」
「それわかる。しかもあの教授、おじいちゃんだから催眠術みたいだよね」
「それそれ」
くすくすと小さく笑う笹本さんに僕もつられるようにして笑う。
ひとしきり笑い終えると笹本さんはリュックからお弁当箱を取り出した。
「中村くんはもうお昼食べた?」
「まだ。さっき来る前に購買に寄って買ってきただけで」
僕も笹本さんがお昼を食べたのか気になっていたけれど、彼女のほうから振ってくれて助かった。
二時間目と三時間目の間は昼休みとなっているので普通よりも授業の間が長いのだ。
早めに待ち合わせをしていたので食べるに食べれなかった。
「じゃあ食べちゃお。いただきます」
「うん。……いただきます」
小さなお弁当箱の中身は色鮮やかだ。
白米に豚肉の炒め物、スクランブルエッグにサラダが詰め込まれている。
それに比べて僕はといえば、おにぎり二個にお茶。
まあ男子学生なんてこんなものだろう。
「あんまりじろじろ見ないで。大したものじゃないから」
「あ、ごめん。いやでもすごいなって思って。この前料理するって言ってたけど手作り?」
「一応。でも昨日の余りものとかを詰めただけだから」
「そうなんだ。僕には普通にすごい出来だと思うけど」
「ありがと。ひとり暮らしだから自炊には慣れてて。中村くんは料理とかする?」
「全然。僕もひとり暮らしだけど、基本的に買って食べてる」
上京してきてひとり暮らし歴も長くなっているというのに自炊ひとつしないとか恥ずかしい。
しかし笹本さんは僕が恥じている姿など視界に入っていないらしく、ぼそりと言う。
「わたし、作ってこようか?」
あまりにも現実感のない言葉に耳を疑った。
「お礼しなきゃかなって思ってさ! ほらやっぱり、悪いじゃん!」
固まる僕に笹本さんは捲し立てるように言った。
やはり罪悪感みたいなものがあるのかもしれない。
この前の同じように言われたし、逆にここで断りを入れたらそれはそれで申し訳ない……。
「じゃあ、お願いしてもいいかな」
「え、ほんと!? うん、来週作ってくるね」
やっぱり笹本さんはいい人だ。
噂は噂でしかなく、打算的な人などではない。
そうして僕らは約束を交わし、眠くなる授業に臨んだ。
――――
「ん」
なにかが僕の頬をつつく。
目を開けると超至近距離に美人さんがいた。
「うわっ笹本さん!?」
椅子を思いっきり引いて、起き上がる。
「驚きすぎー」
おかしそうに笑われる。
「あははー、あれ? 授業終わった?」
椅子を戻しながら聞く。
「さっきね。中村くん、後半爆睡だったよ」
「まじか。言われてみれば途中から記憶が……」
ぞろぞろと教室をあとにする人たちを見ながら、本当に終わっているのだと知り、やってしまったと項垂れる。
「大丈夫。わたしがちゃんと起きて聞いてたから」
「ありがとうございます。……悪いんだけど来週見せてもらってもいい?」
「よろこんで。そのためにノート取ってたとこあるから」
「はは、ありがとう」
僕の不真面目なところを見られてしまった。
頼まれた時は寝ちゃいけないと思って頑張れたけど、今日はだめだったな。
さっきの時間が幸せすぎて疲れたのか?
「次、授業入ってるんだっけ?」
「うん、僕結構単位残ってて」
「そっか。中村くんさえよければそのあと――」
「未来?」
笹本さんの名前が後ろから呼ばれる。
見るとそこには三人の男子学生のグループがいた。
見るからに僕のような人種とは違う……端的に言うとリア充さんだ。
「岩崎くんたちもこの授業取ってたんだ」
「そうそう。って言っても今日初めて来たんだけど」
あっけからんと言い、笹本さんのすぐ真横まで近づいてくる。
「てっきり未来はほとんど単位取り終えてると思ってた」
「少し残ってて」
「なるほど」
ちらっと僕のほうを一瞥する。
「えーっと知り合い?」
「う、うん。同じ学部の中村くん」
「あ、そうなんだ。よろしく岩崎でーす」
軽い感じで言われ、僕はぺこりと頭を下げるにとどまった。
「就活きつくね? どう?」
「ぼちぼちかな。岩崎くんは外資系とかだっけ?」
こういう友達の友達っていう状況は非常に苦手だ。
なんか会話まで始まっちゃってるし、もう行こうかな。
「へえ、中村くん優しい」
発せられた言葉に胸を鷲掴みにされたようだった。
気づけば、岩崎くんが僕のほうを向いてきていた。
どうやら僕との関係を笹本さんに聞いたらしい。
「俺らもさ、就活とかで忙しくて……ノート、頼めない?」
片手を顔の前に出し、友達に頼むように言われる。
「い、岩崎く――」
「未来も忙しいし、頼めるの中村くんしかいないんよ」
突き刺さるような視線が何個も注がれる。
――ああ、そういえば笹本さんとは一年の時、クラスのプレゼンで一緒のグループだったっけ。あの時、こういうこと苦手だからと言っていたあのグループの子のうちのひとり。
