初年兵(二)
大学ノートを渡された実は、煙草に火を点けて読み出す。
「へえ、脱亜入欧を地政学から見るか」
「進行中だから、今」
「米国を満州に入れたことだ」
「そう。それから朝鮮分離」
「明治維新に不満なのか」
「ううん。明治から大正への流れ」
一昨年の就職以来、篤の興味は歴史に移ったらしい。本棚に歴史関連の書籍が並ぶようになった。それに気づいたのは、憲兵学校入学で東京に戻った昨年だった。経済や外交に加え社会主義の本も並んでいたが、今ここに、それらはない。買ったのではなかったということだ。借りてきて重要事項だけをノートに書き記している。地図帳と年表は買うしかあるまい。
同人や研究会には参加しないという。考えがまとまらないうちに参加するのは、影響を受けるだけで害になるらしい。洗脳されるのがいやなのだろう。健全なやり方だ。市井の者による史学研究の会や同人はかなりある。それは、学者たちが唯物論や共産主義に傾斜し過ぎるからだ。憲兵という仕事柄、実も主義者の読む本は一通り読んでいた。もちろん、家に置くことはない。
「哲学の名を借りて共産主義が蔓延した」
「岩波や大学が難解な言葉を造語するから」
「わかっているか」
「僕は原書にあたる」
「独語は専門だね」
ぱらぱらと、ページをめくる。
「あまり進んでない」
「兵役中だもの」
「上等兵候補なら時間はない」
「うん」
初年兵は、教育訓練、装具の手入れなど日々の課業や使役の他に、戦友に組まされた古兵の装具や雑事もあるから忙しい。上等兵候補に選抜されると、日課と別に特別訓練があり、消灯後も中隊事務室で学科をやる。使役が減るとはいえ、寝る時間は少ない。さらに、出世頭には古兵の制裁が集中した。
「二期の教育まで終わったの」
「それで昇進発表と外出許可」
「満州へ移動だね」
「うん」
初年兵教育は第一期から第六期まであり、第二期検閲まで半年ほどかける。第三期から大隊教練、連隊教練に入り、最後に第六期検閲を兼ねて秋季演習を行い一年目が終了となる。
入営と同時に二等兵となった初年兵は各期の検閲ごとに査定され、一等兵昇進や幹部候補生選抜が行なわれる。支那事変の間は、ほぼ全員が二期検閲までに一等兵に昇進していたものだ。戦地の兵隊は一等兵と上等兵で、二等兵は戦場に出さない。
「零下三〇度、想像もつかない」
「風呂から帰る途中でタオルが鑓になるぞ」
「うへえ」
「零下一〇度までは厚着をすれば大丈夫だ」
「うん」
「零下二〇度になると空気の壁が出来る。重く感じるからわかる。その壁を越えるとえらいことになるが、夏から慣らせばなんとかなる」
「そう」
「凍傷には気をつけろ、鼻と耳と指先だ」
「うん」
「あと尻だ。便所に暖房が入っていればなあ」
「うへへへぇ」
篤には話したいことがたくさんあったし、実にも聞きたいことがいっぱいある。だが、平時の今は急ぐ必要もない。満期除隊の後でもいいのだ。二人とも若いし、時間はある。いくら連隊が満ソ国境の真正面にあるといっても、西で国の存亡がかかっているソ連が東で動くとは思えない。兵役も二年にもどるらしい。
戦略爆撃という語句が目に付いた。見た覚えがある。先月の『週報』、第二九〇号だったか。
「この戦略爆撃は週報からか」
「うん」
「そう、無差別爆撃は?」
「英空軍司令の言葉だよ」
「はて。載っていたかな」
「えへへ」
情報局は、前身の内閣情報部の頃から国民輿論の統一のために週報や写真週報などの冊子を発行していた。より詳細な月報特集号や国民叢書も昨年末からはじまった。平易な説明文が資料と共に掲載されていて、新聞を切抜くよりも精確で効率がいい。時事だけでなく科学や歴史もあり、廉価と相俟って人気だ。欧米の最新兵器、欧州大戦の新戦術の記事もある。
「重爆撃機が今次大戦の要なの?」
「今一番気になっている」
「援蒋陸路を爆撃すべきだったのか」
