初年兵(一)
夏の朝は早い。七月のこの頃なら、九州の西にある大村市でも五時過ぎには夜が明けた。起床ラッパから二時間も経てば、陽は高いところにある。
乾馬場の大村連隊の営門から申告の大声が続いた。兵隊が数人ずつ出て来て、わっと走り出す。営外居住者の通勤時間にあたっているから、早く離れないと敬礼だけで時間を食う。折角の自由時間が潰れてしまうのだ。肩を見ると、赤地に星一つの二等兵ばかりだから初年兵であろう。
一月に入営して、四ヶ月の初期教育がすむと第一期検閲がある。初年兵に外出許可が出るのはその後で、朝食が終わる午前七時から日夕点呼の午後八時までだ。外泊許可は二年兵でもめったに出ない。
兵隊たちはぞろぞろと南へ向かう。大村市の繁華街は駅前から南西の本町周辺で、映画館や料理屋、旅館があった。さらに南は大村城のある玖島で、高等女学校や女子師範学校がある。セーラー服の下校姿を見るのなら、本町二丁目辺りの喫茶店で待ち伏せしたがいい。兵営から本町までは歩いて小一時間ほどであるが、まだ朝だ。まずは甘いものでも味わうか。兵隊たちは煙草をふかしながら、思い思いに今日の予定をたてる。
そんな中で西へ、続いて北へ向かう五人の集団があった。先頭で手を振る兵隊の肩章は赤地に星二つの一等兵で、時々、左手を腰に吊った銃剣にあてがう。後に続く四人の二等兵は不満らしい。なぜ、駅から離れる方へ向かうのか。
「おい、山口一等兵どの」
「なんだ、中島」
「早い列車に乗りたいのだ、俺たちは」
「俺もだ。わかっている」
「駅は反対だぞ」
「知ってるよ、大島」
「まさか竹松駅まで歩くのか」
「馬鹿を言うな」
「なにを!」
険悪な雰囲気になりかけた時、ぶおん!と爆音がしてトラックが飛び出してきた。幌を被せたダッジブラザースMF型だ。運転手が顔を出して怒鳴る。
「篤、こっちだ」
「おう。みんな乗れ!」
「これはいい」
「さすがは一選抜どの」
「早くしろ」
すぐに兵隊たちはトラックの中に消えた。助手席に乗った一等兵が仕切りの窓を開けて、荷台の兵隊に風呂敷包みを渡す。おっ!と声が沸く。風呂敷の中身はおにぎりと目刺しだった。初年兵たちは外出のために朝飯もろくに食っていない。
むしゃむしゃとかぶりつく音が始まると、運転席の壮年の男が助手席の一等兵に言った。
「すぐに着く」
「飛ばすなよ、父さん」
「八時には工場が始まる。社長が遅刻してどうする?」
「わかったから、前を。前!」
「おっと危ない」
「ふーっ」
「別嬪さんだったな、今の子」
「えーっ」
山口一等兵の父親が運転するトラックは、白亜の大村駅のロータリーを反対から進入し、停車しないまま、兵隊たちを振り落として去って行く。あっという間の出来事で、朝番の巡査が止める間もなかった。
しかし、佐世保行きの列車に間に合ったから、兵隊たちは機嫌がいい。
「親父さんはすごいな」
「常在戦場、だそうだ」
「へーっ、まさか日露か?」
「そんな訳があるか!」
「あっはっは」
「山口の家は市内じゃなかったのか」
「祖父母に会いに行く」
「そうか」
「門限に遅れるな」
「わかってる」
大村湾に沿ってくねくねと曲がりながら走る大村線は単線で、トンネルも多く全速を出せる区間がない。機関車は黒い煙を上げるばかりで低速が続くし、駅での待ち時間も長い。だからこそ、早い列車に乗らないと、親の顔もゆっくり見れない。だれかがしくじって遅くなれば、もう遠くまでは行けなくなる。日朝点呼から班長に外出の申告を済ますまで、全員が冷や汗ものだった。
篤が本家に来るのは正月以来、半年振りだった。駅から歩く途中の田んぼで、伯父と伯母が働いていた。声をかけて挨拶をする。昼は弁当で家には帰らないという。他にも、数人の知り合いと道ですれ違う。墓に寄ってから本家の庭に着くと、井戸水を使った。今日はよく晴れて、十数分歩いただけで汗びっしょりである。声をかけて玄関を入ると、ひんやりとした土間に藁と牛のにおいが充満していた。牛小屋は家の中にあり、作業場にも使う土間は十坪以上の広さがあった。