なんだ。
僕の名前を知っていたのも合点がいったし、僕のこの性格を知っていたからこそ頼んだのか。
どおりでうますぎると思ったんだよ。
「いいよ」
僕は言った。
「僕、公務員志望でさ、試験までまだ時間に余裕があるから講義も出れるから」
だから就活なり遊びなり、自分たちの好きなことをしたらいい。
面倒ごとはやっておくから。
そう言外に告げ、次の授業があるからと逃げるようにしてその場から去った。
☆☆☆☆
「はあ、お前ばっかじゃねえの。なんでそんなくそ男どもにまでノート見せることになってんだよ」
「声でかいよ」
翌日の三時間目の授業終わり。
毎度のことながら食堂で遅めの昼食を摂り終え、リラックスタイムとばかりにくつろいでいると昨日のことを秋山からしつこく聞いてこられ、渋々答えたらこれだ。
だから言いたくなかったんだ。
「絶対いいように使われているだけじゃん。就活とか建前。講義サボりたいだけだろ。つかそいつら昨日初めて出たんだろ。絶対出る気なかったじゃん」
「そうとは限らないと思うけど」
「そうなんだよ。俺は知っている。この時期に単位残っているのはそういうやつらなの」
「……胸が痛い」
「中村の場合は普通に馬鹿だから仕方ない」
「ひどい」
「うそうそ。中村は他のやつらのことやったりで単位取るのを抑えてただろ」
なんでもお見通しの友人は正面からしっかりと見据えてくる。
「だから馬鹿だっつってんの」
「すいませんね」
このことを追及しても仕方ないと思っているようで、秋山は僕から視線を切った。
「つかよー、やっぱ笹本未来も噂どおりの嫌な女じゃんかよー」
「嫌な女って」
「おかしいと思ったんだよ。笹本未来がひとりで講義受けるわけないって。つまり連中は最初からグルで中村をターゲットにしたってわけよ。あーあ、胸糞悪い」
「いや、だからそうとは限らないって」
僕のような男にこれほどまでに憤ってくれるのはありがたい限りだと思う。
ぶつぶつとなにやら恨みの念を送っているようだけれど、ちょっと怖いのでそれはやめてもらいたい。
「よーし、もうその講義なんて出るな。履修変更しよう。いまならまだいけるんじゃね」
「いいよ。履修変更日はもう過ぎたし、後期になって取るってなると卒業できるか危なくなるから」
「……ほんとにいいのかよ」
机の上に置かれた拳は強く握られている。
それほどまでに悔しく思っているのだろう。
「俺はお前に感謝してんだよ。ほれ、サークルの会費がなくなった時あっただろ。あん時、まだ大して仲良くなかったのに中村は俺の言葉を信じて一緒に探してくれた。結果、中村のおかげで会費は見つかって俺の無実は晴れた」
「なんの話をしているんだよ」
「中村には幸せになってもらいたいってこと」
自分で言っていて照れているのか、秋山はこちらを見ようとしない。
昔の話をし出したと思ったら……。そうか、そんなふうに思っていてくれたからいろいろと助言してくれていたんだな。
けれどごめん。
「小学校の頃、クラスメイトのいいところを言い合おうみたいな授業があったんだ」
「んだよそれ」
「僕のいいところ、なんて書かれたと思う?」
「優しい?」
あっさりと言い当てられ、僕は「そう」と頷く。
「秋山は知っている? 優しいって他にいいところが見つからないから使う……すっげえ便利な言葉なんだ」
「…………」
「つまり僕にはいいところなんてない」
自虐的に笑みを刻むと秋山は歯噛みする。
反駁しようと頑張ったようだけれど、あながち間違っていないと思ったのだろう。
「でも小さい頃の僕はみんなの言葉を鵜呑みにした。僕は優しいところが長所なんだって。だったらもっとその部分を磨こう……いいところを伸ばそうとしたんだ」
その結果がいまの僕さ、と言って手を広げる。
「僕がなにかをしてだれかが喜ぶ。それがだれかによって利用されたものであろうと、なんであろうと僕のしたことでだれかに喜びを与えられる。それでいいんだ。前にも言ったと思うけど、僕は自分のためにやっているだけに過ぎないんだ」
「自分のためって」
「それに。……秋山のように僕のいいところを見てくれる人がいる。それだけで充分さ」
ゆっくりと語り終えると秋山は億劫そうに首筋を揉んだ。
「中村、いつか過労で死ぬぞ」
真剣とも冗談とも取れるような声音だった。
「本望さ」
僕も似たような感じで答えた。
☆☆☆☆
火曜三時間目の経営分析論は意外と人が多い。
そのため早めに行って席を確保しなければならない。
二時間目が終わり、昼休みに入る予鈴が鳴ってからすぐに教室に入る。
空いている席はどこかと見渡す。
ひとりなのでずいぶんと席を探すのは楽だ。
前過ぎず、後ろ過ぎない絶妙な場所を見つけた僕はすぐさまそこに向かう。
しかし僕が到着するとほぼ同時にだれかもその席に着いた人がいた。
