神嘗祭
唐津線は、佐賀から背振山地の南西を抜けて玄界灘の唐津湾までを結ぶ。佐賀駅から発着するが、実際に長崎本線から分岐するのは次の久保田駅である。小城駅は久保田の次の駅で、唐津線単体としては最初の駅となる。その小城駅に、機動連隊第一中隊の柴崎曹長と司馬伍長が降り立った。
田舎駅ではあるが、平屋建ての駅舎は趣があってなかなかのものである。感心している司馬伍長の耳に笛の音が聞こえてきた。改札に向かうと太鼓の音も響いてきた。秋祭りの稽古だろう。一〇月の神嘗祭に初穂を奉げ、一一月の新嘗祭で新米としていただく。村々の秋祭りは、だいたいがこのあたりに行なわれる。
出迎えの役場の助役が言う。
「ここは小城駅といっても三日月町で小城町ではないのです。すみまっせんな」
「あ、そうなのですか」
「熊野さん家までは二キロほどです。歩いてもらいますが、すみまっせんな」
「いえ、かまいません」
返事する柴崎曹長は思う。英霊を迎えるやり方は町村それぞれであるが、役場の兵事係に先導されて、在郷軍人会と小中学生らが並ぶ中を生家まで歩くことが多い。そう聞いていた。柴崎が遺骨宰領をするのは二度目だった。
司馬伍長ははじめてだった。肩から白い包みを提げ、助役の後を粛々と歩く。駅前に在郷軍人会と婦人会、子供らが並んでいて、深く頭を下げた。二百メートルほど過ぎて左へ折れると、道は狭くなり立つ人はいない。それでも行き交う者は頭を下げ、あるいは合掌した。
熊野軍曹の生家は一段高い所にあった。正面に稲刈りのおわった田圃、後は雑木林。生垣を入ると、母屋、牛小屋、納屋が並んでいる。なかなか大きな百姓屋敷だ。
玄関には、紋付を着た男衆が待っていた。一人だけ、年老いた女性は母親であろう。主と思われる初老の男が家族を紹介してくれた。父親は亡くなり長男が家長、男ばかりの三人兄弟で三樹夫は歳のはなれた末っ子だという。
読経が終わると、お斎になって酒も出される。
「姉妹はおられないのですか」
「うんにゃ、熊野家は昔から男ばかりで、主筋の石井家には頼りにされたですよ」
「石井家というと、もしや朝鮮王室の典侍さまの?」
「ああ、久子叔母さまですね。母の妹です。母は石井家からです。石井家は佐賀藩の家老の家格でして、肥前では古い家柄です」
「鍋島の姫さまが宮様に嫁がれましてな。もう四十年になりますかな。その姫さまが姫さまをお生みなされた。それで、石井家から久子さんが御付きになられたとですよ」
「東京へ上がる前はよく遊びに来られて」
「そう、三樹夫は好かれとった。みっき、おんばと呼び合うて」
翌日、柴崎曹長と司馬伍長は佐賀駅で長崎本線の上りを待っていた。遺骨宰領者には旅程のほかに三日から五日の内地滞在が許される。二人とも故郷に帰って親兄弟に会うつもりだった。
「曹長殿、満州から他にもいましたねぇ」
「ああ。佐賀駅まで一緒だったな」
「長崎か佐世保に行ったんですね」
「そうだな」
羅津から敦賀への船中では、他にも遺骨宰領者がいた。准尉に率いられた一行の数から英霊は十柱あまりか。いまどき、同一部隊でそれほどの損害を出した戦闘は一つしか思い当たらない。熊野軍曹の原隊かもしれなかった。
「ちゃんと迎えてもらえればいいですね」
「あたりまえだ、何を言うか。それよりも司馬伍長、楽しめよ」
「はい。ありがたくあります」
「俺は安心した。内地はいいな」
「え、あ。来ました。曹長殿」
ホームに入ってくる列車の汽笛は長く、長く響いた。
浅越誠吉は村役場の中に開かれた堂島職業斡旋所美作事務所の分所に来ていた。分所といっても役場の兵事係の机を週に一回、半日だけ借りるだけだ。所員の吉見柳太は、津山を除く美作全域を半日単位で廻っていた。吉見は浅越の父親の弟子だったが、宮大工がなくなると東京へ出て行った。
「あのくろがねは会社に買って貰ったでか」
「うん、おかげで津山の家に毎晩帰れる。三番目の子供が出来たで」
「あっはっは。柳太は足袋が似合ってたけぇ鳶職になると思うたが、背広も似合うもんじゃ」