篤はこの家で生まれた。父が大村で商売を始めたのは尋常小学校に入る頃で、家を買って母と篤を呼び寄せた時には高等科に上がっていたから、卒業までここから通った。従兄弟たちとは兄弟と同じ、近所にも知り合いや友達は多い。入営祝いもこの家の座敷で行い、賑わった。どういう訳か同級生には男子が少なく、今年の入営は、近在では一人らしい。それでだいぶ飲まされて、しくじりもあった。
とりとめのない話を、仏壇の前に並んで座った祖父の笈ヱ門と祖母のスミは、にこにこと笑いながら聞いてくれた。それから、少し早い昼飯をご馳走になる。大村寿しと吸い物に、茶碗蒸しがついていた。大村寿しは、味をつけた干瓢や牛蒡を酢飯にはさんだ押し寿司で、蒲鉾や椎茸、錦糸玉子を上にちらして真四角に切る。旧大村藩領内で広くつくられる祝い料理である。久々に隠居部屋から出た祖父母が張り切ったのだろう。
酒は燗をつけてあった。祖父は飲まないらしい。稼がないもの飲むべからず、と祖母が言う。だが、落ち着かないので返杯をすると喜んで、両手で捧げ飲んでくれた。その隣で祖母が歯を剥き出して笑っている。篤は、なんだか、とても嬉しくなった。
暇の挨拶をすると、祖父母は、しかし玄関までは出てこない。隠居にはそれなりの決まりと掟があって、破っていいのは晴れの日だけだ。自分が帰ると隠居部屋に戻るんだなと思い、何が晴れなのかを考えた。
篤の家は、大村駅を出て南へ歩き、踏切を渡って緩やかな坂を上った玖島三丁目にある。一時を過ぎていたから両親は工場に戻っていて誰もいない。郵便受けの中の合鍵で玄関を開け、台所で水を一杯飲んで自分の部屋に入った。本棚に並んだ本を確かめる。それから畳の上に寝転び、仰向けになって手足を伸ばす。天井板の模様をぼんやりと見ていたら眠くなってきた。少しうとうととする。
物音で目が覚めた。玄関らしい。
「こんにちは」と、懐かしい声だ。篤は部屋を飛び出る。
「お久しぶり」
「元気だな。お、一等兵か」
「上がって」
「うん」
白の絣にかんかん帽の客は従兄弟の実で、本家の四男だ。篤より三つ上で一番仲がいい。この家から一丁目本小路の大村中学校へ通った。一キロあるかないかの距離だったが、篤が入る年に久原の丘に移り、一〇分ほど遠くなった。二人は尋常小学校から中学校まで一緒だったのだ。
実は幼い頃から軍人に憧れていて、その手の遊びばかりしていた。少年倶楽部の軍事小説を読み、青年学校の教練を見て真似をする。陸軍記念日には大村連隊へ、海軍記念日には佐世保軍港へ出かけた。実の傍には必ず篤がいた。だから、互いに性格と実力はよく知っている。
中学校を出ると陸軍士官学校に進んだ。予科を卒業して、満州で隊付き勤務を半年やった。本科に進んだその年に、篤が中学を四年で中退し品川の専門学校に入学する。また東京で一緒になったわけだ。篤の下宿には、休日の度に実と同期生が入り浸る。日曜下宿だ。
「幹部候補生か?」
「幹候は辞退した。上等兵候補だよ」
「そうか。平時に戻ったか」
「二割くらいかな、昇進したのは」
篤が通った光化学専門学校は高等学校並ではないが、三年制で配属将校もいたから実質は高等工業学校だった。学校教練を選択し検定に合格したので、幹部候補生の資格がある。大村中学でも教練は優等で、光化専ではもっぱら配属将校の助手役だった。幼年学校出の者たちよりよほど適性があると、実は思っていた。
実は希望どおり陸軍士官に任官し、今は憲兵中尉だ。篤は、科学や工業を習って父親の工場を手伝うことを望んだ。兵役が終われば東京の化薬会社に戻り、数年したら大村に帰ってくるだろう。