こういう時は譲ったほうがいいよな、と思って探すのを再開しようとしたが。
「中村くん」
柔らかな声が耳朶を叩いた。
「一緒に座らない?」
なぜかそこには笹本未来がいた。
――――
だれかのために行動するってただの利己的な人だと思う。
わたしは昔から多くの人に優しくされた。
小さい頃のわたしは、世界はなんて美しいんだろうって思っていた。
けどそれは勘違いだった。
行動のそれが、言葉のそれが――全部、自分のためだった。
たぶんそれはわたしの整った容姿故だったのだろう。
自分のためにわたしに優しく接する。
そのすべてを受け入れていたら、男がなんちゃらという噂まで流れるようになった。
――だれもがそうやって欺瞞に満ち溢れた世界を生きていた。
「こういうプレゼンとかやったことなくて苦手なの。頼める?」
グループワークの時のことだ。
グループの女子のひとりが男子ひとりだった子に言った。
ああ、この子もそうやって生きてきたんだって思った。
だからまあわたしもそれに乗っかってもいいだろうと責任を押しつけるようにして頼んだ。
「わかった」
彼はなんの迷いもなく了承の意を示した。
不思議に思いつつも、こんなものかと納得する自分もいた。
そうして発表も無事に終え、労することなく単位を取得できた。
グループの子からは「ありがとう」とお礼を言われる中、彼はなにかアクションを起こすのかと思ったが、「ごめん、こんな発表で」と謝ってきただけでなにも見返りを求めなかった。
べつに発表だって悪いものではなかったし、むしろ教授からは高評価を得ていた。
なのにどうして。
気づけば、わたしは彼のことを目で追っていた。
彼はいつだってなにかをやっていた。
なにかを集めたり、なにかを教えたり、なにかを見せたり、なにかを務めたり。
共通していたのがだれかのため、ということであった。
けど。
行動のひとつひとつがなんの利益にもならないことばかりで、それどころか自分に不利益なことばかりで……。
「自分のためだよ」
友人と彼が会話をしているところだった。
なんの話題からその話になったのか、わたしは興味深くて聞き入った。
「僕は自分のことしか考えていない。自分を肯定するために僕は動いているだけ」
そこでこの話題は終了してしまった。
利己的、打算的、私利私欲にまみれた行動。
そう自称するが、わたしの思うそれとはまるで違っていた。
なんで、どうして。
わたしは彼のことが理解できず、けど心はすでに後戻りできないところまで惹かれていた。
「中村くん」
初めてわたしは自分から声をかけた。
優しさという仮面を被って。
――――
「なんでいるのって聞きたそうだから逆に聞くね。なんでいないと思ったの?」
席に着くなり低い声音で言い募られる。
「わたし行かないなんて言ってないよね」
「う、うん」
なんか怒っているっぽくて怖い。
「わたしね、嫌いな人がいるの。それは人の優しさに付け込む人」
「えっと……」
どう返したらいいかわからず、口は開きっぱなしの僕。
だれのことを言っているのか、さすがの僕でも予想はつくけれど……なんだかまるで自分を叱責しているようにも見えた。
「ノート見せるって言ったでしょ? はい、これ前回のね」
「ああ、うん。ありがとう」
さらりと先ほどの言葉がなかったかのようにノートを渡される。
「それとこれも」
ごそごそとリュックを漁っていた笹本さんはこの前見たお弁当箱よりの二倍くらいあるお弁当箱を取り出した。
「約束したでしょ。……来週持ってくるって」
早く受け取ってくれとばかりに僕の顔の前にそれを差し出す。
「ありがとう」
一言お礼を言ってから受け取る。
二段重ねのそれには一段目のご飯が。そして二段目には多種類のおかずが。
「先に食べちゃおう」
はい、と箸を渡される。
有無を言わさぬその行動に互いに手を合わせて「いただきます」を言い、僕は笹本さんが作ってくれたお弁当に手を伸ばす。
「うまい」
「よかった」
感想を述べると嬉しそうに笹本さんははにかんだ。
笹本さんのその表情を見て、ふと思った。
そういえば僕はこんなふうにだれかに優しくされたことはあっただろうか。
自分のことばかりで気づかなかったけれど。
「すごい嬉しいものなんだな」
思わず声に漏れてしまった。
幸い、笹本さんには聞こえていなかったらしく小首を傾げていた。
それに僕はなんでもないと首を振る。
秋山悪いな。
やっぱり僕はこの生き方を変えるつもりはない。
だって自分のためにだれかがしてくれるってことはとても嬉しいことだと実感してしまったから。
「あの、中村くん?」
笹本さんは言った。
「中村くんがよかったら……来週も作ってくるけど、どうかな」
「えっと」
僕は逡巡したのち、こう答えた。
「笹本さんさえよければ――」