「四発機だよ」
どうやら、本人もまだ歴史興味の範囲を絞りきれていないようだ。軍事史をやるかなと実は思う。予備役海軍大佐が始めた軍事史学会があり、『軍事研究』という冊子を発行していた。しかし、軍人や専門学者によるものだったし、範囲は古代の軍事も含む。篤の興味は近代から近い将来にあるらしい。
「ただいま」と、玄関を開ける音がする。
母親のふさが帰って来たのだ。時計を見ると三時過ぎだった。じゃああと水を流す音が響く。
「お帰りなさい」
「今日はライスカレーよ。お父さんはすぐだから、待ってね」
「はい」
たんたんと、野菜を切る小気味いい音がすぐにはじまった。続いて油のにおいが漂ってくる。鍋を熱しているのだろう。
二人は六畳の部屋に飯台を出し、両親用に座布団を二つ置く。縁の外に打ち水をして、蚊遣りに火を点けた。飯台の上に取り皿と箸、それにコップが四客並べられる。見計らったように、父の清吾が自転車で帰って来た。
一〇分後、四人は席についていた。いつの間にか、ふさは着物に着替えている。わたくじらと胡瓜の輪切りの皿が一つ、漬物の鉢が二つ、汗をかいたビール瓶が三本、おしぼりに灰皿。ひとしきり見渡すと清吾は頷いた。
「一等兵殿からだ」
「ありがとう」
「はい、実さん」
「いただきます」
篤の父親は兵役で軍曹までいき、在郷軍人会の世話役をしていた。商売は大村連隊への物品納入から始め、次第に手を広げた。今は、内製もしていて、本町の廉売所にも卸している。海軍の航空隊や航空廠向けの生鮮品も請け負っていた。
「残飯の処理を頼まれて、困っている」
「父さん、本格的にやりなよ」
「なに、残飯だぞ」
「農家にとっては飼料だよ」
「それはそうだが」
「糞尿もごみも引き受けたらいい」
「他人事じゃないぞ、まったく」
陸軍や海軍がある一帯は、昔は放虎原と呼ばれた原野で刑場があった。貧民街も多かったが、朝鮮人が帰国し好景気が続くと住人はいなくなる。賤業を引き受ける者も残飯を買う者もいなくなったのだ。それで頼まれたらしい。生鮮品の仕入先とは、つまり肥料や飼料の販売先でもある。
「研究すればいいんだよ」
「なにを」
「衛生だよ」
「ふーん」
「東京には下水道がある。処理場をつくるんだ」
清吾も東京に住んだことがあるから、下水道が何たるかは知っている。海や河川に放流したらいけないのもわかる。だが、まだ上水道もない大村に下水処理場は早過ぎるだろう。
「父さん、できそうな気がするんだ」
篤が勤める光化薬では沈殿剤や中和剤など鉱毒処理用の薬剤も製造していた。
「だったら、帰って来い」
「ああ」
しばらく無言で考える。
「ライスカレーは食ったか」
「シービーよりうまい」
「よし。まだ時間はある。さあ飲め」
「うん」
「派手にするなというお達しだ。見送りは行かん」
「うん」
その日、山口清吾とふさの夫婦は、まだ夜が明ける前から工場兼倉庫の二階に詰めていた。乾馬場の西端にあるここからは、竹松駅から海軍航空廠への引込線が見える。目隠しに置いてある棚をずらし、窓をかすかに開けて、二人は待つ。
すでに列車は到着していて、機関車の蒸気であたりの朝靄はひどいことになっている。やがて、速駆けの軍靴の音が響き、数百人の兵隊が到着した。
清吾は双眼鏡を覗く。兵隊と警官や見送りら大勢の人々が入り混じっていた。なんとか顔は判別できるが、しかし、一人一人あたっていたのでは埒が明かない。ふと見ると、ふさは窓から離れた椅子で目を瞑っていた。
「ふさ、見えるのか」
「わかりますとも」
「だって」
「もう」
ふさは立ち上がって窓に寄ると、「あそこ」と指差す。そこへ双眼鏡を翳すと、振り向いた篤が手を振っていた。
「ほんとだ」
「当たり前です。あの子の母親です」
「そうか」
清吾とふさは、小さく手を振る。汽笛が鳴って、列車が動き始めた。