五 高度国防
昭和十七年七月の今も、日満議定書は有効だった。
大日本帝国は満洲帝国の国防に責任を負っていた。それは、内面指導の撤廃により満洲国の内政外交から手を引いても変わらない。ただ、満洲駐留軍である関東軍駐留経費の弁済はずいぶん改善された。
昭和一七年五月に蒙古を従えた溥儀皇帝は、六月に朝鮮を属領とすると、大清と号した。満洲帝国[大清]は、満洲国、蒙古国、朝鮮から成る。それぞれ自治が許されているが、外交権は与えられない。満洲帝国の主体は皇帝と宮廷である。満洲国政府の上部にあり、溥儀は満洲帝国皇帝と満洲国執政を兼任していた。
満洲帝国皇帝は世襲によるが、満洲国執政はそれにとらわれない。また、満洲国、蒙古国、朝鮮の政体も自由とされ、必ずしも王制にこだわらない。現に、蒙古国では緩やかな貴族制に近い。朝鮮では外地からの帰国者を中心に、共和制移行の運動が起きていた。
日本の外務省は、満州の二重化に困惑したが、満洲帝国に大使館を、満洲国と蒙古国に公使館を、それぞれ置くことで決着した。朝鮮には公館をおかない。それは溥儀皇帝の意思であった。同じく、駐満洲帝国大使には梅津関東軍総司令官が指名され、承諾した。
高度国防国家とは、陸軍大佐石原莞爾らが提唱した頃は、もっぱらソ連と戦争でき得る国家体制の醸成を意味していたらしい。それから十年近くが経ち、東亜の情勢もずいぶんと変動した。石原自身が、もう予備役に入っている。
東條首相は、高度国防国家を換骨奪胎した。陸軍内に広く馴染んでいる名称はそのままに、高度国防の意味を『軍事優先』から『国防近代化』へと転換したのだ。
戦争資源の増大を図っても国力を上回ることはない。日本には、必要な軍備を供給する生産力がなかった。なにより、兵器弾薬を生産するに足る原料資源を有さないのだ。
国の全力を上げて原材料を輸入し、兵器弾薬を生産備蓄したとしても、すぐに陳腐化する。軍事技術の革新は日進月歩だ。数年前の兵器では戦う前に勝敗が決してしまう。新兵器は、旧兵器の屍の上に並べられるものなのだ。
そうであれば、容易には陳腐化しない戦略や作戦教義こそ研究すべきであろう。価格が折り合うならば兵器弾薬は輸入し、生産に要する人員を将兵に回すのが理にかなう。もちろん、国産自給の努力は怠るべきではない。しかし、『兵器独立』は国力に見合う程度に留めるべきだ。
東條首相が提唱し、山下陸相が推進しつつある高度国防国家は、まず帝国本土を守るというものだった。