「そう言ってくれるのは誠吉兄ぃぐらいのものでー。それで、これは貰ってええのか」
「健吉の土産じゃ。親子で世話になっとるからのぅ」
「気にせんでええ。これで給金もらっとる」
誠吉の一人息子の健吉は、吉見の紹介もあって、鳥取高等農業学校の職員として雇われた。来年からは鳥取大学農林学部となる。誠吉が技官見習として働く林学科の演習林は智頭町にあり、県境の峠を越えた隣町だ。片道二十キロもないが、冬は雪に閉ざされる。
「学校の職員とは山仕大工の息子には出来すぎじゃ。母やんの言うとおりに高等科を出したけ」
「姉さんは過ぎた女房じゃ」
「何を言うか、離縁はしとらん」
「あっはっは、誤解させてすまんかった。兄ぃには勿体ないということじゃ」
「ふん、そうけ」
「兵隊枠というのが出来たのじゃ。上等兵で除隊はままおるが、兵長適任証書持ちはおらん。これは健吉さんの頑張りじゃ」
「あれも、頑張っておったんじゃのぅ」
誠吉は、やはり吉見の紹介で、弾丸列車工事用の木材伐採に従事していた。美作の南でもう備前に近い。送り迎えは堂島興業のバスが来るが、本道まで下りていなければならない。週に四日だが、一時間をバスに揺られ、山道を三〇分というのはしんどい。
「近場にはないかのう」
「この辺りの山の世話は終わっとるじゃ。本道の近くに泊まったらどうじゃ」
「親父様の道具小屋か、健吉が学校に持ち出したから中は空じゃ」
「それがええ。冬は山仕事は止めるが、木挽き場は続けるそうじゃ。どのみち真冬は飯場に泊まるしかない」
「それはちょいと考えさせてくれんかのぅ」
「ええじゃ。兄ぃは腕がいいから冬休んでも仕事はある」
陸軍省は昨年成立した陸軍国防用地収用法で、農業に不向きな土地や奥深い山林を買収していた。それは、国民分裂を謀る主義者が潜伏しやすい地区を抹消すること、もう一つは軍事上重要な山頂部の確保にあった。これに内務省や農林省が賛同して、国土省への潮流ができている。
買収した後は、きちんと保全管理しなければならない。そのための予算は弾丸列車建設の付帯工事や新幹地整備事業に潜ませてあった。また、人員や機材は大学の移設や新設で対応する。要するに、陸軍省の計画に商工省や文部省を乗せたのだ。規模が大きく長期的な開発振興事業は分散させないと、議会対策が面倒だった。
川崎市登戸の借家で、陸軍主計大佐の山口志郎は晩酌をやっていた。相手は非番になった清水憲兵中尉だ。まだ六時過ぎだが、日が落ちると急に温度が下がる。二人はビールは一本だけにして、あとは日本酒にする。小鉢の南京豆をつまんでいると、女中のきくが燗酒と皿を持ってくる。
「旦那さま、これでよかったですか」
「どれどれ。お、いいぞ。うん、うまい。中尉もやれ」
「洋食のハムみたいな味ですね」
「うむ、やはり茹でたてがいい」
「これは腸ですか」
「うん、小腸だ。博多じゃ百尋と呼ぶ。他にも食道やら腎臓やら部位で呼び方は違うが、うちの田舎じゃまとめて、わたくじらだ」
きくは竜田揚げの皿を置くと台所に戻った。
「はじめて見ましたが、貫禄がありますね、さすがは顔役です」
「おきくさんの親父さんか。大政翼賛会の幹部だったからな」
「今は大家と保証人。右翼の落としどころとしては妙策です」
「うむ、扱いを間違うと左に走ってしまう。軍も政府も世話になったのは間違いない」
「軟着陸というのは難しいものですね」
「面倒だからね、日本人は。だから着陸はさせない」
「緊張の持続ですか、長期戦へ向けての」
「戦争と平和の中間だな、正しく言うと」
志郎が煙草に火を点ける。
「中尉はそろそろ異動だろう。内定は出たか」
「司令部に戻ります。三課か四課みたいです」
「防諜外事か銃後全般か」
「四課の山口実中尉が長崎出身なのですが、ご存知ですか」
「本家筋だな。うちは分家で、祖父さんの代に分かれた」
「辞令は神嘗祭の後に出るみたいです」
清水が酌をする。
「一年経ったか」
志郎は、ゆっくりと盃を干した。




